“物語”を必要としない彼らへ~『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を見て
香山リカ(医師)
ただ、ブティジェッジ氏の政策には、未知数の部分も少なくない。「最低賃金の引き上げ」などを訴える一方で、「資本主義の重要性を学ぼう」などとも言い、一部からは新自由主義者とも囁かれる。また自身の軍人としての経験から、アフガニスタンなど中東からのアメリカ軍撤退には否定的で、軍学産業複合体を推し進めるのではないかとも言われる。自らは同性愛者と公表しているが、人種などの差別に対しての批判的な発言は少ない。要するに主張に統一感がなく、「左派」「中道」などのこれまでの概念でひとくくりにはできないのだ。
それにそもそも、民主党候補者選びでは、わずか1年前に「若手代表」として期待されていたのは、ブティジェッジ氏ではなく前下院議員のベト・オルーク氏だったのだ。オルーク氏は72年生まれの47歳だから、ブティジェッジ氏よりは10歳年上だが、現大統領や他の民主党候補よりはだいぶ若い。名門コロンビア大学出身、オバマ前大統領からも激励され、妻は富豪の娘で3人の子どもがいて、ロックなどサブカルチャーも大好き、という“善きアメリカ人エリート”のオルーク氏は、若者からも、サンダース氏やウォーレン氏を警戒する穏健派からも幅広い支持を集められる、とおおいに期待された。
しかし、オルーク氏は予想された支持も資金も集めることができず、昨年11月に正式に大統領予備選への出馬を断念したことを表明した。オルーク氏が当初の勢いを失った理由についてもすぐには答えが出るわけではない。ただ、多くの評論家は「ブティジェッジ氏がオルーク氏のお株を奪い、“若手”として躍進した」と言っている。それはアメリカの政治に詳しくない人間から見ても想像にかたくない。
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オルーク氏の勢いが最高潮だった2019年3月19日、米紙「ワシントンポスト」に載った記事から興味深い記述を見つけた。(3)
この記事は冒頭、オルーク夫妻のリビングルームでの会話から始まるのだが、いきなり「潜在意識はあなたの夢の作り手」とか「人生の最後に見える物語」といった心理学的、哲学的なフレーズが飛び交う。そして、これらの着想はオルーク氏の愛読書である『神話の力』(飛田茂雄訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)から得られていることが明らかにされるのだ。
『神話の力』は、神話学者であるジョーゼフ・キャンベル氏にジャーナリストのビル・モイヤーズ氏がインタビューをした本だ。キャンベル氏は『千の顔をもつ英雄』(倉田真木ら訳、上下巻、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)などの著作で日本でもよく知られているが、それよりも有名なのは彼がコロンビア大学で教鞭を取っていたとき、教室には学生だったジョージ・ルーカスがおり、キャンベル氏の授業からインスピレーションを得て作られたのが『スター・ウォーズ』シリーズだということだろう。
キャンベル氏は世界中、主要な神話のモチーフには共通点があることに気づき、深層心理学者であるカール・グスタフ・ユングの「元型(アーキタイプ)」という概念を適用しつつ、その構造を分析する。
今回の話題に関する部分の解説は、日本を代表する読書家である松岡正剛氏の『松岡正剛の千夜千冊』の『千の顔をもつ英雄』の回から借りることにしよう。(4)
ルーカスが『スター・ウォーズ』に適用した世界の英雄伝説に共通している構造というのは、単純化すると次のような3段階になる。
(1)「セパレーション」(分離・旅立ち)→(2)「イニシエーション」(通過儀礼)→(3)「リターン」(帰還)。
英雄はまず、(1)日常世界から危険を冒してまでも、人為の遠く及ばぬ超自然的な領域に出掛けるのである。ついで(2)その出掛けた領域で超人的な力に遭遇し、あれこれの変転はあるものの、最後は決定的な勝利を収める。そして(3)英雄はかれに従う者たちに恩恵を授ける力をえて、この不思議な冒険から帰還する。
そんな単純な、と思うかもしれないが、たしかに『スター・ウォーズ』シリーズの基本構造は最初から最後までそうなっていたし、ちょっと思い出すだけで、古今東西の神話から現代の冒険マンガ、大ヒットゲームなどにもこの構造が見て取れることがわかる。
ただ、前半で記したように、『スター・ウォーズ』の第9作では、主人公レイも、(1)の出立を遂げ、(2)のイニシエーションを経てミッションを達成し、(3)の帰還を果たしたが、帰還のあとに与えられたものは「自分の出自」という目に見えない答え、ただひとつであったわけだ。しかし、ここでレイが金銀財宝や支配者の地位や高貴な家柄の夫を与えられたとしても、観客は納得しなかったのではないか。
いささか乱暴なまとめ方かもしれないが、キャンベル的な英雄譚が人びとの心をつかむ時代は、神話の時代から数千年以上を経て、ついに終わったのだ。
それよりも、フィンランドのサンナ・マリン氏が「家族の物語はないけれど気にしない」とこの物語の構造にとらわれずに前に進もうとする姿勢に、いまは多くの人たちが共感する。英雄譚に熱く心を燃やしたり感動の涙を流したりはしないが、SNSの「いいね!」ボタンを押すように軽く同意の気持ちを寄せるのである。
そう考えると、オルーク氏がジョーゼフ・キャンベル氏のファンで『神話の力』をまるで聖書のように読みながら、結局は大統領予備選から脱落していった、というのも時代の要請であるかに思える。
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21世紀になってから成人したサンナ・マリン氏やピート・ブティジェッジ氏は、いわゆるミレニアル世代と呼ばれる。彼らはもちろん冷戦も知らず、1989年の天安門事件のときも91年のソ連崩壊のときも、まだ10歳にもなっていなかった。つまり、彼らが物ごころついたのは、世界から物語が消滅し、資本主義という最終にして最強のシステムがすべての国や社会を支配しようとしていた時だったのだ。「セパレーション→イニシエーション→リターン」を基本とするジョーゼフ・キャンベル的な英雄譚が彼らにとってリアリティのないまさに“夢物語”でしかないのも、当然のことだろう。
しかしだからこそ、「家族の物語がない」と言うサンナ・マリン氏や、統一感のない政策のまま予備選レースを駆け抜けようとしているブティジェッジ氏に、私は期待もしてしまうのである。いや、彼らミレニアル世代にしか、この世界はもはや希望を持つことができないという気さえしている。彼らは、物語の外からやってきた人たちだ。
さて私たちの国・日本で頭角を現すミレニアル世代は、いったい誰なのであろうか。もうそういう人は社会に現れており、だいぶ上の世代である私が気づかないでいるだけなのだろうか。
自分に寄せられる過剰な期待の声を振り払うかのように、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)という本を2012年に出したのは、社会活動家の湯浅誠氏であった。しかしそれでも私は、『スター・ウォーズ』の物語の外からやってくるようなミレニアル世代のヒロイン、ヒーローを待ちたいのである。そして残りの人生、そういう人を全力で応援し、盾にでも踏み台にでもなりたいと思っている。それが40年間かけて『スター・ウォーズ』全9作を見終わった、いまの私の新たな夢なのだ。