1995年を知るための10冊
奥 憲介(文芸批評家)
10『リバーズ・エッジ』 岡崎京子

『リバーズ・エッジ オリジナル復刻版』 岡崎京子 宝島社 2015
【紹介】
東京郊外の河口の街。工場が立ち並び、団地と空き地が広がる。水はよどみ、臭気を放ち、河原には雑草が生い茂る。豊かであるはずの国の荒廃した風景。退屈で平和で、それでいて行き場のない日常を生きる高校生たち。
何かを求めることも、どこかへ行くこともできない空虚な心と、堆積し腐敗していく生。彼らはいずれも何かを欠き、その代償として過剰なものを抱えさせられている。いじめ、暴力、摂食障害、援助交際、そして突然の惨劇。だがそれは特別な出来事ではなく、平凡な日常の一コマにすぎない。この作品は、そうした日常がすでに壊れかけていることを当たり前のように描き出す。
物語は河原に捨てられていた「死体」を巡る男女3人の奇妙な友情を軸に進む。「死体」は彼らの空虚さと生の実感の欠如を象徴すると同時に、赴くべきどこかもなく、始めるべき何かもない彼らにとって、打ち捨てられた「死体」こそが、どこかであり、何かだった。
スタイリッシュな作風と相まって、岡崎が捉えた生の風景と同時代的な感覚は、多くの若者のカルト的共感を呼び、90年代を代表する一冊となった。
東京郊外の河口の街。工場が立ち並び、団地と空き地が広がる。水はよどみ、臭気を放ち、河原には雑草が生い茂る。豊かであるはずの国の荒廃した風景。退屈で平和で、それでいて行き場のない日常を生きる高校生たち。
何かを求めることも、どこかへ行くこともできない空虚な心と、堆積し腐敗していく生。彼らはいずれも何かを欠き、その代償として過剰なものを抱えさせられている。いじめ、暴力、摂食障害、援助交際、そして突然の惨劇。だがそれは特別な出来事ではなく、平凡な日常の一コマにすぎない。この作品は、そうした日常がすでに壊れかけていることを当たり前のように描き出す。
物語は河原に捨てられていた「死体」を巡る男女3人の奇妙な友情を軸に進む。「死体」は彼らの空虚さと生の実感の欠如を象徴すると同時に、赴くべきどこかもなく、始めるべき何かもない彼らにとって、打ち捨てられた「死体」こそが、どこかであり、何かだった。
スタイリッシュな作風と相まって、岡崎が捉えた生の風景と同時代的な感覚は、多くの若者のカルト的共感を呼び、90年代を代表する一冊となった。
【解題】
虚空を見ているような目の据わった主人公たち。無表情なセリフに滲む痛み。他者とのつながりなど最初からない。薄れていく身体感覚。得体の知れない欲望に突き動かされ、「風船がぱちんとはじけるように起こる」惨劇の連鎖。「平坦な戦場で僕らが生き延びること」と岡崎は書く。学校も家庭ももはや安全ではない。弾丸は飛び交わないが、自分たちは今、見えない戦場の中に立っている。生きることは、「サバイバル」にほかならない。
本作はロスジェネ世代の“バイブル”とされる。たしかにサバイバルとしての生や、奪われた個の主体の再構築といったロスジェネ的な論点と響き合っている。だが、同時に半世紀前に戦後民主主義が約束した「自由な個人」が行き着いてしまった荒涼としたデッドエンドの風景でもあるだろう。
しかし、この作品の力は、そういった社会的思想的枠組みを超えて、読者の身体そのものに触れるような感覚を通じて伝わってくる、生の肯定と慰撫の温もりにある。若者たちは、ひとときそれぞれの痛んだ生を激しく交錯させたのち、何ひとつ変わらない日常へと静かに戻っていく。彼らは物語を通じて変容することも、どこかへ向かうこともない。ただ「死体」だけが、世界の片隅に置き去りにされる。
20代の後半、私が初めてこの作品を読んだとき、高校生たちが無言で眺める「死体」の存在や、出口のなさ、救いのなさに、むしろ安堵し、慰められた記憶がある。そんなほの暗い「平坦な」風景のなかで、岡崎が描いた一瞬の鮮やかな光景は、月並みな言い方になるが、この壊れかけた世界を、壊れたまま引き受けて生きるほかないという呼びかけのように思えた。
虚空を見ているような目の据わった主人公たち。無表情なセリフに滲む痛み。他者とのつながりなど最初からない。薄れていく身体感覚。得体の知れない欲望に突き動かされ、「風船がぱちんとはじけるように起こる」惨劇の連鎖。「平坦な戦場で僕らが生き延びること」と岡崎は書く。学校も家庭ももはや安全ではない。弾丸は飛び交わないが、自分たちは今、見えない戦場の中に立っている。生きることは、「サバイバル」にほかならない。
本作はロスジェネ世代の“バイブル”とされる。たしかにサバイバルとしての生や、奪われた個の主体の再構築といったロスジェネ的な論点と響き合っている。だが、同時に半世紀前に戦後民主主義が約束した「自由な個人」が行き着いてしまった荒涼としたデッドエンドの風景でもあるだろう。
しかし、この作品の力は、そういった社会的思想的枠組みを超えて、読者の身体そのものに触れるような感覚を通じて伝わってくる、生の肯定と慰撫の温もりにある。若者たちは、ひとときそれぞれの痛んだ生を激しく交錯させたのち、何ひとつ変わらない日常へと静かに戻っていく。彼らは物語を通じて変容することも、どこかへ向かうこともない。ただ「死体」だけが、世界の片隅に置き去りにされる。
20代の後半、私が初めてこの作品を読んだとき、高校生たちが無言で眺める「死体」の存在や、出口のなさ、救いのなさに、むしろ安堵し、慰められた記憶がある。そんなほの暗い「平坦な」風景のなかで、岡崎が描いた一瞬の鮮やかな光景は、月並みな言い方になるが、この壊れかけた世界を、壊れたまま引き受けて生きるほかないという呼びかけのように思えた。
著者情報
文芸批評家
奥 憲介
おく けんすけ
1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。