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特集

「1995」再考

1995年を知るための10冊

奥 憲介(文芸批評家)

8『単一民族神話の起源——〈日本人〉の自画像の系譜』 小熊英二  

『単一民族神話の起源——〈日本人〉の自画像の系譜』 小熊英二 新曜社 1995 

【紹介】
「日本人は古来より単一民族であり同質的な文化を持つ」という言説は、現在でもよく聞かれる。しかし、それは歴史的事実とは言い難い。では、なぜこのような認識が定着したのか。
 戦前には日本人は多様な出自を持つ「混合民族」であるとする議論が主流であった。日本は多民族帝国として、諸民族を同化し包摂してきたとされ、天皇家の起源についても朝鮮半島との関係が語られていた。こうした混合民族論は、日本が人種差別や排外主義とは無縁であることを強調し、植民地支配の正当化に利用された。
 戦後になると状況は一変する。日本は島国であり、古来より単一民族が平和的に暮らしてきたという「単一民族論」が主流となった。この転換は、敗戦後の弱い国家として外圧から自らを守るための自己像の再構築と深く関わっている。本書は膨大な一次資料に基づき、こうした日本民族論の変遷を実証的に跡づけ、「神話」としての日本人像を解体する。
 小熊は、「神話化」された民族論とは、国際関係や国家的欲望、さらには現実からの逃避を反映したものだと指摘する。人々は「望ましい行動様式」を過去に投影し、それによって現在の政策や立場を正当化してきた。本書は歴史学と社会学に基づく学術書でありながら、日本人像がいかに政治的に構築され、利用されてきたかという現在的な問いを霧が晴れるように理解させてくれる。
【解題】
 戦後50年の節目に発表された村山談話は、植民地支配と侵略への反省と謝罪を表明した画期的なものであった。これに先立つ1993年の河野談話とあわせ、日本の戦争責任を明確に示す試みであった。真摯に自らの過ちを認めてこそ、対等な対話と新しい時代を開くことができる。そんな期待を誰しもが持ったが、いかに謝罪するかについての論争も巻き起こった(3)
 しかし同時に、これらを「自虐史観」と批判する反発も生じた。慰安婦問題の強制性否定や南京事件への懐疑など、戦争責任を相対化する言説が広まり、ナショナリズムや排外主義と結びついていく。こうした流れの中で、「新しい歴史教科書をつくる会」が登場すると、歴史認識をめぐる主戦場は教科書となった。
 歴史修正主義が展開したプロパガンダは事実の検証というよりも、歴史の語りを組み換えるイデオロギー闘争と化していった。彼らが志向したのは、強い国家像への回帰や戦争加害の否認、国民の同質性の強調であり、その影響は現代のネット空間における過激な排外的言説にも連なっている。
 本書が示すのは、「神話」を生み出した思考の構造そのものである。歴史は都合よく書き換えられうるという誘惑と、その背後にある暴力性が示される。しかし著者は特定の立場を礼賛するのではなく、神話を生む基盤を解体する。その結果浮かび上がるのは、外部の現実に直面しつつ都合よく自己を守ろうとする時代ごとの自画像である。相反する言説であっても、その構造を理解しなければ乗り越えることはできない、それが本書の核心的メッセージである。

著者情報

文芸批評家

奥 憲介

おく けんすけ

1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。

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