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中島岳志+想田和弘 特別対談2――安倍首相に欠けているものとは? 世界によって自分が変えられないために、今何をすべきか?

庶民の英知。そして日常を引き受けるということ。(後編) 

想田和弘(映画作家)

中島岳志(政治学者)

(構成・文/仲藤里美)

想田 そんな中で、中島さんの『保守と立憲』を読んでいて非常に大事だと思ったのが、「立憲」「リベラル」「保守」といった言葉について、非常に分かりやすくはっきりと定義されていたことです。先ほども、先人へのリスペクトが欠けた安倍首相の態度は「保守」からは遠いところにあるという話がありましたが、このあたりの概念の混乱を正していかないと、今の流れには太刀打ちできないと感じます。

中島 安倍首相や、あと橋下前大阪市長なども、選挙で民意によって選ばれた自分たちに最終的な決定権があるという発言を繰り返していますね。憲法という「過去からの歯止め」よりも、今生きている人間によって選ばれたことの方が重要だ、と考えているのでしょう。彼らはしばしば「保守」だと言われますが、この考え方はむしろ「革新」だとしか思えません。

想田 それを更に強烈にしたのがトランプ大統領ですね。彼も、一応「保守」と言われている共和党の大統領です。安倍首相もトランプ大統領も、「保守ですよ」と言いながら革命的な──もっと言えば破壊的なことをやっているのに、なぜか「保守」というラベルの方が一人歩きしていく。このねじれを整理しないと、僕たちの思考は混乱したままになってしまうと思います。
 もしかしたら、故意に混乱させられているのかなと思うこともあります。安保法制が成立する時に、野党が「戦争法案」という呼び方をしたら、安倍首相はそれを躍起になって攻撃しましたよね。あれは、せっかく「平和安全法制」というネーミングで人々の意識を混乱させごまかそうとしているのに、本質を突くようなことを言うな、というふうに聞こえました。「裁量労働制」や「テロ等準備罪法」もそうですが、彼の戦略のコアに、「本質とはあべこべのネーミングをすることで、名称の方のイメージを印象付ける」というものがあるように思います。

中島 安倍内閣が生まれ、「橋下維新ブーム」があり、という中で、ここ数年僕はずっと「言葉の崩壊」について考えています。社会はやはり言葉によって成り立つもので、権力者が言葉を恣意(しい)的に操作すれば、それだけで社会は大きく変わってしまう。言葉の意味が崩壊すれば、社会の何もかもがめちゃくちゃになっていく。日本だけではなく世界中が今、その境界線に立っていると感じます。だからこそ、自分たちが使っている言葉を一つひとつ、きちんと定義し直さなくてはならないと思ったのです。
 今回の本の副題「世界によって私が変えられないために」は編集者が付けてくれたのですが、もともとはガンディーの言葉で、もう少し前後を付け加えるとこうなります。〈あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである〉。とてもいい言葉だと思います。
 一人ひとりの「自分が変えられないようにするため」の行動が集まって大きな力になるのが社会というものなのだと思います。今、物事を考えるときの時間軸がどんどん短くなっていっていて、政治についても多くの人がみんな3カ月後くらいしか見ていない気がするのですが、例えば10年後、100年後とスパンを広げれば、違うものが見えるかもしれない。過去から現在、未来へとつながる長いスパンで考えつつ、自分の生活の中で何をすべきかを考える。今すぐに世界を変えるためではなく、世界に自分が変えられないための行動を、みんなでちょっとずつやっていく、そういうふうになればいいなと思っています。その中で、僕にとっては「言葉についてきちんと考える」ことが自分の役割なのかな、と。

想田 おっしゃるとおりですね。僕は、今一番やってはいけないのは「焦ること」ではないかと思っています。焦って何かを一気に解決しようとするのは、安倍首相のやり方とコインの裏表みたいなもので、結局はうまくいかないのではないでしょうか。
 ただ、「こうやれば一気に状況をひっくり返せる」ということに対する誘惑は非常に大きい気がします。だから、その発想が出てきた時に、どう踏みとどまれるか……。昨年(2017年)の「希望の党」の結党なんて、まさにそういう感じだったでしょう。

中島 「拙速」でしたね。

想田 中にいた人たちは、オセロで角を取ったみたいに、これでひっくり返せると思っていたんじゃないでしょうか。でも、そういうのはやっぱり本物じゃない。本物の変化を起こすにはすごい時間が掛かるということを忘れてはいけないと思います。
 僕がよく言うのは「ゴミ拾い」です。この世にはいっぱいゴミが落ちていて、もちろん一人では拾いきれないし、中には一人では絶対に動かせないような大きいゴミもある。じゃあ、目の前のゴミを一個拾うことに意味がないのかというと、そんなことはないはずなんですね。
 これは中島さんのおっしゃったこととも共通しますが、ゴミを一つ拾えば確実に一つ分、世の中はきれいになる。しかも、それを見ていた誰かが「私も拾おうかな」と言ってまた一つ拾ってくれるかもしれないし、「じゃあ、この粗大ゴミをみんなで動かそうよ」と協力する人も出てくるかもしれません。
 ただ、この時重要なのは「強制はできない」ということ。自分自身は淡々とゴミを拾いながら、周りの人が自発的に「拾おうかな」という気になるのを待つしかないんだと思います。

中島 ガンディーも「内発性の喚起」ということを言っています。ガンディーが300キロにもわたる「塩の行進」 をやったのも、断食を重ねたのも、それによってガンディーの伝えたいことが言葉ではない次元で伝わった時に、人々の間に大きな力が内発的に生まれてくると考えたからでした。おそらく、そうした「内発性の喚起」こそが今の日本に一番欠如しているもので、僕はなんとかそれを取り戻したいんですよね。

想田 自発的にゴミを拾う人が増えてくるには時間は掛かるかもしれないけれど、待つしかない。そこで人をだましてやらせたり、「ゴミ拾いしたらお金が儲かるよ」なんて言い始めたのでは、また本物ではなくなってしまうのだと思います。

中島 民主党政権も含め、最近の政府が国民に提示し続けてきたのは、常にそうした功利主義だったと思います。僕たちはここでもう一つ、それとは全然違う原理を提示する必要がある。それはおそらく、最初に話し合った「猫に餌をやる」ような行為を含んでいる何かなのではないか、と思います。

観察映画『港町』より

 

著者情報

映画作家

想田和弘

そうだ かずひろ

1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。93年からニューヨーク在住。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』(2007)、『精神』(08)、『Peace』(10)、『演劇1』『演劇2』(12)、『選挙2』(13)、『牡蠣工場』(15)、『港町』(18)、『ザ・ビッグハウス』(18)があり、海外映画祭などで受賞多数。最新作『精神0』(20)は、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門エキュメニカル審査員賞受賞、〔仮設の映画館〕にて公開中、ほか全国の映画館で順次公開。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『カメラを持て、町へ出よう』(集英社インターナショナル)、『観察する男』(ミシマ社)、『THE BIG HOUSE アメリカを撮る』(岩波書店)などが多数。

政治学者

中島岳志

なかじま たけし

1975年大阪府生まれ。専門は南アジア地域研究、近代日本政治思想。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授に。『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、2005年に大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『インドの時代―豊かさと苦悩の幕開け』(新潮社)、『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、『「リベラル保守」宣言』(新潮社)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)など多数。幅広い評論活動を行っている。

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