「世界一厳しい」新規制基準で次の原発事故は防げるか?
――新基準は、万が一格納容器が破損したとしても、あらかじめ配備した高圧放水車で水をかけて、大気中に漏れ出す放射性物質、つまり放射能雲(プルーム)の拡散を抑制するとしていますが。
もともと、希ガスはどんなに放水しても一切落とせません。それに、事故が急激に進行しているときに、そもそもプルームに放水することができるかどうかすら怪しいでしょう。
テロ対策などできるはずがない
――さらに、新基準は、航空機が上空から原子炉建屋に突っ込んでくるなどテロへの対策も盛り込んでいます。これについては、どう評価されますか?
今回水素爆発で吹き飛んだように、原子炉建屋というものは、それほど強度は強くありません。特に天井部分はペラペラです。格納容器にしても、横方向には厚いコンクリートの外張りがありますが、上部は蓋があるだけです。上から航空機が突っ込んできたら、手の打ちようがないでしょうね。
青森県六ヶ所村の再処理工場をつくるときも、米軍三沢基地のF-4ファントム戦闘機が突っ込んでも大丈夫と言いましたが、それはあくまで、F-4が通常の速度ではなく、エンジンを停めて滑空してきて横から突っ込むという都合のいい「想定」なのです。
本当にテロ対策をやろうと思ったら、米国のように軍隊でやるしかないでしょう。原発の周辺にミサイルを配備して、それで原発に突っ込む前に撃ち落とすしかない。「世界一厳しい基準」にするということは、テロ対策でも米国並みにやるということです。
でも、米国のような軍事超大国でも、9.11同時多発テロは防げなかったのです。本当に原発をテロから守ろうとすれば、どれだけお金がかかるかわかりません。それは全部、国民が負担することになるわけで、「そんなのやめようよ」と私は言いたいです。
メルトダウンはすでに4回起きている
――原子力規制委員会は新基準をつくるに当たって、今回の福島の事故のように放射性物質が大量に漏れ出す事故の発生頻度を100万年に1回程度に抑制するという「安全目標」を設定しました。こうした「安全目標」が設定されたのは、日本では初めてのようですが、これは評価できることなのでしょうか?
これは、「確率論的安全評価」といって、このくらいの確率でしか過酷事故は起きないと言えれば、原発を社会的に認めてもいいだろうという考えに基づいています。
一番初めにそれをやったのが、米国の原子力委員会が取り組んだ「原子炉安全性研究(リアクター・セーフティ・スタディ)」(1975年)です。マサチューセッツ工科大学(MIT)教授のノーマン・C・ラスムッセンが長となって、どういう事故がどれだけの可能性で起きるのかというのを、何千種類のケースを想定して計算したのです。その結果、原発で過酷事故が起きるのは、地球に隕石が落ちて多くの人が死ぬのと同じくらいの確率だから、そんなものはしょうがないから無視していいという結論でした。
この報告は原子力委員会が改組されてできた原子力規制委員会によって、1975年に公表されました。しかし、直後から多数の批判が寄せられ、原子力規制委員会の中につくられた検討委員会は1979年1月に、確率計算の絶対値を信用してはならないと結論を出しました。そして、その直後にスリーマイル島原発事故が起きてしまいました。それ以降、確率論的安全評価の数字は絶対値として信用してはならないというのが、世界の常識となっています。
確率論的安全評価には多数の欠陥がありますが、プラントの外部事象については除外して計算していることも決定的です。なぜなら、外部事象は何が起こるかわからないので、確率評価をすることができないからです。原子力規制委員会が決めた、過酷事故は100万年に1回の確率に抑えるという目標も、「テロ等によるものを除く」としています。外部事象の確率は計算しようがないのです。
だいたい、実際には、この半世紀余の間に、世界では1957年の英ウィンズケール原子炉事故、1979年の米スリーマイル島原発事故、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故、2011年の福島第一原発事故と、4回もメルトダウンで炉心が溶けた過酷事故が起こっているのです。100万年どころか十数年に1回は起きているのですから、こんな数字はまったくあてになりません。
マニュアルで事故を想定する無意味さ
――新基準のシビアアクシデント対策では、ハード面(設備)だけでなくソフト(現場作業)も重視するとして、「手順書の整備や人員の確保、訓練の実施」なども要求しています。
うちの原子炉実験所にも小さな原子炉がありますので、毎年緊急時の訓練をやります。私は「マンガ」だと思っているのですが、緊急時の訓練なのに、あらかじめすべてシナリオが決まっているのです。しかし、実際の事故は予測できない形で始まり、予測できない形で進行していくのです。そんな訓練は意味がないと私はいつも言っています。
いざ事故が起こったとき、最終的に何が力になるかと言えば、現場を本当に熟知している人たちが、それぞれの能力を最大限発揮して対応に当たることしかないと私は思っています。しかし、残念ながら、最近の流れは事細かにマニュアル化し、こうなったらここのボタンを押すとか、マニュアルに従って行動するようになっているのです。平常時はそれでいいのですが、いざ事故になればまったく意味がないと私は思います。
ソフトの面で言えば、いざというときに死まで覚悟して事故対応に当たる人たちが、下請け孫請けで何の保障もないうえ、危険手当まで搾取されたあげくに使い捨てにされる状況であっていいはずがありません。そういうことをきちんとしないままに、原発を再稼働するなど論外です。
通常、自分の労働力を売って賃金を得るのが労働です。しかし、原発の労働は、労働力ではなく、むしろ被曝線量を売るわけです。私はそもそもそんな労働はありえないと思っていますが、仮に認めるのであれば、被曝限度に達し、「線量を売り終わってしまった」後の生活も保証しないと、労働者として成り立ちません。
あくまで原発「推進」のための「規制」
――この新基準をつくり、実際にこれから審査を行う原子力規制委員会については、どのように評価されていますか?
私から見れば、何の進化もない、これまでとまったく同じです。
なぜなら、原子力規制委員会の下にある原子力規制庁の役人の大半は、これまでの経産省や旧原子力安全・保安院の役員が横滑りしただけだからです。彼らは、原子力を「国是」としてずっと推進してきた人たちです。
こういう構造の中では、規制委員会の委員や委員長を誰がやっても同じです。個人の問題ではありません。私は、田中俊一さんは個人としても「原子力ムラ」の人だと思っていますから、あのような人に期待するのは間違いだと考えていますが、たとえ私がなっても一緒です。
そもそも、日本という国は原子力基本法で原子力の平和利用を進めると決めていて、その下で動く組織として規制委員会も存在しているのです。規制委員会は「安全を確保する」と言いますが、あくまで原子力を推進するための規制であって、推進すること自体に反対はできないのです。
私はとにかく原子力はやめるべきだと言い続けているのですが、この国には、そんな私の思惑とは全然違う流れがあるのです。
事故は必ず想定外で起こる
――この新基準さえクリアすれば「安全が確保された」などとは到底言えないことがよくわかりました。そもそも原発において、安全を保証する基準をつくることは可能なのでしょうか?
事故を完璧に防ぐことは、そもそもできないことです。福島の事故は、確かに地震と津波が関係していた。だから地震と津波に対して、きちっとした対策をしないといけないのは当然のことです。でも、それだけやれば事故が防げるかというと、そうではないのです。
これまでに世界が経験した4回の過酷事故のうち、福島以外の3回は、地震も津波もない中、主に設計上の問題に人為的なミスが絡んで起きているのです。ですから、地震と津波の対策ができれば安全ですと言える道理はまったくありません。
先ほども言いましたが、そもそも事故は予測できないから事故になるのです。予測できていれば大抵の事は防げます。どんなに基準を厳しくして、どんなに対策をしたところで、事故は起きると覚悟しないといけないのです。
そのことは原子力規制委員会の委員もわかっていると思います。だから、今度の基準は「安全基準」とは言わず「規制基準」にしたのです。「これで安全だ」などとは、とても言えないからです。これは「規制基準」であって、どこまで規制すればいいかということでしかありません。
繰り返しになりますが、事故になるときは、「想定外」のことが必ず起きます。今回の福島の事故を「史上最悪」と言う人がいますが、更新されない記録は存在しないように、これから先、もっと「最悪」な事故が起きる可能性は否定できません。「想定外」のことが起きて事故になったときに、その結果がたいしたことでなければ「想定外だから仕方がなかった」とあきらめがつきますが、こと原子力の場合は仕方がなかったでは済まないくらい悲惨な状況が生まれます。
原発にかぎっては、「事故が起きるかもしれない」ことを絶対に前提にするべきではありません。どんな基準をつくっても事故の可能性があるのであれば、もうやめるしかないのです。
著者情報
ジャーナリスト
布施祐仁
ふせ ゆうじん
1976年、東京都生まれ。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』で平和・協同ジャーナリスト基金賞、JCJ賞を受賞。三浦英之氏との共著『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』『経済的徴兵制』、共著に『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』などがある。
イミダスの連載「伊勢崎賢治・布施祐仁に聞く『日米地位協定と主権なき日本』」はこちら!
元京都大学原子炉実験所助教
小出裕章
こいで ひろあき
1949年生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒、同大学院修了。74年から現職。伊方原発訴訟住民側証人。原子力研究の現場から原子力廃絶をうったえる異端の研究者とされてきたが、福島第一原発事故の際に発信し続けた的確な分析と警告が多くの人々の信頼を得て、一躍時の人となった。著書に『原発のウソ』(扶桑社新書、2011年)『隠される原子力 核の真実』(2011年、創史社)など。『imidas』では、1997年版から「原子力」分野の執筆を担当。