imidas - 情報・知識&オピニオン

探究

国際

タリバンに私たちはどう向き合うか 日本も当事国として参加した「アフガン戦争」の20年

伊勢崎賢治(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)

(構成・文/仲藤里美)

米国史上最長の戦争となった「アフガン戦争」とは何だったのか。日本は、旧タリバン政権に対する軍事作戦に参加し、政権崩壊後は、新たなアフガン国軍をつくるため、“旧軍”である反タリバン武装勢力「北部同盟」の武装解除を行った。2003年から日本政府代表としてその武装解除を担った伊勢崎賢治さんが、アフガン戦争の20年を総括する。

ガニ大統領が国外脱出し、大統領府を掌握したタリバンの戦闘員たち (2021年8月15日)

ガニ大統領が国外脱出し、大統領府を掌握したタリバンの戦闘員たち (2021年8月15日)

 

タリバンのカブール掌握は「予測できた展開」だった

 8月15日、アフガニスタンでタリバンが首都カブールを掌握、ガニ政権が崩壊しました。これは、今年4月に米国のバイデン大統領が「アフガニスタンからの米軍完全撤退」を表明した時点で、当然予測できた事態だったと思います。

 撤退自体はこれまでの大統領も何度も表明してきましたが、そこには常に「民主選挙の実施」「アフガン国軍・警察の増強」といった「撤退できるための条件」が伴っていました。それに対して、バイデンは今年9月11日までに「無条件で」完全撤退する、と述べたわけです。

 タリバンの猛攻が続いてはいても、カブールとその周辺にはなんとかアフガン政府の支配が及んでいる。そうしたアフガニスタンの状況は、米軍の存在があってかろうじて維持されてきたものでした。その米軍という後ろ盾がなくなる以上、タリバンにとっては、アフガン政府と交渉する意味はもはやない。力で実効支配を広げようということになるのは当然でした。私がタリバンでもそう考えたでしょう。

 ただ、少し予想外だったのは、カブールが包囲された後の事態の進み方です。私は、数日間はそのまま膠着状態が続き、最終的には政治的交渉になるのではないかと考えていました。しかし、実際にはその日の午後にはタリバンは市中に侵攻、それに伴いガニ大統領は国外脱出。その後、タリバンは大統領官邸を占拠、16日朝早くに勝利宣言を上げました。

 タリバン自身、カブール包囲の当初は「武力で首都を陥落させるようなことはしない」として、政治的決着を匂わせていました。それがわずか半日で破られ、ああいう事態になったのは、上層部が下部の兵士たちの暴走を押さえきれなくなったからでしょう。そのように、タリバンが末端まで指揮系統の確立した強固な集団ではないということは、理解しておく必要があります。

 タリバンのコアな兵士の数はせいぜい7万〜8万人といわれています。もちろんこれだけでは、30万人以上いた政府軍兵士と、それと同規模の国家警察・地方警察、さらには米軍やNATO軍がいる中で、アフガニスタン全土を制覇することは不可能です。にもかかわらず、あっという間にタリバン軍が勝利を手にした。これは、もともと強固なタリバン支持というわけではない、その時々で有利な方に支持を切り替えてきた無数の土着の武装組織が、またも「帰依」先をパタパタとタリバンに変えていった、ドミノ式の全国制覇だったといえます。

 そしてその背景には、世界でも指折りに腐敗した政権ともいわれていたガニ政権への、恒常的な不満があります。このどうしようもない政権を変えてくれるんじゃないかという人々の期待が、タリバン支持への強い追い風になった。そしてそれは、アメリカを中心に、日本も含めた国際社会が20年をかけて深く関与したアフガニスタンの「国づくり」が失敗したということを意味しています。

 

失敗した「統一国家」の建設

 そもそもこの戦争は、2001年9月のニューヨーク同時多発テロ事件を受けて、米英軍がアフガニスタンを空爆したところから始まっています。当時のタリバン政権が、テロ事件を首謀した武装勢力アルカイダを匿っているというのがその理由でした。

 01年の末にそのタリバン政権が崩壊すると、国際社会はそこに新たな「ネーション」をつくることを目指そうとしました。暫定政権を置き、国家の象徴となる「国軍」を育てて、人権や民主主義といった価値観に基づく統一国家を確立する。いくらアフガンが多民族国家であっても、それは可能だと誰もが信じていたのです。もちろん、私自身もその一人でした。だからこそ日本政府特別代表として、新しい単一の国軍をつくるために、民族ごとに強く結束して武装していた軍閥たちをすべて武装・動員解除する作業を進めていったのです。

 しかし、結果としてその「国づくり」はうまくいきませんでした。特定の民族同士が対立しているといった単純な構図ではない、きわめて複雑に多民族が入り組むアフガニスタンに、「統一国家」という概念を持ち込むこと自体が果たして正しかったのかどうか。軍閥を解体せずそのまま維持しながら、それらを緩やかに一つにまとめ、軍縮を促してゆく。そのように建国の当初から連邦制を導入することを、視野に入れるべきだったのではないか。これは今後、再びタリバン政権が分裂・崩壊して、また国際社会が介入するようなことになった場合にも、生かされるべき教訓ではないかと考えています。

 さらに、そうして新政権・国軍づくりが難航する一方で、2014年には現地の治安維持を担っていた米軍・NATO軍主体のISAF(国際治安支援部隊)が撤退します。主力戦力としての治安維持の任務はアフガン国軍とアフガン警察に移行され、米軍・NATO軍はその訓練と指導へと役割を転換させて“一歩引く”という体制が始まったのですが、これによってタリバンは勢いづき、急速に支配地域を広げていくことになりました。実は、そのあたりから、タリバンはアフガン国土の半分をすでに実効支配していると言われ始めていた。今回のカブール陥落に至るタリバンの実効支配は、突然始まったわけではなかったのです。

 本来なら米国やNATOはもっと早くに武力でタリバンに勝つことをあきらめ、政治的和解に向けた交渉に切り替えるべきだったと思います。私自身も2006年ごろから、和平に向けた東京での非公式会議(2010年)を設定するなどの努力を重ねてきました。しかし、これもうまくはいきませんでした。米国はタリバンを国際的テロ組織であるアルカイダと同一視していたし、アフガン国内の他の勢力、またNATO諸国の反発も大きかったのです。

 NATO諸国の会議に日本代表として呼ばれたときに、「アフガンでの軍事的な勝利はもう無理だから、政治的交渉を」と述べたこともあります。そのときには現場のNATO軍司令官たちからも同様の声が出始めていて、私の意見はそれを代弁するような形だったのですが、会議に出席していた政治家たちは「何を馬鹿なことを言っているんだ」と取り合わなかった。アフガン政府の代表として出席していた女性議員たちも「あのタリバンと交渉するなんて」と強く反発し、休憩時間に唾を吐きかけられそうになったことさえありました。

 

バイデン政権の「歴史に残る大失敗」

 そうして米国・NATO側が政治的交渉に持ち込めないでいるうちに、タリバンはますます勢力を拡大していきました。そうなると、さらに「和解」を持ち出すことは難しくなります。負けている方から言い出せば、当然ながら悪条件をも呑まなくてはならなくなるからです。

 結局、米国が単独でタリバンとの政治的交渉に踏み切ったのは2019年、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権になってからでした。世界でも突出した超大国アメリカが、非合法武装集団に過ぎないタリバンと外交交渉を始めたのです。トランプは、良くも悪くも損得のみで動く大統領でしたから、莫大な予算のかかるアフガン駐留は「無駄」としか思えなかったのでしょう。

 ただそれは、肝心のアフガン政府抜きで、タリバンと直接対話するといういびつな形での交渉でした。何度か交渉を続けた後、トランプ政権は20年2月、タリバンとの間に「21年5月1日までに米軍は完全撤退する」という内容の和平合意を結びます。

著者情報

東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授

伊勢崎賢治

いせざき けんじ

1957年、東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インドに留学中、現地スラム住民の居住権をめぐる運動に関わる。国際NGOで10年間、アフリカの開発援助に従事。2000年より国連PKOの幹部として、東ティモールで暫定行政府の県知事を務め、2001年よりシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長。2003年からは、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担った。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書、2004年)、『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社、2015年)など。共著に『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(集英社クリエイティブ、2017年)など。イミダスの連載「伊勢崎賢治・布施祐仁に聞く『日米地位協定と主権なき日本』」はこちら!

関連記事