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自民党改憲4項目を斬る!

個人主義、人権・平和よりも国家主義が見え隠れする改憲案

伊藤真(弁護士/伊藤塾塾長/法学館憲法研究所所長)

(構成・文/川喜田研)

 地方分権をもっと進めてゆくという議論の過程の中で、初めて、参議院の役割の見直しや、その役割に見合った選挙制度についての議論があるべきで、それを全部すっ飛ばしていきなり憲法改正を行うなどもってのほかです。
 もちろん「一票の格差」を完全になくすことが簡単ではないのは事実ですが、たとえ、現実が憲法が定めた「あるべき姿」と違っても、そこに近づいていく努力をすべきであり、そうした努力を否定する形で現状を追認し、今の自民党に都合のいい形に憲法を書き換えてしまうというのは、憲法の意義、立憲主義に対する冒涜(ぼうとく)にほかなりません。

「教育の充実」:そもそも教育は「個人」のためであって「国の未来」のためではない

──一方、昨年(2017年)秋の解散総選挙でも安倍内閣が「公約」として掲げた「教育無償化」については、「無償化」という立派な看板とは裏腹に、「教育を受ける権利と受けさせる義務」について定めた憲法26条の1項、2項はそのままに、新たに3項を設けて「(国は)各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない」という、いかにも具体性に欠ける「努力義務規定」が置かれる形になっています。
 維新の会が求めていた「経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない」という文言は見送られ、この改憲案の何が「教育無償化」なのかという疑問もあるのですが……。

伊藤 これはもう、昨年の選挙公約で「教育無償化」を打ち出したことへの「単なる辻褄合わせ」でしかないでしょうね。あとは、改憲に協力してほしい「維新」への配慮でしょうか?
 とはいえ、民主党政権時代に実現した「高校無償化」にすら反対した自民党ですから、党内には財政への負担が大きい大学など、高等教育の「無償化」には反対論も根強い。その結果、これも2012年の憲法改正草案に沿った形で何ら具体性のない条文を追加するだけで「教育無償化」という公約とは程遠い内容に落ち着きそうな様子です。

 しかし、現行の憲法26条1項では「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とすでに記されていますから、この権利を保障するために国が教育環境を整備する義務を負うのは、ある意味、当然のことであり、高等教育の無償化について具体的に触れないまま、国の教育環境整備に関する努力義務を示す3項を追加することは、「無償化」に関して何ら本質的な意味はないのです。

 では、なぜ自民党は2012年の憲法改正草案でも「国は、教育が……国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み……教育環境の整備に努めなければならない」という、憲法26条3項の追加にこだわっているのでしょうか? それは、この条文案の中に自民党の「教育」、特に「公教育」に対する基本的な姿勢が込められているからです。

 この条文案でも「教育」が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うもの」として規定されている。つまり、ここでも「国の未来」が教育の目的とされ、それが、国が「教育環境の整備に努めなければならない」理由になっている点に注目すべきです。
 また、この条文案で、「国」が主体として努めなければならないとしている「教育環境の整備」とは具体的に何を指すのかというのも重要なポイントです。必要な学校を作り、それを維持・管理するといった、単に物質的な環境整備だけでなく、何を、どのように学ぶのかといった具体的な学習内容、カリキュラムの整備や、学校運営の仕組みなどを含めて「教育環境の整備」だと考えれば、この条文はそれらすべての「主体」が「国」なのだと憲法に明記することで、教育環境全般に対する国の立場を強化することに繋がりかねないと思います。

 そもそも「教育」とは何のためにあるのか、「公教育」の目的とは何なのかと言えば、それは本来、「個人」の幸せのため、一人ひとりが「生きていく力」を備えるためにある……という考え方であったはずです。それが「国の未来を切り拓く」ための教育にすり替わり、他の自民党憲法改正草案にも共通している「個人より国家」に軸を置いた「教育観」が推し進められれば、国による教育内容への不当な介入だけでなく、将来、日本に暮らす外国人の子どもたちがこうした教育環境の整備から排除されたり、差別の根拠となったりする恐れもあります。
 一見、何の意味もないように見える条文の追加に、「公教育とは個人ではなく、国家のためにある……」という、非常に大きな教育観の転換が含まれている点に注意すべきです。

「9条改正」「緊急事態条項の追加」:自民党内での集約に至らず

──このほか、最も議論を呼びそうな、憲法9条の改正と、いわゆる「緊急事態条項」の追加については、自民党内でも依然、さまざまな議論があり、特に安倍首相が主張する「戦力の保持」を禁じた憲法9条2項を残したまま「新たに自衛隊の存在を明記する」という案については、「2項削除」を主張する石破茂氏などから強い反対意見が示されています。
 とりあえず、3月の党大会では、憲法改正推進本部の細田博之本部長に「一任」という形で、なんとか押し切ったようですが、本当の意味での「条文案の集約」にはまだまだ、時間がかかりそうな気がします。

伊藤 そうですね。例えば「緊急事態条項」ですが、これは端的に言えば「大地震その他の異常かつ大規模な災害」時において、憲法が定めた「主権」を制限し、政府の権限を一時的に強化するのが目的です。しかし、そうした大規模な災害時において、そうした国民の人権制限が本当に必要なのか、中央政府の権限強化が必要なのかと言えば、必ずしもそうとは言えません。
 現行の憲法下でも災害対策基本法など既存の法制度によって緊急事態時の対応は十分に可能ですし、むしろ、一昨年の熊本で起きた大地震での際も、「現場」の状況を理解していない「中央」からの介入が、かえって災害への効果的な対応を混乱させたという例も報告されています。

 また、緊急事態条項を例にとっても、実際に、改憲が発議される場合、それがどのような形で行われるのかという点で、非常に難しい問題をはらんでいます。なぜなら「緊急事態条項」と言っても、その中には「政府権限の強化」「国会議員の任期延長」と「緊急事態時の主権制限」という、いくつかのまったく異なる内容を含んでいるからです。
 その憲法改正の発議のときに、「条文ごとでバラバラ」に国民投票にかけるのか? それとも「ひとまとめ」にして〇か×かで国民投票にかけるのか? また、これほど性格の異なる複数の条文を「ひとまとめ」にして改憲の是非を問うことなんてできるのか? といった点については、国会の憲法審査会でもさまざまな意見が出るはずで、改憲の発議は簡単ではないでしょう。

 ちなみに、最も議論を呼ぶであろう、憲法9条の改憲案については、先ほど指摘されたように自民党内でもまだ本当の意味での意見集約はできておらず、具体的な条文案がまとまった時点で改めて議論したいと思いますが、これだけ重要な問題を、党内での徹底的な議論も経ずに「細田本部長一任」という形で表面上、取り繕ってしまうというあたりに、自民党のなんとも軽い、お粗末な「憲法観」が表れていると言わざるを得ませせん。

 こうした「徹底した議論」を経ずに改憲を急ぐ安倍政権の姿勢。言い換えれば「改憲そのもの」が自己目的化し、その重みをまったく無視したような形で憲法改正のプロセスだけを前に進めようという姿勢が、いわゆる「護憲」か「改憲」という議論以前に、たいへん大きな問題だと言えるでしょう。
 このように「議論を軽視」する安倍政権の姿勢は、国会における「秘密保護法」や「共謀罪」「安全保障関連法」などで何度も繰り返されてきましたが、憲法改正というのは本当に慎重に議論し、真剣に考えないと、変えてしまったら簡単にはやり直せない。一度壊してしまったものは、現実的に元に戻らないということを、まず理解してほしいと思います。

 公文書を改ざん、隠蔽、廃棄して国民に対して必要な情報を与えず、論点を明確にせず、議論させず、十分な時間をかけないまま、「民は由らしむべし、知らしむべからず」という姿勢で国政を進めてきた人たちが、それと同じように憲法改正を扱うことに対する強い違和感。自分たちの考えに反対する人たちの声を「障害」としか見ない形で扱ってきた安倍政権が進める「改憲論議」に私が強い危機感を抱くのは、彼らが民主主義の基本である「議論」をあまりにも軽視しているからです。
 民主主義、立憲主義という憲法の価値そのものを否定してきた人たちが、改憲を進めようとしている。それは現行の憲法を形作る大切な価値観の「全面的な後退」にほかなりません。

著者情報

弁護士/伊藤塾塾長/法学館憲法研究所所長

伊藤真

いとう まこと

1958年生まれ。東京大学法学部卒。在学中に司法試験に合格し、司法試験受験指導を始める。現在、「伊藤塾」塾長として法律資格試験の受験指導を行う。著書に『中高生のための憲法教室』(2009年、岩波ジュニア新書)、『憲法問題』(13年、PHP新書)、『現代語訳 日本国憲法』(14年、ちくま新書)、『増補版 赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』(16年、大月書店)、『私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える』(共著、17年、岩波書店)など多数。

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