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サイエンス

あなたの知らない「匂い」の力

食事から恋愛まで、嗅覚から見るよりよい生活の秘訣

東原和成(東京大学大学院 農学生命科学研究科教授)

(構成・文/濱野ちひろ)


 ところで、風味を楽しみ、おいしいと感じながら食事をしているのは人間だけです。食べものを飲み込むと、のど越しからすっと香りが抜けてきますが、これは体の仕組みと関係があります。人間は食道と肺への気道が喉で交差しているので、飲み込むときに一度気道の弁が閉じられ、再び弁が開くと同時にぱっと香りが鼻に通るのです。たとえば、ネズミや犬は気道と食道が別々ですから、呼吸しながら食事ができます。犬は人間よりも鼻が利いて、匂いをたどって食べものにありつくことができますが、いざ食べる段になると、味わってはいないのです。
 おいしさだけでなく、心地よさにも匂いは大きく関わります。代表的なのはアロマテラピーです。アロマ効果でリラックスができることを経験的にご存じの方も多いのではないでしょうか。ラベンダーは心を落ち着かせる、とよく言われます。ラベンダーの匂いには、人を落ち着かせるホルモンの分泌を誘引する作用があるからです。この生理変化は万人に起きます。しかし、前述したように匂いの感じ方には個体差が大きく、また記憶にも影響されますから、すべての人がラベンダーで気が楽になるわけではありません。たとえば、個人的にラベンダーに嫌な思い出のある人は、ホルモン分泌という生理変化は表れていても、嫌な記憶のほうが想起されてリラックスなどできないでしょう。
 匂いは情動に影響を及ぼしますが、自分自身のそのときの状態や体調によって、匂いの感じ方にもまた違いが出ます。ですから、アロマを選ぶときには、効能の説明書きをあてにするのではなく、実際に何種類かを嗅いでみて、そのときにもっともいい匂いだと感じるものを使いましょう。食べものと同じで、体が欲しているから、その匂いを好ましく思うのです。
 嗅覚は、幸せな食事と健康的な生活、そして空間の心地よさに直接関わるものです。五感をバランスよく豊かに使って暮らしているのは人間だけです。嗅覚の研究が今後一層進み、脳や神経回路、遺伝子との関連性まで明らかになってくれば、私たちの生活はより充実したものとなるでしょう。

著者情報

東京大学大学院 農学生命科学研究科教授

東原和成

とうはら かずしげ

1966年生まれ。1989年、東京大学農学部卒。1993年ニューヨーク州立大学で博士取得。その後、デューク大学医学部博士研究員などを経て、2009年から現職。匂いやフェロモンなど、小さな化学物質の受容や、その生命活動への影響などを調べる日本の第一人者。嗅覚に限定した研究にとどまらず、脳の神経回路メカニズムとの関係性の解明にも尽力し、「匂い」や「嗅覚」に関わる食や生活の向上の提案にも力を入れ、各方面からの取材や講演活動も精力的にこなす。
編著書に『化学受容の科学』(編集、化学同人、2012年)、『においと味わいの不思議』(共著、虹有社、2013年)などがある。

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