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社会問題

自由なき自主憲法か、自由ある占領憲法か

右翼活動家が斬る安倍政権の改憲論と愛国心のあり方

鈴木邦男(新右翼一水会顧問)

(構成・文/本間公子)

 政治家が第一にすべきは、「戦争をしないこと」である。そして、国民が自然と愛国心を持てるような国にすることだ。ところが、自民党は9条を改正して国防軍を作るといい、寄る辺のない人たちは、国家が強くなれば自分たちも強くなれるような錯覚を抱いて「中国や韓国になめられるな。倍返しにしろ」とか、戦争を経験したこともないのに、ゲーム感覚で「戦争をやれ」とあおりたてる。
 無能な政治家は、それが国民の声だと勘違いして、「強いことをいえば愛国者として支持される」と過激な発言を繰り返す。
 政治家は強行ムードに乗じるのではなく、きちんと諭すのが本来の務めではないだろうか。そして「核兵器は持たない」「徴兵制は施かない」「海外派兵はしない」など、「平和国家としてこれだけは守る」と宣言したうえで、必要最低限の軍備を持つにはどうしたらいいのか、アメリカとの同盟はどうしたらいいのかを考えて、憲法改正の論議をすべきである。
 作家の三島由紀夫は、憲法改正を求めて自衛隊に決起を呼びかけたのち自決したが、徴兵制には反対していた。彼は、「国防は国民の名誉ある権利であり、徴兵制にすると汚れた義務になる」と言っていた。
 重みのある言葉だと思う。
 1905年、日本が日露戦争に勝利した際、全権代表としてポーツマス条約締結にのぞんだ外務大臣の小村寿太郎は、帰国後に「賠償金も取れない腰抜け」など様々な罵声を浴びせられ、日比谷公園で焼き打ち事件が起きた。しかし小村には、ここで戦争を終結させられるなら「日本に帰って殺されてもいい」「売国奴と言われて一生汚名を着せられてもいい」という覚悟があったように思う。
 彼のような人こそ真の愛国者であり、今の自民党のように強行派の意見に乗っかって改憲を推し進めようとしているのは、非常に安易だし、危ないと思う。天皇を元首にして国防軍を置き、「強い国家」を作るつもりなのかもしれないが、それは根本的に間違っている。義務だけを押し付け、責任も取らずに逃げ出す政治家たちに、愛国心を語る資格などない。
 それに引き換え、自民党の改憲案は、いろいろなことを汚れた義務にしようとしているような気がしてならない。

憲法改正の議論は国民投票で問うべき

 僕は、現行憲法はアメリカによる「押し付け憲法」「占領憲法」だと思っていて、自主憲法の制定には賛成だが、自民党や安倍政権がやろうとしている改憲は、国民の自由を大幅に制限するものだと感じている。
 たとえば憲法13条の「国民の権利」についてのくだりでは、現行憲法には〈公共の福祉に反しない限り〉最大限に尊重する、とある。一方、自民党案には〈公益及び公の秩序に反しない限り〉とあり、政治家が「国のため」「公共のため」の名目で、国が国民を指導すると受け取れる。つまり、国民は自由だとか権利だとか、愚かなことは考えるなということだ。
 憲法学者である伊藤真氏らは、「憲法は国民が自由に、豊かに生活できるためにあり、それに干渉する権力者、政治家を縛るものだ」と言っている。にもかかわらず、政治家が国民に対してああしろ、こうしろと言うのは絶対におかしい。
 先に述べたように、僕はアメリカの傭兵になるのも、にせ物の愛国心を強要されるのも「まっぴら御免」だ。
 そもそも国家があって国民がいるのではなく、国民がいて、その国民の自由と平和のために国家がある。憲法も国民の権利のためにあるわけで、自由のない自主憲法より、自由のある占領憲法のほうがずっとマシだ。
 いずれにしても、憲法は国民の自由をもっと認めるべきである。たとえば集会、街頭演説、チラシ配り、ビラ貼り、デモ行進等の、いわゆる表現の自由は無制限に認めてほしいと思っている。
 憲法改正の議論をするにあたっては、まずは国民投票で「改憲が必要か否か」を問うてみてはどうだろう。その結果、国民が今のままでいいというなら、アメリカの押し付けではない日本の憲法だと、堂々と胸を張って認めればいい。
 改憲が必要だというなら、いろいろな立場の人が意見を出し合い、最低でも5年以上はかけて、じっくり検討すべきである。

著者情報

新右翼一水会顧問

鈴木邦男

すずき くにお

1943年、福島県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。72年に右翼団体「一水会」を結成。99年まで代表を務め、現在は顧問。著書に『愛国と憂国と売国』(集英社新書)、『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『新・言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)、『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)ほか。

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