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福島を語る

福島を語る(2)震災PTSDと向き合う

三浦英之(新聞記者、ルポライター)

蟻塚亮二(精神科医)

2021年3月26日、福島県相馬市で行われた東京オリンピックの聖火リレーの出発式で、現職の相馬市長が聖火ランナーの中学生を横に立たせ、「原発事故は熾烈なものでしたが、放射能によって病気になった福島県民はおりません」と発言した。現場で取材をしていた私は驚いた。これまで原発事故によって放出された放射性物質による汚染によって、住む場所や仕事を奪われ、身体や心の状況を大きく崩した人々にたくさん出会ってきたからだ。原発被災地で暮らす人々や、故郷に帰れず長期の避難生活を送っている人々は今、どのような困難と向き合っているのか。同じ相馬市で精神科クリニックを経営し、津波や原発事故によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ患者に寄り添い続けている蟻塚亮二医師を訪ねた。(三浦英之)

 

蟻塚亮二さん(「メンタルクリニックなごみ」院長)蟻塚亮二さん(「メンタルクリニックなごみ」院長)

 

津波と原発事故のトラウマ症状

三浦 最初に蟻塚さんのキャリアについてお聞かせください。

蟻塚 私は精神科医として約30年、青森の病院に勤めたのですが、仕事をしているうちに私自身がうつ病になり、2004年に青森から沖縄へ移住しました。青森では、統合失調症を中心とした精神障害のリハビリテーションをしていたのですが、沖縄では、約60年前の沖縄戦体験に由来するPTSD(心的外傷後ストレス障害)という症例に遭遇して、その診療もしていました。そして3.11の震災後に今のクリニックから声をかけていただいて、2013年からこの福島県相馬市で診療をしています。津波や原発事故で被災した福島の方の症状を診ていると、沖縄の戦争PTSDとの類似点が多く見られます。

三浦 最近、福島沿岸部で被災した方々を取材していると、震災当時よりも今のほうがずっとつらいという声を耳にします。震災から10年が過ぎた今、患者の方々の症状にはどのようなものが多いのでしょうか。

蟻塚 震災から時間がたち、震災関連で新規に発生する症状は少なくなりました。ただ、最近になって親戚が亡くなったりしたときに、震災時のトラウマと現在のストレスが重なって重い症状になるケースもあります。一方で、震災の後がつらかったという人たちがいます。震災が起きたあの日まで、人々は、平和な日々が続くと信じていました。「息子が何歳になったら結婚して、自分が孫の世話をして……」と、時系列に応じた未来予測をしていました。ところが、震災後、息子夫婦は他所(よそ)の土地に暮らし、平和な日に描いた未来予測は壊れてしまった。震災と原発事故によって人々の時間は止まってしまったのです。震災後の10年は、マイナスからのスタートで積み木を積み直していく日々で、いまだにマイナスからゼロにすら戻っていない状況だといえます。

三浦 震災では福島沿岸部に限らず、岩手県や宮城県の沿岸部でも、多くの子どもたちが親族を亡くしたり、その遺体を見たりしています。さらに、家が流されたり、遊んでいた公園がつぶれたり、自分たちの「ホーム」が一瞬のうちに壊されてしまった。そういう想像を絶するような体験を、被災地の多くの子どもたちがしています。教育現場はもちろん、社会や行政でも、そうした子どもたちへのケアがなかなかできていないですね。

蟻塚 そうですね。震災後、福島では、虐待やDVが明らかに増えました。家庭内や地域で今まで続いてきた秩序が、震災でひっくり返ってしまった。その影響をもっとも受けているのは、子どもたちです。福島大学の発表によると、福島県で子どもの不登校が非常に増えている。2017年度には、福島県が20歳未満の若者の自殺者数全国一になりました。こうした子どもたちの不登校や自殺者の増加傾向は、福島以外の被災地でも見られると思います。

 

原発事故で4分の1が重度のうつ病になった津島地区

三浦 私が取材に通っている福島県浪江町の津島地区は、放射線量が高くて住民が誰一人帰れない帰還困難区域です。山間の集落に約1400人の住民がいましたが、今も全員避難生活が続いています。2019年に津島地区に住んでいた住民500人を対象にして行った蟻塚さんの調査では、約48%がPTSDに該当するという結果が出たそうですね。なぜ、それほど高い割合でPTSDが発症したのでしょうか。

蟻塚 沖縄戦を体験した高齢者400人を対象に2012年に行った調査では、PTSDの発症率が約40%でした。つまり原発事故で避難している人のストレスやトラウマというのは、戦争並みに強烈なものだと言えます。これほど発症率が高い原因は、やはり“難民状態”が続いていることです。津島という美しい故郷を失って、まったく知らない土地でびくびくして暮らしている。「賠償金をもらったんでしょ」などと言われるから、自分が避難民だということは隠していて、隣近所との交流もない。避難することで、仕事を失って経済的に困窮し、さらに家庭の中がギクシャクする。地域の人たちとのコミュニケーションもうまく取れず、自分たちの方言で語る場がない。そういう現象が原発事故で土地を奪われた人たちに共通したストレスになっていると思います。

三浦 津島地区では、集落が一つの家族のようになっていて、隣の家の冷蔵庫の中までわかるというほど住民の間に親密な関係が築かれていました。津島地区にあった唯一の診療所でずっと勤めていた看護師は、患者からの電話で「おい、俺だけど」という声を聞いて、それが誰だかわかるそうです。ところが、避難先の福島市や二本松市に行くと、顔馴染みではない医師や看護師に対して、患者は自分の症状すらうまく伝えることができない。そうするとその津島の看護師を呼んで、俺の症状を伝えてくれと頼むそうです。避難先の老人会にも入れなかったり、一緒にお茶を飲んでも誰も話しかけてくれない。そして、狭い部屋でずっとひきこもっているという方を見ると、本当に心が痛みます。

蟻塚 先ほど述べた津島地区の調査では、重症のうつ病状態についても調べました。避難先が県内の場合は、約23%の人が重症のうつ病状態と見られるのに対し、避難先が県外の場合は、その割合が約40%に上がりました。津島地区は、60歳以上の高齢者が90%を占めています。伝統的な地域文化の中で生きてきた人たちが、県外の関東や関西に移住して大きなカルチャーショックを受けたことが要因でしょう。自然災害の場合は、インフラを復旧することが復興の目安となりますが、人災である原発事故では、加害者が特定されて、彼らが被害者に謝罪して、現状に復旧させるというプロセスが必要です。人々のトラウマは、謝罪の有無によって、癒やされるか傷つくか大きく変わります。やはりきちんとした謝罪、弁償、そういうことが大事だと思いますね。

朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さん。2020年に刊行された『白い土地 ルポ「帰還困難区域」とその周辺』(集英社クリエイティブ)では原発被災地の最前線に生きる人々を描いた。現在も帰還困難区域に通いつづけている。蟻塚亮二さんが診療をおこなう福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」にて。

三浦英之さん(左)と蟻塚亮二さん(右)。福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」にて。

 

福島を語ることの難しさ

三浦 「がんばろう福島」や「がんばろう東北」という言葉は、震災直後には被災した方々を勇気づけられる効果が確かにありました。でも一方で、それを長く使い続けてきた弊害もあるんじゃないかと思います。この悲惨な状況の中で、前向きになれない人は確実にいます。今、少しでも福島で原発のことが怖いとか、放射能が不安だと言ったら、すぐ「放射脳」だと言われてしまうでしょう? それがゆえに、あまり原発の話をしなくなっていますよね。

著者情報

新聞記者、ルポライター

三浦英之

みうら ひでゆき

1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。

精神科医

蟻塚亮二

ありつか りょうじ

1947年福井県生まれ。72年、弘前大学医学部卒業。85年から97年まで、青森県弘前市の藤代健生病院院長を務めた後、2004年から13年まで沖縄県那覇市の沖縄協同病院などに勤務。13年から福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」院長を務める。著書に『うつ病を体験した精神科医の処方せん』(大月書店、05年)、『統合失調症とのつきあい方』(大月書店、07年)、『沖縄戦と心の傷 トラウマ診療の現場から』(岩波書店、14年)など。

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