1995年を知るための10冊
奥 憲介(文芸批評家)
3『会長はなぜ自殺したか-金融腐敗=呪縛の検証-』 読売新聞社会部

『会長はなぜ自殺したか-金融腐敗=呪縛の検証-』 読売新聞社会部 新潮文庫 2000
【紹介】
1995年の年末、政府は住専処理のため6850億円もの財政投入の方針を決定した。バブル期の巨額な不良債権を抱え破綻した会社に税金が投入されたことは、大きな衝撃と怒りをもって受け止められた。
その後、金融ビッグバンを控え、金融機関の不祥事が連日のように報道された。接待漬けで身動きが取れなくなっていた大蔵省(現財務省)の高級官僚たち、総会屋への利益供与をめぐり、野村証券や第一勧銀に東京地検特捜部の家宅捜索が入り、重役が次々と逮捕される。北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の自主廃業、栄華を誇った日本の金融業界の闇はどこまで暴かれるのかと国民が固唾をのんで見守る中、第一勧銀元会長・宮崎邦次や自民党衆議院議員の新井将敬が相次いで自死し、不正疑惑の解明は途中で沙汰止みとなった。
本書は、一連の金融事件の発火点ともいえる「第一勧銀総会屋事件」を追ったノンフィクションである。
1995年の年末、政府は住専処理のため6850億円もの財政投入の方針を決定した。バブル期の巨額な不良債権を抱え破綻した会社に税金が投入されたことは、大きな衝撃と怒りをもって受け止められた。
その後、金融ビッグバンを控え、金融機関の不祥事が連日のように報道された。接待漬けで身動きが取れなくなっていた大蔵省(現財務省)の高級官僚たち、総会屋への利益供与をめぐり、野村証券や第一勧銀に東京地検特捜部の家宅捜索が入り、重役が次々と逮捕される。北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の自主廃業、栄華を誇った日本の金融業界の闇はどこまで暴かれるのかと国民が固唾をのんで見守る中、第一勧銀元会長・宮崎邦次や自民党衆議院議員の新井将敬が相次いで自死し、不正疑惑の解明は途中で沙汰止みとなった。
本書は、一連の金融事件の発火点ともいえる「第一勧銀総会屋事件」を追ったノンフィクションである。
【解題】
どのような悪事を扱う事件でも、多少なりとも登場人物に心を寄せる余地があるものだが、この本に登場する銀行役員たちには、共感も同情もまったく湧くことはない。それは単なる倫理的嫌悪ではなく、彼らの姿の中に、戦後日本そのものが長年温存してきた組織文化の歪みと怠惰が、あまりにも露骨な形で映し出されていたからだ。
90年代の金融不祥事が露わにしたのは、戦後日本の金融行政を支えてきた「護送船団方式」の崩壊と、モラルハザードの深刻さだった。不良債権処理が進まぬまま、日本の金融システムはすでに制度的限界に達していた。にもかかわらず、長年の慣行と惰性に縛られ、組織の腐敗を真正面から問うことを避け続けた。
第一勧銀では現旧合わせて11人の幹部が起訴された。総額460億円もの資金がたった一人の総会屋に流れ込むという、誰が見ても不正とわかる利益供与に異議を唱える者は銀行内部に一人もいなかった。滅私奉公、上司追従型、日本型の“優秀”な会社員の頂点にいたのが、自死した元会長であったという事実は象徴的である。
宮崎邦次は取り調べ期間中、自宅で命を絶った。遺書が残されている。映画監督を志した真面目な青年が、出世の階段を上りつめた先で何を見て、何を見失ったのか。批判するのは容易だが、もし自分なら声を上げられただろうか。当時、多くの会社員がそう自問したはずだ。内部通報制度も公益通報者保護法もない時代、声を上げれば報復が待っている。それはいやというほど見てきた光景だった。
事件が報じられたとき、私はわずかな抗議の意を示すため第一勧銀の口座から全額を引き出した。貯金額以上に寒々しい気持ちばかりが残ったが、中小企業の新人営業マンとしてできたのはそれだけだった。今振り返れば、その無力感こそが当時の日本を覆っていた麻痺の一部であった。第一勧銀の崩壊は、戦後日本が積み上げてきた制度と価値観が自壊しはじめていた徴候だった。
どのような悪事を扱う事件でも、多少なりとも登場人物に心を寄せる余地があるものだが、この本に登場する銀行役員たちには、共感も同情もまったく湧くことはない。それは単なる倫理的嫌悪ではなく、彼らの姿の中に、戦後日本そのものが長年温存してきた組織文化の歪みと怠惰が、あまりにも露骨な形で映し出されていたからだ。
90年代の金融不祥事が露わにしたのは、戦後日本の金融行政を支えてきた「護送船団方式」の崩壊と、モラルハザードの深刻さだった。不良債権処理が進まぬまま、日本の金融システムはすでに制度的限界に達していた。にもかかわらず、長年の慣行と惰性に縛られ、組織の腐敗を真正面から問うことを避け続けた。
第一勧銀では現旧合わせて11人の幹部が起訴された。総額460億円もの資金がたった一人の総会屋に流れ込むという、誰が見ても不正とわかる利益供与に異議を唱える者は銀行内部に一人もいなかった。滅私奉公、上司追従型、日本型の“優秀”な会社員の頂点にいたのが、自死した元会長であったという事実は象徴的である。
宮崎邦次は取り調べ期間中、自宅で命を絶った。遺書が残されている。映画監督を志した真面目な青年が、出世の階段を上りつめた先で何を見て、何を見失ったのか。批判するのは容易だが、もし自分なら声を上げられただろうか。当時、多くの会社員がそう自問したはずだ。内部通報制度も公益通報者保護法もない時代、声を上げれば報復が待っている。それはいやというほど見てきた光景だった。
事件が報じられたとき、私はわずかな抗議の意を示すため第一勧銀の口座から全額を引き出した。貯金額以上に寒々しい気持ちばかりが残ったが、中小企業の新人営業マンとしてできたのはそれだけだった。今振り返れば、その無力感こそが当時の日本を覆っていた麻痺の一部であった。第一勧銀の崩壊は、戦後日本が積み上げてきた制度と価値観が自壊しはじめていた徴候だった。
著者情報
文芸批評家
奥 憲介
おく けんすけ
1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。