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特集

「1995」再考

1995年を知るための10冊

奥 憲介(文芸批評家)

4『神戸震災日記』 田中康夫 

『神戸震災日記』 田中康夫 新潮文庫 1997

【紹介】
 1995年は「ボランティア元年」と呼ばれる。阪神淡路大震災の被災地には、1年間で全国から約137万人のボランティアが入った。その一人であった田中康夫が、地震の4日後に被災地に入り、原付バイクで物資を配った日々の記録である。最初は「数多の傍観者の一人でしかなかった」という田中は、このままでいいのかと自問する。関西に縁はない。だが、付き合ってきた女性はなぜか神戸出身が多く、神戸を舞台にした小説も書いたことがある。そう思い至り、取るものもとりあえず関西へ飛ぶ。
 被災者との会話から思いつき、パンツや靴下、口紅などの日用品を配り始める。一本の口紅が、被災者の気持ちをほんのひと時でも明るくする。その大切さを知った田中は、“一人赤十字”と称して寒風の中を1日100キロ駆け回る。
【解題】
 本書は災害の一次資料として貴重であり、行政・企業・マスコミへの鋭い指摘には、後年政治の世界に入る田中の面影も見える。だが読みどころは、売名や偽善といった外野の雑音をよそに、困っている誰かの助けになりたいという自分の意志に従って行動した人々が、「ボランティア元年」という時代を切り開いたという事実にある。4月、私も参加した東京での入社式に大阪支社に勤務するはずだった関西出身の同期2名がいた。震災の被害のためだった。彼らは倒壊した家の様子や、瓦礫と焦土の中に立った時の苦しい胸の内を語ってくれたが、言葉にできたことなどほんの一部だったろう。同じ関西出身者として彼らにどんな言葉をかけたのか覚えていない。ただテレビを見続けながら、自分は何をすべきかと考え続け、結局、私自身は何もできなかった。
 この本を読んだとき、「なんだ、それでよかったのか」と気持ちが軽くなった。田中は梅田の高級ホテルに泊まり、豪華な朝食を食べてから通いで現地に向かう。仕事とも両立する。組織に属さず、一人で必要と思うものを配る。男性には髭剃り、女性には化粧水や口紅、子どもには漫画。身近な人を巻き込みながら、それを続ける。数か月後、状況が落ち着くと、今度は煎餅を持って誰彼となく話を聞きに行く。「身を切る程に冷たい一月の風やケミカルシューズ工場の焼け跡の臭いやガレキと化した民家の土埃」を五感で受け取り、地震直後は冷静だった人々が、時を経て「一つ一つの「不幸」に再び触れた瞬間、誰もが大粒の涙を流した」理由を感じ取ることができたのは、そんな彼だったからだろう。
 だが田中は、自分の行為の意味をさして語ろうとしない。自分を括弧に入れない。半分は人のため、もう半分は自分のためにやっていることを知っている。だから人助けの感想を、グルメやファッションを語るように、個人的で感覚的な言葉で軽やかに表す。「親しくなった」「嬉しかった」「爽快そのものだ」。賛否はある。しかしその姿は、有無を言わせないリアリティと、人を動かす熱を放っている。

著者情報

文芸批評家

奥 憲介

おく けんすけ

1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。

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