「戦後100年」に向けて、記憶をいかに継承できるか――広島から問う戦争体験
三浦 私は『1945』の「あとがき」で、この国の世代を、自らが戦争を体験した《第一世代》、周囲に戦争体験者がいて彼らから直接話を聞くことができた《第二世代》、戦争体験者が姿を消し、その経験談を直接聞くことのできない《第三世代》の三つに分けて論じました。私はかろうじて、真珠湾攻撃に参加した生き残りのパイロットや、満州国の官僚だった人に直接話を聞いたりすることができた、第二世代の最後です。今年の戦後80年は、戦後70年と比べると新聞報道もテレビ番組も発掘された新しい事実が驚くほど少なく、第二世代から第三世代へ、世代交代が加速度的に進んでいるのを肌で感じています。

小山 私は記者になったのが2017年ですから、ちょうど第二世代と第三世代の間にいるのだと思います。いま、原爆についての話を聞けるのは、ほとんどが被爆者の方々が幼少期の頃の記憶なんです。もちろん、子どもの目から見た戦争体験はすごく貴重なのですが、戦前からどんなふうに暮らしが変わったのか、何が奪われたのかという話は、私の世代ではもう聞くことができません。
三浦 戦争の体験を直接聞くことができなくなるこれからの世代が、どのように戦争の記憶を継承していくのか。戦争体験者の証言映像があるからそれでいいじゃないかという意見もありますが、実はそれは非常に危険なんですね。証言映像というのは、証言者がカメラを常に意識するので、「正しいこと」を話そうとする。そしてそれは同時に、「切り取った事実」でもあるんです。人は往々にして、カメラが回っていないときに、「本当のこと」を話す。一緒にお弁当を食べたり、銭湯に行ったりしたときに、ふと、その人が体験した苦しさや、大切な人が亡くなったときの痛みのようなものを、泣きながら話してくれる。それは決して、カメラでは残せない「事実」であり、「告白」なんですよね。
小山 そうですね。でも実際、戦争体験者である第一世代は、もうほとんどいらっしゃらない……。三浦さんは『1945』のなかで、10年以上も前に出会った方を長く長く取材されていますよね。
三浦 そうですね。それぐらいしか、私の取りえはないから……。第4章の満州国の元官僚の方の話は、本にまとめるのに11年かかりました。最終章の「原爆疎開」については、2010年から取材しているので、15年かかっています。そうすることでようやく、取材対象者との人間的な関係を描けるようになる。新聞記事の場合、すぐに会いに行って、わかった事実だけを記事にしますが、取材対象者との人間関係を縦軸にして、その人と付き合った15年間の記録をつむいでいくことで、新聞記事とはまるで違った「作品」に昇華できる。そうした時間軸を強く意識して、とにかく時間をかけて書いたのが今回の『1945』でした。

小山 10年以上前の取材でも、古びていないのはそういうことなんですね。時間軸を取り入れるというのは、これから戦後90年に向けてやっていくべき取材のやり方なのかもしれないですね。
これからは、まだ取り残されているものに目を向けるということが、大事になってくると思います。私にとってその一つが、「黒い雨」でした。戦後90年に向けて、いま私が取り組んでいるのは「被爆二世」というテーマです。被爆二世は、被爆者の言葉を受け継ぐ存在として取り上げられます。彼ら自身も、遺伝的影響への不安とか、被爆者である親の介護を引き受けるなかでそれぞれの「原爆」と向き合い、さまざまな差別にもさらされてきました。それらをどう捉えるのか。戦後90年に向けた架け橋として、私は子孫に目を向け始めています。
「戦後100年」に向けて、戦争ノンフィクションの継承
三浦 私はこれまでずっと「戦後80年」に向けて取材や執筆を続けてきたから、いま小山さんの口から「戦後90年」という言葉を聞いて、正直、はっと目を開かされたような気がしました。確かに、「戦後90年」「戦後100年」に向けて何を書いていくのかというのは、とても大きなテーマですね……。
私は何を書けるだろう……。まだ具体的には何も思いつかないけれど、これからも「日本とは何か」についてはこだわって書き続けていきたいと思っています。かつての日本は、満州国を持ち、朝鮮や台湾、南洋諸島を占有していた、巨大な海洋国家なんですよね。そんな祖国の姿を、自分なりの経験や視座で描いていきたい。
小山 『1945』の「原爆疎開」の章で、新潟の方が戦前の日本地図について「日本海はあたかも湖のよう」と言うのが、とても面白い視点だなと思いました。
三浦 私の部屋にはいまも、富山県が発行している「逆さ日本地図」が貼ってあるんです。それを見ると、大陸から見た日本というのがとてもよくわかる。樺太から日本列島、そして沖縄から先の台湾まで、点在する島々にしか見えないんです。かつては樺太も台湾も日本だった。そのような視点でこの島々を見たときに、浮かび上がってくる「日本」を描けないかと、いつも思っています。
小山 私たちの世代は、いまニュースやわからないこともYouTubeで検索したりしています。昔と比べて新聞などの「マスメディア」の信頼はどんどん落ちていますが、そんななかでも、書籍というのはまだ信頼されていて、人に伝える媒体として希望である気がしています。
三浦 実は私もそう信じています。広島を舞台にした柳田邦男さんの『空白の天気図』や、梯久美子さんの『原民喜』、堀川惠子さんの『原爆供養塔』など、ノンフィクションで積み重ねてきた人々の記憶は、私たちや私たちの社会にとって本当に貴重な財産です。こうした財産を無視していきなり新しいところに入っていこうとしても、やはり難しい。戦争体験者の話を直接聞くことができなくなってくるなかで、そこを取材しようとする人は、まずはしっかりと先人たちが築き上げてきた作品を読み込んで、その上でいま提示すべきものは何なのかを見定めていくことが、今後より重要になってくると思います。私も戦後90年、100年にむけて、戦後80年に生きた書き手の一人として、次世代に引き継げるような作品を残せていけるように取材をしていきたいと考えています。

番外 三浦英之さんが選ぶ「戦争ノンフィクション」4冊
『李香蘭 私の半生』(山口淑子、藤原作弥、新潮文庫)
学生時代に読んで、人の人生とはこれほどまでに壮絶なものなのかと数日間眠れなくなった作品。東條英機、甘粕正彦、川島芳子との親交。李香蘭と呼ばれた山口淑子さんの人生そのものが、もう一つの「世界史」になっている。生前、山口淑子さんと短い間お付き合いをし、「蘇州夜曲」を生で歌ってもらったことが、私の一生の「宝物」になっています。
『一銭五厘たちの横丁』(児玉隆也、ちくま文庫)
戦時中に東京下町で撮影された出征兵士たちの写真を頼りに、一銭五厘の赤紙で徴兵された「氏名不詳」の人々のその後を訪ね歩いていくルポの金字塔。私がルポライターを名乗り、市井の人々を訪ね歩いて作品をつくっているのは、著者の児玉隆也さんの影響です。
『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子、新潮文庫)
新聞記者になってから読み、作品が持つテーマの強さだけでなく、「どうしてこの人はこんなに文章がうまいのだろう」と絶望感すら抱いた思い出の一冊。梯さんの作品は『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)も、『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(新潮文庫)も、最近の『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)も、本当に文章が上手で引き込まれる。事実をいかに伝えていくか、作品を読むたびに深く考えさせられる作家。
『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川惠子、講談社文庫)
現代のノンフィクション界で、梯さんと双璧をなす書き手。どうしてそんな事実に出会えるのか、どこからそんな資料を発掘するのか。それらのファクトを土台として、奥行きのある物語を構築していく。『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(文春文庫)も、『戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社文庫)も、そのあまりの取材力に打ちのめされるので、私自身、自信を失っているときにはあまり読まないようにしているくらい……。
著者情報
フリージャーナリスト
小山美砂
こやま みさ
1994年、大阪府生まれ。毎日新聞記者を経て、2023年からフリー。広島原爆投下後に降った「黒い雨」の被害を記録した『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)で第66回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞。広島市在住。その他の著書に『気象学者 増田善信 信念に生きた101年』(本の泉社)がある。
新聞記者、ルポライター
三浦英之
みうら ひでゆき
1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。