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社会問題

自由なき自主憲法か、自由ある占領憲法か

右翼活動家が斬る安倍政権の改憲論と愛国心のあり方

鈴木邦男(新右翼一水会顧問)

(構成・文/本間公子)

 安倍政権が現行憲法の改定、および国防強化を政策として推し進めている。その足がかりとなるのが、自由民主党が2012年に取りまとめた「日本国憲法改正草案」である。国民不在とも思える改憲議論の流れ、愛国心の旗の下でキナ臭さを増すリーダーシップを、生粋の右翼活動家はどう見ているのだろうか? 

憲法は運動家たちに利用されてきた

 最初に申し上げておくと、僕は憲法改正論者だ。
 右翼学生として活動していた頃は、現行憲法はアメリカからの押し付けであり、日本を骨抜きにすることを目的に作られたものだ。だから日本はいつまでたっても国家としての誇りが持てず、ゆえに「政治も経済も教育もダメなんだ」と思っていた。憲法こそ諸悪の根源であり、それさえ改正すればすべてのことがうまくいく、と固く信じていたのである。
 しかし右翼として活動を続けるうちに、そんな自らの思いに疑問を感じ始めた。憲法を変えれば、本当に政治も経済も教育もよくなるのか。日本から犯罪者や貧困者や不登校児童がいなくなるのか。大体、日本人が作った明治憲法下でも諸問題はあったわけだし、今後すばらしい新憲法を作ったとしても、これらの問題がすべて解決するわけではないだろう。
 むしろ世の中は、まったく変わらないかもしれない。でも一度はきちんと見直すべきだろう、と思っている。そのぐらい憲法に対しては、リラックスした姿勢でのぞむべきなのだ、と考えを改めたのである。
 全体を変えようとするから、右翼・左翼といったイデオロギー的な闘いになってしまう。「押し付けられた憲法だから何が何でも変えなくては」とか、「日本の平和は憲法のおかげだから守るべきだ」とか、改憲派や護憲派は、運動論的に考えすぎる嫌いがある。
 以前、護憲派の人に「今の憲法は旧仮名づかいと旧漢字で書かれていて、六法全書なんかを読むと英語の原文まである。これはやっぱり変だろう。せめて新仮名づかいに直したほうがいいんじゃないか」と言ったら、「改憲派の議論に巻き込まれて、9条も変えざるを得なくなるからダメだ」と反論された。
  僕自身、憲法9条の理念である「戦争のない世界をめざす」ということには賛同するし、その考えは捨てるべきではないと思う。そのあたりの了解を取り付けたうえで、自衛隊や天皇のあり方についても、個々の問題に区切って、きちんと議論すべきではないだろうか。
 僕も昔は強固な改憲論者だったから、何か事件が起こると「そらみろ、憲法が悪いからだ」「だから改憲を!」と言ってきた。社会運動は一つの問題に集約してターゲットを単純化すると、人も力も結集できる。つまり憲法は、運動家たちによっていいように戦略的に利用されてきたのだ。

自民党の改憲案は相当卑劣なやり方だ

 今の自由民主党(自民党)も同様だ。第二次世界大戦以降、自分たちがずっと政治をやってきたにもかかわらず、成果が上がらなかったのは憲法と教育基本法のせいだとして、「憲法を変えればすべてうまくいく」と主張している。自らの力不足を弁解する口実に、憲法を利用しているような気がしてならない。
 自民党の日本国憲法改正草案では、憲法96条を改定して改憲のハードルを下げ、自分たちの有利になるようルールを変えようとしているが、これは相当卑劣なやり方である。改憲派である小林節氏も「96条の改定は裏口入学だ」と、激しく糾弾している。自民党の言っていることが正義で、「大多数の国民は分かってくれる」という自信があるなら、ハードルはもっと高くてもいいはずである。
 他にも、自民党の改憲案は論外だと感じる点が多々ある。
 まずは憲法前文。現行憲法では〈政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し〉とあり、かつての戦争に対する反省が多少なりともある。ところが自民党案では〈我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており〉と変えられている。これでは戦争への反省や責任は、みじんも感じられない。
 さらに自民党案では、強い国家を目指すとして、憲法1条で〈天皇は、日本国の元首であり〉と言っている。天皇を元首にするということは、政治的責任が生まれるわけで、もし日本が戦争をするようなことがあれば、陛下にいろいろな判断を押し付けてしまうことになる。
 それは陛下ご自身も、望んではいないだろう。
 だから僕は、天皇陛下は文化的、歴史的に日本を代表する存在として、今のままでいいと思っている。また次の天皇を誰にすべきかは、天皇家に決めていただければよいのであって、憲法でああしろ、こうしろと言うべきではない。
 以前、大前研一氏と対談した時、彼が「自分は天皇家を大事だと思っている。だからこそ、憲法に書くべきではない」と言っていた。「皇室には何千年もの歴史があるわけで、たかが何十年の歴史しかない憲法に入れる必要はないし、天皇は憲法を超越した存在だろう」と。
 なるほど、そういう考え方もあるのだな、と妙に納得したのを覚えている。

憲法は国家の夢や理想を語るメッセージ

 自民党案の中で、僕が最も危険視しているのが9条だ。自民党は自衛隊を国防軍にして、さらに軍事審判所を置くと言っている。つまり軍人としての任務を放棄したら、軍法会議にかけ、刑務所に入れるということだ。そうなると、日本国内に別の法律体系をもった集団が存在し、国家内国家になってしまう。これは戦前戦中の古い体制に、逆戻りすることに他ならない。
 そもそも国防軍を作ることに、僕は反対である。現代では内乱やクーデター、ゲリラなど、いわゆる自国内における争いがほとんどで、かつてのように国家と国家が宣戦布告をして行う戦争は、国際法でも原則違法とされている。あるとすれば、アメリカなどの大国が「この国は許せないから制裁しよう」という戦争だ。
 2003年に始まったイラク戦争は、大量破壊兵器を持っているイラクを制裁するという名目で、アメリカ側が仕掛けたものだったが、実際には大量破壊兵器は存在しなかった。あれは単なる殺戮(さつりく)で、侵略戦争だった。
 当時の自衛隊は、9条があったから非武装で現地に赴き、戦闘行為に直接加わることはなかった。しかし今回の自民党案が通れば、アメリカの傭兵として武器を持ち、人殺しまでさせられてしまう。
 強力な改憲論者の小林よしのり氏も「9条を改正して国防軍ができると、アメリカに言われるままに動くしかない。それよりは今のままの方がまだいい」と言っている。
 僕も、自衛隊は今のままの形でいいと思っている。東日本大震災で「自衛隊がいてくれてよかった」と、多くの国民が感じたはずだ。厳密にいえば9条には違反するが、今では護憲派の人でさえ、その存在を容認している。
 武器を持たず、人を殺さず、災害時には最先端の技術とノウハウをもって救助に向かう。世界的に見ても、日本の自衛隊は軍隊が進化した形だと思うし、それをすべて否定して、遅れた形の軍隊に戻すのは滑稽きわまりない。左翼の中には、軍備を捨てて災害救助隊にすればいいという人がいて、「それも一理あるなぁ」と思ったが、普段から戦争を想定して厳しい訓練を受けているからこそ、危険をかえりみず被災地に乗り込み、遺体の捜索や収容ができるのだ。
 だから今はこうした形での自衛隊を認めて、徐々に「保安隊」に戻していけばいいと思う。さらに「警察予備隊」を経て、最終的には軍備を一切持たない警察だけにする。それを世界にアピールして、他の国々にも、自国の軍隊を自衛隊化してもらってはどうだろうか。
 併せて、日本は原爆を落とされた唯一の国として、核兵器を保有する権利があると僕は思っているが、その権利を放棄するから世界中の国々も核兵器を持つのはやめてくれとアピールする。
 そんな憲法を作ってもいいのではないか。
 戦争のない世界なんて夢物語かもしれないが、憲法は「国家の夢や理想を語るメッセージ」だと僕は思う。極論すれば、刑法や商法などの法律があれば、憲法なんかなくてもいい。実際イギリスなどは、成文化された憲法をもたない。
 それでも憲法を作るのは、国家の理想や夢をうたいあげるものだからだ。だから現実に合わせて理想を低い方へ落とせ、というのは間違っているし、そういう後ろ向きな憲法改正に僕は断固として反対する。

今の政治家に愛国心を語る資格なし

著者情報

新右翼一水会顧問

鈴木邦男

すずき くにお

1943年、福島県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。72年に右翼団体「一水会」を結成。99年まで代表を務め、現在は顧問。著書に『愛国と憂国と売国』(集英社新書)、『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『新・言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)、『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)ほか。

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