障害がある子どもを親が死なせてしまう事件の背後に見え隠れする、「美しい母像」の押し付け
雨宮処凛(作家、活動家)
必要なのは美しいスローガンではなく、実際のニーズに即したさまざまな選択肢なのだと改めて、気づかされた。
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さて、先に母親が「助けて」を封じられることに触れたが、その背景にあるのは日常的に投げかけられる言葉や「世の中からの扱われ方」だ。
児玉さんはもともと大学の英語の専任講師だったのだが、「重い障害のある子どもの親になった」ことで、〈世の中からの扱われ方がゴロリと変わった〉と書く。子どものように扱われたり、上から目線で指導されたりするようになったのだ。
それだけではない。医師の中には「起きている間はずっと抱いておけ」「絶対に泣かせるな」など、母親を人間扱いしない指示をする者もいたという。
心ない言葉も投げかけられる。「タバコを吸ったからだね」にはじまり、子どもの名前の「画数がいけなかったんだよ」等々。
「親切」を装った言葉がけもメンタルを削る。
児玉さんは母親仲間から聞いた体験談として、「あなた毎日えらいわねぇ」と大げさに褒められたり、見ず知らずの人から「頑張ってね」と湿っぽい声で激励されたりなどの「あるある」も紹介している。善意の奥の「かわいそうな人」と見下す憐憫、そして差別意識。
また、舅や姑の中には障害への理解がなく、知的障害の子どもの母親に「育て方が悪い」「しつけがなっていない」と責め、「うちの家系にはこんな子はいない」と言う者さえいるという。
そうして責められてばかりいるといつの間にかそれを内面化し、〈息抜きしたいとも思わなくなる〉母親たち。
悲鳴を封じるのはそれだけではない。「我が子の障害をめぐる自責の念」だ。自分のせいで子どもがこうなってしまったのでは、という思いに母親たちは囚われているという。
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そんな中、児玉さんの封印を解いてくれたのは娘の主治医だったという。
「お母さん、限界が来てしんどいんじゃないの?」と声をかけ、「ウチの施設に入れたらどうだろう」と提案してくれたのだ。
〈僕たちだっているんだから、僕たちにも海ちゃんの子育てを手伝わせてほしい。障害のある子どもは社会で育てるべきなんだから〉
主治医はこう児玉さんに言ったのだという。そのことによって、児玉さん夫婦は〈「お世話になっている先生があそこまで言ってくれるのだから」と言える言い訳を作ってもらった〉そうだ。
そうして、以下のように書く。
〈自分であの封印を解いて「もうこれ以上がんばりたくない」と口にすることは、私にはそれこそ「口が裂けても」できなかった〉
〈あの時に海の主治医が私の限界に気づき、いわば向こうから“迎えに来て”もらえなかったら、私か海のどちらかあるいは両方が死んでいたと思う〉
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ここまで、障害がある子を持つ親について、書いてきた。
なぜこのようなテーマにこだわるかというと、「ケア」は誰にとっても遠い話ではないからだ。
私に子どもはいないけれど、これから親の介護に直面する可能性は高い。それを考えると、自分は「結構いい線いってるのでは」と思う。
長らく障害者運動に関わってきた人たちが周りにたくさんいるので、制度などをかなり知っているからだ。また、「密室介護・家族介護は危険」「絶対に他人を入れて密室を開け」という心構えも叩き込まれている。介護殺人・心中が起こるのは密室・家族介護の現場が多いからだ。こういうことを知っているかいないかは、時に人の生死を分ける。
親の介護でなくとも、自分が病気になった時、また老後を迎えた時に使える社会資源や制度の情報が私の周りにはたくさんある。公的な制度だけでなく、困った時の民間の相談先の情報もかなり知っている。ちなみにそういう情報を一冊にまとめたのが、昨年出版した拙著『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書、2024年)だ。
このような問題に関心を持ったきっかけは、いとこに知的障害があったこと。20代で体調を崩した際、救急車を呼ぶものの病院に「知的障害だから」という理由で拒否されて受診が遅れ、亡くなった彼女がいなければ、私はこの国が隠し持つ冷酷さに気づかないまま生きていたと思う。
そのいとこの母親も10年近く前、亡くなった。
障害のあるなしに関わらず、この国では常に「母親」だけが責任を負わされる場面のなんと多いことか。
そして「ケア」は、家族の中でも特に女性に集中する。一方、介護や保育といった「女の仕事」と思われている職種では、低賃金が当たり前になっている。ここにある、構造的な差別に無自覚でいたくない。
そんな社会が少しずつでも変わっていったら。
冒頭のような悲しい事件は、きっと起こらないと思うのだ。