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なぜ「南北分断」を知らなければ、韓国を理解することはできないのか

徐台教(ジャーナリスト)

(構成・文/加藤直樹)

 もう一つ。分断体制は保守系の為政者にとって「打ち出の小槌(こづち)」なんです。いつでも北朝鮮の脅威を持ってきて、民主主義を後退させることができる。それを見せてくれたのが、尹錫悦の「非常戒厳」でした。

 尹は就任以来、一貫して北側との対決姿勢をずっと強めてきた。ついには非常戒厳の2カ月前には平壌の金正恩の執務室までドローンを飛ばして、一触即発の状況を無理やりつくりだそうとした。北朝鮮との対立激化によって、自らの権力を強化しようとしたわけです。

 もし尹の非常戒厳が成功していたら、これまで築き上げてきた民主主義は崩壊し、韓国は全斗煥(チョン・ドゥファン)が政権を握った1980年に戻ることになったはずです。これを阻止して、進歩派の李在明が大統領に就任すると、彼は国連総会で、「韓国は民主主義国家に戻った」と宣言しました。ほっとした半面、当然の前提である民主主義を再確認しただけとも言えます。「またそこからなのか」という徒労感があります。

 この構図が、「分断体制」が韓国社会に与えているもう一つの制約です。保守派が軍事的緊張を高め、「北の脅威」を梃子(てこ)に民主主義を後退させようとする。そうすると、それを進歩派が食い止める。そうすると熾烈な権力の取り合いになって、結局は保守派と戦って勝つことが至上命題になってしまう。「保守派に負けない」ことに全力を注がないといけない。そうなると、ほかの議論は霞んでしまう。社会問題や労働問題は、後回しになってしまうんです。これを「民主化遅滞効果」と呼ぶ学者もいます。民主主義を維持することに多大のエネルギーが割かれ、社会問題が後回しにされる傾向を指すものです。

 たとえば、朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の1970年に全泰壱(チョン・テイル)という若い労働者が抗議の焼身自殺を行いました。この事件は社会に衝撃を与え、労働問題の深刻さを知らしめました。でも1987年の民主化闘争のあとに引き継いで労働状況の改善を訴えた運動は成果を得られなかった。当時は、民主化の方が喫緊の課題とされていたわけです。労働問題は二の次にされた。そして1997年のアジア通貨危機が起きます。その翌年、国では、ようやく真の意味での政権交代がありました。民主化運動の闘士・金大中(キム・デジュン)が大統領になったのです。しかしアジア通貨危機を乗り越えるため、リストラが横行し雇用が流動化するなど、またもや労働者が切り捨てられた。こうして、社会問題、労働問題の議論は常に後回しにされてしまう構造が続いてきたのです。

 韓国の政治は、保守派と進歩派の対立として説明されますが、この場合の「進歩」とは、最低限の民主主義を守り、北朝鮮との緊張を緩和するという立場にすぎません。進歩派と呼ばれている「共に民主党」は、経済的、社会的課題への姿勢で見れば「保守中道」です。保守右派と保守中道派が北朝鮮への態度をめぐって激しく対立する一方で、平等や再分配、労働者の健康や安全といった、日々の暮らしの中で人々が解決を求める問題の解決は進展しない。

 朴槿恵退陣を求めた2016年の「ろうそく集会」では、こうした構造そのものへの批判の声が上がっていたと思います。例えば集会に参加したマイノリティの人たちは、包括的差別禁止法の制定を求めていました。彼らは、「もう後回しにされたくない」と叫んでいた。しかし、ろうそく集会を通じて誕生したとも言える文在寅政権ですら、包括的差別禁止法はおろか、格差の改善などの課題にほとんど手を付けることができなかった。またもや「後回し」にされたのです。

 平等や再分配を強調すれば「アカ」として忌避され、保守右派と保守中道派が北朝鮮をめぐって熾烈に争うという分断体制のもとでは、社会的な問題の解決がなかなか進まない。徐輔赫(ソ・ボヒョク)という政治学者は、「韓国民主主義の最大値は分断体制が規定する」と表現しました。分断体制が、韓国社会のこれ以上の発展を妨げているのです。

 2018年に、文在寅が金正恩と会談したとき、この会談への支持率が90%を超えました。驚異的な数字です。もちろんそれは、朝鮮半島の統一を願う民族心の発露ですが、それだけでなく、分断体制がもたらすこうした八方ふさがりを脱したいという思いもあったのではないかと私は思います。

 

30年のボーナスタイムと、その終わり

 でも韓国は、ただ受け身で分断体制に閉じ込められていたわけではありません。それどころか、この30年間、分断の時代を終わらせるために大変な努力を払ってきました。

 1980年代以降の韓国が経済発展と民主化の二兎(にと)を勝ち取って国際社会で評価されるようになると、圧倒的な経済的優位を背景に、韓国は積極的に動きだします。「反共」でも「北進」でもなく、「平和統一」を掲げて、民主化後の改正憲法にそれを目標として書き込みました。冷戦の終結で、アメリカの一極覇権が確立したことも追い風になった。

「平和統一」の働きかけは、1980年代末以降の盧泰愚(ノ・テウ)の「北方外交」に始まり、金大中の「太陽政策」、盧武鉉の「平和繁栄政策」と続きました。

 朝鮮半島の分断構造は、南北だけで完結しているものではなくて、朝鮮戦争と冷戦時代から引き続く大国主導の枠組みに組み込まれています。1920年代、30年代生まれの指導者たちは、気骨をもってそれに挑みました。90年代に一貫して南北交渉を担った元軍人の林東源(イム・ドンウォン)は、クリントンに「1905年にアメリカは日本との間で桂タフト協定を結んで日本の韓国支配を認めた。その借りを返してもらいたい」と、タンカを切ってみせたそうです。韓国人としての意地を見せた。

 38度線上の共同管理区域で、南北の兵士がひそかに友情をはぐくむという映画『JSA』が公開されたのが2000年です。あの年には金大中と金正日による、史上初の南北首脳会談があった。それから2005年ぐらいまでは、南北関係が最も良好な時期でした。2005年には民間航空機が毎日、平壌とソウルを結んで飛んでいた。今じゃ考えられないでしょう。

 だけど、こうした30年間の努力は、最終的に「限界」にたどり着いたと、私は見ています。

 実は「平和統一」路線というのは、韓国の圧倒的な優位という関係を前提に北朝鮮の体制を変えようとするものでした。北朝鮮の体制を変えて、韓国主導で統一を実現する。太陽政策は北に「宥和的(相手を寛大に扱い譲歩すること)」だと保守派からはよく批判されていましたが、実際は「宥和的」なのではなく「融和的(溶けあって一つになること)」だったと言えます。よく言われるたとえですが、北朝鮮を飴玉だとしたときに、砕いてのみ込もうとするのが保守派で、ゆっくり舐めて溶かしていってのみ込もうというのが進歩派だった。韓国のマネーパワーや文物が浸透していけば、いつか体制が変化するだろうと。どちらも、最終的には吸収統一の未来を念頭に置いていたのです。

 でも北側は当然、韓国のそうした目論見は見抜いているわけです。韓国側は、盧泰愚のときにすでに「力の優劣で決着がついた」と言っています。北側に対して「負けを認めろ」という話です。そうした優越感は、文在寅や現大統領の李在明に至るまで韓国の保守派・進歩派ともに一貫しています。北朝鮮としては絶対に受け入れられない。だから、必死に自らの体制を守ろうとした。

 そうこうしているうちに、朝鮮半島をめぐる国際情勢は大きく変わりました。アメリカ一極覇権から米中対立の新冷戦に転じ、核武装をした北朝鮮がロシアに接近しています。もはや、韓国が圧倒的に優位と言える状況ではありません。

 30年間のボーナスタイムは、終わってしまったんです。韓国のチャレンジは失敗した。まずは、それを認めるしかありません。

 しかし尹錫悦の非常戒厳によって、私たちは分断体制という韓国の軛(くびき)をあらためて突きつけられました。北朝鮮を口実にして権力を正当化しようとする保守派と、それを阻止しようとする進歩派の対立は激化する一方です。若者の間では極右が広がり、気に入らないものすべてに「アカ」というレッテルを貼っている。「内戦」という言葉さえ聞かれるようになるなか、社会問題の改善はいっこうに進まない。

著者情報

ジャーナリスト

徐台教

ソ・テギョ

1978年、群馬県生まれの在日コリアン三世。小学校は朝鮮学校、中学校・高校は公立学校で学び、1999年からソウル在住。韓国の高麗大学東洋史学科を卒業後、人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年、韓国に「永住帰国」すると同時に独立。現在「コリア・フォーカス」編集長。主な取材テーマは、朝鮮半島の分断、南北関係、韓国政治など。Yahoo!ニュースや日本メディアへの寄稿・出演多数。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。2022年、「第七回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。著書に『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』(集英社クリエイティブ)がある。

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