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特集

「1995」再考

1995年を知るための10冊

奥 憲介(文芸批評家)

6『アジアン・ジャパニーズ』 小林紀晴 

『アジアン・ジャパニーズ』 小林紀晴 情報センター出版局 1995

【紹介】
 青年がバッグひとつで世界を旅する。豊かな日本を脱出し、貧乏旅行に出る。高度経済成長期以降、このブームは途切れなかった。60年代の小田実『何でも見てやろう』が第一世代、70年代に海外に出た沢木耕太郎『深夜特急』や藤原新也『印度放浪』が第二世代であり、彼らに憧れた若者たちが、80〜90年代のバブルに沸く日本を次々と旅立ったのが第三世代である。2000年代に入ると、旅ではなく物価の安い海外に長期滞在する「外こもり」現象が現れた。
 本書は、入社したばかりの会社を辞めアジアに旅立った23歳の著者が、同じように旅を続ける日本の若者たちと出会い、その姿をカメラに収めた記録である。タイ、インド、ネパール。旅といっても明確な目的があるわけではない。数か月から数年、彼らはただ異国を放浪する。なぜ旅をしているのか。どこへ向かっているのか。
 3年後、著者は再び彼らを訪ねる。帰国して働き始めた者、家庭を持った者、まだ旅を続ける者、それぞれの日常の中で、旅の意味を問う。答えに窮しながらも、彼らはやがて「自分という現実から逃れられなかったこと」「その事実を受け容れられたこと」が、旅の終わりだったと静かに語り出す。
【解題】
 昨日も今日も明日も同じ、そんなのっぺりとした日常から逃れたい。この国には生も死もリアリティがない。苦しさと退屈で息がつまる。何のために生きるのか、自分とは何か。海を越えればそれまでの現実はクリアされ、すべてが新しい始まりになると信じた。
 90年代前半、日本を脱出していく20代の群れの中に私もいた。大学を休学し、1年間バックパッカーとして放浪した。覚悟を持って旅立ったつもりだったが、本書の旅人たちと同じく、なぜ旅をするのかという問いに答えられるものは何もなかった。 
 1996年、『進め!電波少年』の「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」が大評判となった。自分たちの旅がパロディ化され笑われているように感じたが、実際には“貧乏旅行”と言いながら円の力を背景に、現地の人々の年収をはるかに超える金を持ち、モラトリアムという名の無為徒食を続ける、その滑稽さと身勝手さに気づいていなかった。現代の若者なら冷笑するだろう。
 本書で語られるのは旅ではなく、どこかにいるはずのほんとうの自分を見つけたいという出口のないさまよいである。外界を見に行くと言いながら、外の世界はほとんど見えておらず、自分の内側を覗き込んでいる。90年代的な自分探しにまとわりつく甘さ、弱さ、閉塞、危うさを露呈した本でもある。
 若者のロマン的な自分探しという文脈では、旅も愛国もスピリチュアルも宗教も思想ブームも似通っていた。その後、自らの生を内側から根拠づけることのできない不安定な主体は、サブカル的コンテンツに取り込まれ、記号化され、瞬く間に消費の対象へと取り込まれていった。

著者情報

文芸批評家

奥 憲介

おく けんすけ

1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。

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