「ピンチをチャンスに」ではなく無残な現実を直視すること~コロナ・パンデミックによる「マッドマックス化」は防げるか
香山リカ(医師)
この部分は、先のパンデミックによる“悪いシナリオ”にそのまま重なるものであろう。つまり、ジジェク氏は金融危機のような社会・経済リスク、コロナ感染症によるパンデミックのような生命・健康リスクが著しく高まると、多くの人間はパニック状態に陥り、理性や知性をかなぐり捨てて自分や自分のまわりの人たちのみを守り、それ以外の人を排除したり攻撃したりする行為に出る可能性がある、と言ってきたのである。
そして、たいへん残念なことに、現状を見わたすとこのジジェク氏の“悪いシナリオ”による「『マッドマックス』的な生存競争」(注・『マッドマックス』はジョージ・ミラー監督による人気映画シリーズ。2015年公開の最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では大国同士による戦争後の荒廃した世界が舞台となっているが、そこでは砂漠に各部族がコミュニティを作って暮らし、水や石油の奪い合いを繰り広げている)がそのまま実現しつつあるように思える。
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さらに、この生存競争にひと役買っているのがインターネットだとしたのが、イギリスのジャーナリスト、ジェイミー・バートレット氏による著作『操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』(秋山勝訳、草思社文庫、2020年)だ。
ここでは本書の詳しい内容にまでは立ち入ることはしないが、第2章のタイトルと下にあげるいくつかの項目名だけで、先のジジェク氏の主張との共通点が見えてくる。
第2章 「部族」化する世界 つながればつながるほど、分断されていく
怒りを共有し「部族」として結束する
断片化されていく時代
自己正当化が無限に増幅されていく
トランプこそは「部族政治」の立役者
バートレット氏は、同じ意見の人たちや同じ属性を持つ人たちとの出会いと結びつきが強化され、他方では異なる意見を持つ集団が排除されやすいというネットの特性により、世界が断片化され、従来の民主主義の下でコントロールされていた暴力性が解き放たれるとして、それを「再部族化行為(リ・トライバリゼーション)」と呼ぶのである。そしてバートレット氏は、アメリカの前大統領トランプ氏こそ「もつれにもつれた世界」から人々を解放し、「部族的な帰属意識を与えてくれる」リーダーだと支持者は信じた、と述べる。ここから、先の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に登場する独裁者、イモータン・ジョーを連想する人も多いだろう。
こうやって見てくると、新型コロナのパンデミックは「ネット時代に起きたはじめての世界規模の生命・健康リスク」と考えられ、ジジェク氏的な観点からも、バートレット氏の観点からも、世界の分断と攻撃性や暴力性の高まり、つまり世界の「『部族』化」「『マッドマックス』化」はある意味、必然的だったとも言えるのである。ノア・ハラリ氏が思い描いた「ピンチをチャンスに」的なバラ色の未来とは、なんと隔たりがあるのだろうか。
そして、たとえばいまアメリカで起きているアジア系の人たちへのヘイトクライムも、この文脈で理解すべきであろう。黒人によるアジア系への暴力事件もいくつも報じられており、アメリカ国内で差別の被害を受けてきた黒人が、なぜ同じくマイノリティであるアジア系を攻撃の対象にするのかわからない、という声もある。しかし、ここまでの流れで考えると、コロナで健康のリスクにさらされ、さらに失業などで生活も危機に陥っている黒人の中には、その不安や怒りをより人数が少ないアジア系への憎しみや排除感情に転換してしまう人がいても不思議ではない。もはや信じられるのは自分たちの民族だけ、人種だけ、さらには狭い地域の仲間だけ、もっと進めば一族郎党だけ、となってしまい、過剰な防御が、あるとき攻撃、暴力へと転じてしまうのである。
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では、どうすればこのパンデミックとネット社会化の二重の要因による「『部族』化」を食い止めることができるのだろうか。
ジジェク氏は筋金入りのコミュニストらしく、これらの背景には「野蛮な資本主義の蔓延」があり、それを終焉させることが最優先であると主張する。「生活に対するデジタル管理」にも異議を唱える。しかし、果たしてそれは可能なのだろうか。私自身には「そうだ」と言い切る自信はない。
そして、私は精神医学を専門とする者として、この断片化や攻撃性の発露を核とする人びとの「『部族』化」を解決する“処方箋”を書く責務があると知りながら、いまだにそれができずにいる。ただ、わかることは少ないながらある。まず、“「ピンチをチャンスに」論”、楽観論を私たちは早く捨て去らなければならないということ、早急に現実的に打てる手を考えなければならない、ということだ。バラ色の未来を夢見ることなく、常に「マッドマックス」的な無残な現実を直視し続け、そのときどきでできる手当てを考えること。結局はこれしかないのではないか。
ジジェク氏は先の著作『パンデミック』を、瞑想好きでも知られるノア・ハラリ氏を皮肉るかのような言葉で締めくくっている。最後にその一部を引用して、この“夢のない小論”を終わろうと思う。
「ウイルス危機のおかげで、我々の暮らしの本当の意味を突き詰めることができる」などというニューエイジのスピリチュアルな瞑想で、無駄にしてよい時間はない。(前掲書)