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福島を語る

福島を語る(7)被災地は「可哀想な場所」ではない

三浦英之(新聞記者、ルポライター)

秋元菜々美

秋元 高校1年生のときには、「忘れていくこと」をテーマに演劇を作っていました。震災から3年が過ぎ、いわき市にも新興住宅ができたりして、「震災の風化」が徐々に進んでいた頃でした。そうした中で、自分にとって「忘れていくこと」とは何かと考えながら演劇を作っていくプロセスは、とても貴重な体験でした。
 演劇部では、自分や他人の感情について掘り下げていったり、想像したりしながら、ロールプレイングを繰り返し行いました。例えば、自分がムカツいたことに対して、なぜ自分がそう思うようになったのか、何を見てそう思ったのか、誰が何を言ったのか、その人は何を考えていたのか、その人の背景には何があったのか。そうしたことを他の部員と何度も問いかけ合い、徹底的に考えていきました。
 また、俳優として自分ではない人物を演じるには、少し客観的な視点が必要になります。演劇を通じたそうした経験によって、原発事故というどうしようもない現実を客観視することができるようになったと思います。

三浦 それは、あるいは僕が書いているルポルタージュに似ているかもしれませんね。ルポルタージュを書くときは、時には自らの視点ではなく、自らの斜め上の後方から全体を俯瞰する視線を持つ必要があるんです。他人の目がどう動いているのか、周囲で何が起きているか、そう広く意識することで、自分がいまどういう場面に出くわしているのかを客観的に表現できるようになるんです。

 

富岡町の現状を知り、それを伝える活動へ

三浦 高校卒業後、秋元さんは専門学校を経て、富岡町の職員になられますよね。どうして、町の職員になろうと思ったのでしょうか?

秋元 初めての一時帰宅のときに、やっぱり自分でこの廃れていく家や町を、ちゃんと見ていかないといけないと思ったんです。当時はまだ、いつ富岡町内への立ち入り禁止が解除されるのか、どの民間企業がいつ戻ってくるのかもわからなかった。なので、私にとっては役場職員になるしか、富岡町に関われる方法がなかったんです。
 役場では、健康づくり課を経由して、いまは都市整備課に在籍しています。健康づくり課の国保年金係にいたときの経験は、強烈でした。富岡町はいま現在も、健康保険料と医療費が免除になっているのですが、毎年の更新時期になると、これがないと生きていけないという町の人の声が、直接届いてくる場所だったんです。

三浦 まさしく被災地の「リアル」が見えるわけですね。秋元さんは、役場の仕事とはべつに、被災地を案内する活動を続けています。始めたきっかけを教えてください。

秋元 専門学校時代に依頼をされて被災地ツアーを1年ほどやったことがあり、役場に入ってからも、個人的なボランティアでツアーを企画するようになりました。参加してくれた人が、富岡町の風景を見て一緒に考えてもらえるよう、震災前に私の町にはどういう楽しい生活があったのかを、できるだけ詳しく、具体的に話すようにしたんです。そうしないと、原発事故で何が失われたのかが、うまく伝わらないと思ったから。

語り部として震災を伝承する秋元菜々美さん。福島第二原発が見える富岡町の海岸にて。

 

福島を未来にどう伝承するか

三浦 震災から10年がすぎて、原発事故を語るということがますます難しくなってきていると感じることがあります。新聞やテレビでは記事のスペース、番組の尺がどんどん小さく短くなっていき、そうなると、作り手が「わかりやすさ」を重視するあまり、「苦労したけどいまは頑張っている」とか、「立ち上がれない人たちがいまも苦しんでいる」といったステレオタイプの報道ばかりが増えてしまう。でも、実際の現実はそうじゃない。もっと複雑で、もっと「わかりにくい」ものです。そういった安易な震災報道ばかりがあふれてしまうと、震災の当事者にも一般の読者や視聴者にも呆れられてしまって、誰からも読まれない、誰の記憶にも残らないものになってしまう。そうしたジレンマの中で、これからどのように震災を伝えていったらいいのか、僕自身も含めてメディアで働く多く人たちがいま真剣に悩んでいます。
 僕の場合は、震災の翌日、宮城県南三陸町に入って遺体がたくさん散らばっている現場を見たり、知り合いが何人も亡くなっていたりして、自分自身も非常に悲しい思いをしました。正直、いまもまだ立ち直れていない。そうした中で、あの震災に対して自分もどこかで当事者意識を持ってしまっているのではないか、職業記者として本当にそれでいいのか、当事者とは違って客観性を持って伝えていかなければいけないのではないか、と時々悩むときがあります。

秋元 当事者というのは、心理的にバランスをとることが非常に難しいなと思います。「こういう状況を知ってほしい」と願っている半面、「あなたには分からないでしょ」とも思うときがどうしてもある。でも、語り部なり演劇なりで伝える側に立つならば、自分の困難と相手の困難をつなげて、共通点を少しずつ探っていかなければいけないと思います。この先、原発事故を経験していない世代にも伝えていくためには、福島の問題でも東北の問題でもなく、どこにでもあり得る話として、伝承していく工夫が必要なのだろうと思うのです。そのためにも、広島や沖縄における平和教育のように、エネルギーや地震や津波など、より普遍的な問題の中で福島での体験を語っていく、そんな手法を生み出していきたいなと思っています。

三浦 伝承というのは、表現の形は何であれ、クリエイティブなことだと思います。生み出すという行為は、苦しいけれども、同時に喜びもありますよね。良いものを見たり聞いたりすれば、それは長く人の心に残る。そして、心に残ったものが、やがて人間を変える原動力になる。秋元さんの言葉には、体験者が持つ「熱」と「優しさ」があります。ぜひ、これからも福島を新しい手法で語り続けていってほしいと思います。

著者情報

新聞記者、ルポライター

三浦英之

みうら ひでゆき

1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。

秋元菜々美

あきもと ななみ

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