第7回 物語の謎、誰がテイラーを殺したの?
樫原辰郎(映画監督/脚本家/評論家)
第二次世界大戦が終わろうとしていた頃の話である。映画監督ハワード・ホークスは後のノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーとの会話から、レイモンド・チャンドラーの小説『大いなる眠り』を映画化しようと思いついた。アメリカ文学史上、誰よりも長くて難解な文章を書くことで知られるフォークナーだが、生活費を稼ぐために始めた脚本家という仕事はそつなくこなしていた。フォークナー自身は、文学史に残るレベルの大酒飲みで、扱いにくい変人だったが、ホークスも扱いにくい面倒な人だったこともあって、この2人は気が合ったのだ。
この時代は、いろんな小説家たちが生活のために脚本家の仕事にチャレンジしていた。たとえばフォークナーよりも遥かに読みやすい小説を書いたフィッツジェラルドも脚本家として稼ごうと、いくつかの映画の企画に参加したが、脚本家としてクレジットされたのはフランク・ボーゼージ監督の『三人の仲間』という映画だけだ。しかも、その作品のシナリオもジョーゼフ・マンキーウィッツによって大幅に書きかえられてしまったという。本人が書いた小説は何作も映画化されているのに、脚本家としては全く芽が出なかったフィッツジェラルドは、映画業界での苦い経験をもとに『ラスト・タイクーン』という長編小説に着手するが、これは未完のままの遺作となってしまった。作家としては若い頃に成功を掴んだ人であるだけに、映画業界での失敗はかなりつらかったようである。
その点、フォークナーは違う。クレジットされていない作品を含めると、10本以上の映画に参加し、傑作と呼ばれる作品も残しているから立派なプロの脚本家だった。
フォークナーがどんな小説家であったかを知りたいのなら、初期の代表作である『響きと怒り』を読むのがいいだろう。難しすぎて脳みそが爆発するから。本当にあったのかどうか定かではないが、フォークナーにはこんなエピソードがある。
ある人がフォークナーにこう言った。
「フォークナーさん、貴方の『響きと怒り』を3回読んだけど理解できません」と。それに対するフォークナーの返事は、こうだ。
「もう1回読め」。鬼か。いや全く、彼こそは小説の鬼だったわけだが、それほど読むのが大変な小説を書いていたのにノーベル文学賞を受賞してしまったのは、全体の構成力が卓越していたからである。短編を得意としていたフィッツジェラルドは、長編小説では『偉大なるギャツビー』くらいしか成功した作品がないし、その『偉大なるギャツビー』もシンプルな話である。フォークナーには、桁外れに複雑なお話を、簡単には要約できないようなややこしい書き方で書いて読者を圧倒するだけの構成力があったから、アルバイト感覚で始めた脚本家稼業でそれなりの結果を出せたのだ。
そして、『大いなる眠り』の原作者であるチャンドラーも脚本家としては実績があった。脚本家出身の監督、ビリー・ワイルダーの『深夜の告白』をはじめとして、いくつかの映画に脚本家として参加している。だから『大いなる眠り』を映画化するのならば、原作者であるチャンドラーを脚本家として呼べばいいわけだが、残念ながら映画会社との契約の関係でチャンドラーはホークスが撮る映画には参加できなかった。
ハワード・ホークス (写真:Everett Collection/アフロ)
ハワード・ホークスがどういう人であったのかを知るためには、彼が撮った映画を見るのがいい。ホークス晩年の傑作、『ハタリ!』や『リオ・ブラボー』は、いささか世間からははぐれたような偏屈者が集まって、チームプレイで何かを成し遂げる物語である。そしてこの、偏屈者が集まってチームプレイで何かをやり遂げるというのは、映画の撮影そのものの比喩でもある。
カメラマンは、凄い画を撮りたい。俳優さんたちは、納得のできる演技がしたい。監督は、とりあえずは作品を成立させたい。プロデューサーは、映画をヒットさせて金儲けがしたい。とまあ、職種によってモチベーションの所在が違う人たちが集まって1本の映画を作るのが映画の面白いところで、ホークスはそこをよく理解していた。映画はどこまでもチームプレイなのだ。ホークスはプロフェッショナリズムの権化のような監督で、企画段階から信頼できるプロを集めて、仕事を進めることを好んだ。もちろん、監督としてのエゴは大いにあったが、撮影現場の独裁者ではない。スタッフに対しても、俳優たちに対しても、それぞれにいい仕事をさせようとする現場監督、それがホークスだ。
チャンドラーを脚本家として呼ぶことはできなかったけれども、ホークスにはフォークナーという友人がいる。そして、1944年、チャンドラーに影響を受けたと思われる『非情の裁き』というハードボイルドな小説が出版され注目を集めた。ホークスは言った。
「この小説の作者の、リイ・ブラケットという男を呼べ」と。やってきたのは28歳の小柄な女性だったので驚いたホークスだったけれども、ブラケットは利発そうな女性で仕事ができそうだったから脚本家として雇うことになった。ハードボイルドとSF冒険小説の分野で活躍したブラケットは、この2年後にスペースオペラの巨匠エドモンド・ハミルトンと結婚するが、生活が落ち着くとまた脚本家の仕事も再開し、晩年のホークスを支えた。脚本家としての遺作は『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の第1稿。紛れもなく、アメリカ大衆文化のレジェンドである。
まずはフォークナーとブラケットの二人で『大いなる眠り』のシナリオを書くことになった。この二人によるシナリオが一旦は完成して撮影が始まり、映画史に残る謎が生まれたのだ。
運転手のオーウェン・テイラーという登場人物が、車ごと海に落ちて死んでいるのが発見される場面がある。主演のフィリップ・マーロウを演じていたハンフリー・ボガートは、撮影現場でブラケットに質問したという。
「この、テイラーを殺したのは誰?」
ブラケットは答えた。「わかりません」と。
フォークナーにもわからなかったし、監督であるホークスも誰がテイラーを殺したのかわからなかった。世界で一番、ややこしい小説を書くフォークナーにわからないのであれば、おそらく誰にもわからない。ホークスは、原作者のチャンドラーに電報を送った。テイラーを殺したのは誰なのか?と。
チャンドラーからの返事が来た。
「俺にもわからない」と。無責任な原作者である。
撮影期間が延びて、フォークナーは自分の小説を書くためにミシシッピに帰ることになり、ホークスはジュールス・ファースマンを呼んだ。ホークスの前作『脱出』のシナリオをフォークナーと共に書いた脚本家である。
辛口で知られた映画評論家のポーリン・ケイルが、こんなことを書いている。
ハリウッドで面白い映画の半分は、ベン・ヘクトがシナリオを書いている。そう、電話帳ほど分厚かった『風と共に去りぬ』のシナリオを撮影できるサイズにまで切り刻んだのがヘクトである。そして、ケイルはこう書いた。「残りの半分はジュールス・ファースマンが書いた」と。
ケイルの言葉は信じていい。ハリウッドの全盛期には、綺羅星のごとく有能な脚本家が何人もいたけれども、ヘクトとファースマンは群を抜いて優秀だった。ファースマンはかなり面倒くさい性格だったと伝えられているのだが、ホークスもフォークナーも普通の人にとってはつきあいづらい変人だったので、ファースマンとは気が合ったらしい。