なぜ人は声を上げるのか 〜日本と世界、各地のデモと韓国の『とにかく、デモ!』
雨宮処凛(作家、活動家)
それから3年後の15年には安保法制をめぐってまたしても大規模なデモが勃発。幾度も数万人が国会周辺を埋め尽くした。特筆したいのは、3.11以降、何かあれば官邸前や国会前に人々が大挙して押し寄せる、という流れができていたことで、この時注目されたのは大学生のグループ「SEALDs」。大学生だけでなく高校生も運動に参加する姿も目立った。現在、国会前にいる若い層の中には、高校生時代にこのデモに参加していたという人もいる。「突然若者がデモに!」と騒がれているが、その動きは10年前から始まっていたのだ。
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さて、ここまで日本のデモを振り返ってきたが、世界に目を向けると、やはりいろいろなデモが起きている。
11年、日本で脱原発デモが多くされていた頃、中東では先に書いたチュニジアでのジャスミン革命が引き金となり「アラブの春」が起きていた。この頃、日本の大規模デモの光景がエジプト・カイロの「タハリール広場みたい」と表現されることもよくあった。
14年には台湾で「ひまわり運動」が起こり、学生たちが立法院を占拠。同年、香港で民主化を求める「雨傘革命」が始まり、5年後の19年には「逃亡犯条例」を機に100万人規模のデモが起き、多くの死者や逮捕者、海外亡命者を生み出す結果となった。
そんな中でも日本に大きな影響を与えてきたのは韓国のデモだろう。ざっと思い出すだけでも16〜17年の朴槿恵大統領退陣を求めるキャンドルデモや24年の非常戒厳への抗議デモが浮かぶが、最近、ある本を読んで「韓国のデモ」への解像度がより高くなった。それは韓国の作家・翻訳家チョン・ボラ氏の『とにかく、デモ! 韓国路上アクション・ダイアリー』(日本語版は吉良佳奈江訳/現代書館、2026年)。
1976年生まれと私の一つ年下の女性である著者は、著書『呪いのウサギ』(日本語版は関谷敦子訳/竹書房文庫、2025年)が英国国際ブッカー賞候補作になるなど「世界的なSF作家」。「韓国で今もっとも忙しい作家」であるにも関わらず、その合間を縫ってデモに行く。行きまくる。そんな日々が綴られた一冊だ。
例えば2022年のハロウィン、ソウル特別市・梨泰院で多くの若者が命を落とす雑踏事故が起きたが、翌月に著者は犠牲者追悼の「五体投地」(!?)に参加。その前年にはトランスジェンダー追悼の行進に参加し、また14年に起きたセウォル号沈没事件に胸を痛めた人々によるデモにも参加、遺族とともに真相究明を求める署名を集める。そんな活動を通して「全国障害者差別撤廃連帯」の人々と交流を深め、障害者らがどれだけ命懸けで社会を変えてきたかを思い知り、フェミニストのデモだけでなく非正規労働者や移住労働者のデモに参加する。
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そんなことをしている間にも、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、イスラエルによるガザ地区の爆撃が始まってしまう。そして今年の2月には、前述したようにアメリカ・イスラエルによるイラン攻撃が始まった。
しかし、彼女はめげずにデモに行き、声を上げる。
〈世の中はますます悪くなっていくようだ。いよいよ「昨日が最良の日」だった時代が再来しそうだ。にもかかわらず、あるいはだからこそ、わたしはデモをする〉
あまりにも当たり前に「デモに行く」「声を上げる」日常が綴られた本書を読み、最近、自分の中でそんな瞬発力が失われていなかったか、突きつけられた思いがした。
彼女はデモに行く理由などにはあまり触れない。そこがいい。理由なんて自明だ。おかしいと思ったから、動く。全編貫くそのシンプルさが清々しい。
そんな本書を読んで、思えば韓国では、以前から若い世代がデモに参加していたことに気がついた。この20年で言えば、08年にはBSE問題を受けて米国産牛肉輸入再開に反対するデモも盛り上がった。私も取材に行ったが、参加者の多くは若者。また10年代から盛り上がりを見せる韓国フェミニズムの担い手は若い女性たち。18年、韓国に行ったら出会う若者全員が「私はフェミニストです」と自己紹介して驚いたことを思い出す。
韓国に限った話じゃない。台湾のひまわり運動も香港のデモも、中心となっているのは若者だった。
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と、ここまでデモについて書いてきて、私が「若い女」だった頃、ある著名な年上男性から座談会の場で言われた言葉を思い出した。デモや反貧困の活動を始めたばかりの時期だ。
私のことを、活動を始める前、もっと言えば物書きデビューする前から知っていたその男性は、要約すると以下のようなことを言った。
「自分はこの女をずっと前から知っている。今、反貧困とか言って活動家ぶってるけど、絶対に、1年以内にそんな活動などやめることを自分は保証する。なぜならこの女は目立ちたいだけだから。飽きたらすぐやめるに決まってる」
この場だけでなく、私がいないイベントなどでも同様の発言をしていた。
彼は、明らかに「若い女」だった私を馬鹿にしていた。若い女の一時の気まぐれに付き合う必要などない、この女の言うことなど取るに足らないし相手などする方が間違っていると断じていた。なぜ、赤の他人の未来を勝手に決めつけるのか謎だったけれど、自分は頭がいいのだからわかるのだ、と自信満々だった。屈辱で、座談会では言いたいことの10分の1も言えなかった。
あの言葉の何がそれほど許せなかったのだろうと思って、気づいた。おそらく、彼の中にある「若い女データベース」の一つに勝手に分類され、それにあてはめられて語られることが嫌で仕方なかったのだ。
彼の言葉からは、「若い女」に対する偏見だけでなく、「くれぐれも“モノ言う女”になんてなるなよ」という脅しも見え隠れした。モノ言う女でない限り、それなりに可愛がってやるんだから、というニヤつきも。
あれから、20年。私は今も活動を続けているが、そのことについてどう思っているのだろう?
さて、時代は変わった。今、少なくともデモに参加する女性たちを頭ごなしに否定する著名人はほぼ見かけない。
一方で、デモが盛り上がるのはそれほど危機感があるということでもある。
ガザでは今も虐殺が続き、ウクライナでは今も多くの命が奪われ、イラン攻撃の今後もまったく不透明だ。そして国内政治に目をやれば、国旗損壊罪や皇室典範改正や国家情報局設置など、「物価高とか差し置いて、今それやる?」的なことばかり。
だから私も、さらに声を上げたい。『とにかく、デモ!』に、そんな勇気をもらったのだった。