1995年を知るための10冊
奥 憲介(文芸批評家)
1『約束された場所で underground2』 村上春樹

『約束された場所で underground2』 村上春樹 文春文庫 2001
【紹介】
1995年3月20日、東京の地下鉄で、オウム真理教の信者5人が猛毒サリンを散布した。死者13人、負傷者6000人以上。日本社会を根底から揺るがした無差別殺人テロは、教団による国家転覆の企図だった。
それまで都市生活者の孤独や「個」の感覚を小説の中で描いてきた村上春樹は、この事件に強い衝撃を受け、被害者への聞き取りをもとにしたノンフィクション『アンダーグラウンド』(1997)を刊行した。本書は、その続編として位置づけられる作品であり、オウム真理教の(元)信者たちへのインタビューを収録している。
村上は、彼らがなぜ教団に惹かれ、なぜそこに人生を委ねたのか、そして事件をどう受け止めているのかを問い続ける。しかし彼らの多くは、「後悔していない」「あの経験が無意味だったとは思わない」と語る。未曾有の凶悪事件を経た後も、彼らの内部ではオウムで過ごした時間がなお特別な意味を持ち続けている事実に村上は立ちすくむ。
なぜオウムだったのか。オウムは彼らに何を与えたのか。本書はその問いに明確に答えを与えるというよりも、今もなお答えが容易に見つからない問題として読者に差し出している。村上はその問いを、この後、『神の子どもたちはみな踊る』(2000)や『1Q84』(2009~2010)などの作品で物語の力を通して追究していく。
1995年3月20日、東京の地下鉄で、オウム真理教の信者5人が猛毒サリンを散布した。死者13人、負傷者6000人以上。日本社会を根底から揺るがした無差別殺人テロは、教団による国家転覆の企図だった。
それまで都市生活者の孤独や「個」の感覚を小説の中で描いてきた村上春樹は、この事件に強い衝撃を受け、被害者への聞き取りをもとにしたノンフィクション『アンダーグラウンド』(1997)を刊行した。本書は、その続編として位置づけられる作品であり、オウム真理教の(元)信者たちへのインタビューを収録している。
村上は、彼らがなぜ教団に惹かれ、なぜそこに人生を委ねたのか、そして事件をどう受け止めているのかを問い続ける。しかし彼らの多くは、「後悔していない」「あの経験が無意味だったとは思わない」と語る。未曾有の凶悪事件を経た後も、彼らの内部ではオウムで過ごした時間がなお特別な意味を持ち続けている事実に村上は立ちすくむ。
なぜオウムだったのか。オウムは彼らに何を与えたのか。本書はその問いに明確に答えを与えるというよりも、今もなお答えが容易に見つからない問題として読者に差し出している。村上はその問いを、この後、『神の子どもたちはみな踊る』(2000)や『1Q84』(2009~2010)などの作品で物語の力を通して追究していく。
【解題】
当時、怪しい新興宗教にのめり込み凶悪事件を起こした“普通の若者”を、マスコミや論者は理解不能な異物として扱った。しかし実際には、当時の若い世代の中には、彼らの感覚にどこか共鳴してしまう空気が確かに存在していたのではないか。私自身にも、その感覚はあった。
「生きていく上で、とくに何か大きな不満を持っていたわけでもありませんし、困難を感じていたわけでもありません。ただ自分がこの現実社会の中で、こうやって生きていくことに対して、何か「足りていない」というように感じていました」というある信者の言葉は、当時の若者たちの空気そのものだった。豊かさの中に育ちながら、同時に空虚さを感じる。彼らは社会から完全に排除された人間ではなかった。むしろ真面目で、優秀で、純粋だったからこそ、「生きる意味」や「本物」を求めてしまった。
確かなもの、純粋なもの、そして生の意義を求めることが、なぜ無差別テロへと転じたのか。村上は、東西冷戦終結後の「大きな物語」の終焉の中で、麻原が作り出した物語が多くの若者をとらえ、ある時点からその物語が麻原自身を追い越し、ついには彼自身をも飲み込んだのではないかと述べる。
ひとつの物語が絶対化されるとき、それは世界を説明する唯一の真理となる。しかし同時に、世界には本来、無数の価値観や現実が併存しているという事実が見えなくなる。異なるものは排除され、否定され、やがて敵とみなされる。そこから生まれるのが、「正義」の名をまとった暴力である。
オウム真理教の事件は、特殊なカルト集団の異常性だけを示した出来事ではない。人間が「唯一の正しさ」に身を委ねたとき、現実をどこまで歪め、他者を破壊しうるのかを示した事件だった。その危うさは、戦前、戦中、そして現代へと、戦争、国家、宗教、イデオロギーなど形を変えながら、現在に至るまで世界の各地で繰り返されている。
当時、怪しい新興宗教にのめり込み凶悪事件を起こした“普通の若者”を、マスコミや論者は理解不能な異物として扱った。しかし実際には、当時の若い世代の中には、彼らの感覚にどこか共鳴してしまう空気が確かに存在していたのではないか。私自身にも、その感覚はあった。
「生きていく上で、とくに何か大きな不満を持っていたわけでもありませんし、困難を感じていたわけでもありません。ただ自分がこの現実社会の中で、こうやって生きていくことに対して、何か「足りていない」というように感じていました」というある信者の言葉は、当時の若者たちの空気そのものだった。豊かさの中に育ちながら、同時に空虚さを感じる。彼らは社会から完全に排除された人間ではなかった。むしろ真面目で、優秀で、純粋だったからこそ、「生きる意味」や「本物」を求めてしまった。
確かなもの、純粋なもの、そして生の意義を求めることが、なぜ無差別テロへと転じたのか。村上は、東西冷戦終結後の「大きな物語」の終焉の中で、麻原が作り出した物語が多くの若者をとらえ、ある時点からその物語が麻原自身を追い越し、ついには彼自身をも飲み込んだのではないかと述べる。
ひとつの物語が絶対化されるとき、それは世界を説明する唯一の真理となる。しかし同時に、世界には本来、無数の価値観や現実が併存しているという事実が見えなくなる。異なるものは排除され、否定され、やがて敵とみなされる。そこから生まれるのが、「正義」の名をまとった暴力である。
オウム真理教の事件は、特殊なカルト集団の異常性だけを示した出来事ではない。人間が「唯一の正しさ」に身を委ねたとき、現実をどこまで歪め、他者を破壊しうるのかを示した事件だった。その危うさは、戦前、戦中、そして現代へと、戦争、国家、宗教、イデオロギーなど形を変えながら、現在に至るまで世界の各地で繰り返されている。
著者情報
文芸批評家
奥 憲介
おく けんすけ
1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。