「キューバに生きる」5 ゲバラの町で医師に会う
工藤律子(ジャーナリスト)
2019年9月、私たちはドクトーラ一家を再び訪れた。ラウラもすでに大学を卒業して、自宅から少し離れた地域の診療所で働きはじめていた。また、恋人のヘンニは、正式に家の住人に加わった。
訪ねた土曜の午後、家のリビングでは、診療所の夜勤明けに一眠りして起きたばかりのヘンニが、テレビで欧州サッカーを観ていた。スポーツ好きの彼は、サッカーを観るために起きたらしい。やはり夜勤だったラウラは、まだ寝ている。
「ラウラの夜勤は、昼勤に続いての24時間勤務だったから、疲れているんですよ」
というドクトーラの声が、台所から聞こえてくる。
ヘンニは、暑い時期にキューバの男性たちがよくやるように、上半身裸でソファに座っていた。と、その左脇の下の方、腰に近いあたりに、誰もが知る「ゲバラの顔」のタトゥーが見えた。
「そのタトゥー、なぜ入れたの」
「子どもの時、つい入れちゃったんですよ」
と、ヘンニは、照れ笑いを浮かべる。まだティーンエイジャーの仲間入りをしたばかりの頃、学校で英雄ゲバラが医師としても活躍したと教わっていたので、自分も彼のようになりたいと思ったという。
「僕の父も医師で、アンゴラなど3カ国へのミッションに参加しました。その仕事ぶりも尊敬していたので。共産主義者ではなくとも、チェのようになりたいと思ったんです」

ゲバラのタウゥーを入れた、ラウラの恋人で医師のヘンニ。撮影:篠田有史
キューバの学校の朝礼では、今でも子どもたちが、「共産主義の開拓者として、チェのようになろう」と叫ぶ。その習慣に絡めてのコメントだ。共産主義を目指すかどうかは別としても、ゲバラのようになりたいのは本当だということだろう。
アルゼンチン出身のゲバラは、持病の喘息の発作に苦しみながらも、スポーツを好み、バックパッカーの旅を通して、ラテンアメリカ世界を知ることに夢中な青年医師だった。旅の途中で訪れたペルーのハンセン病棟では、素手で患部を診察するなどして、偏見なく患者に寄り添った。革命戦争中も、敵味方に関係なく治療を施したことで知られる。そんな彼は、キューバの未来に大きな理想を抱いていた。21世紀の「新しい人間」を創るという理想だ。彼の娘アレイダ・ゲバラは、あるインタビューで「新しい人間」像について問われた際、ゲバラはこんなことを書いていると、語っている。
「人間は他人を理解しなければならない。他人がどこに住もうと、どんな信仰をもとうと、文化が何であろうと、その人が苦しんでいるときに、苦しみを分かち合える人間でなければならない。連帯できなければならない」(中公新書『チェ・ゲバラ』伊高浩昭著より)
ゲバラが描いた「新しい人間」は、おそらく、他者に全力で寄り添う、無私の精神を持つ人だ。その精神を、自らの中に培おうと努力しているのが、誇りを胸に国内・外で医療活動に携わるキューバの医師たちだろう。

キューバには、途上国を中心とする貧困層の若者に無償で医学を教える「ラテンアメリカ医学校」がある。(ハバナ郊外)撮影:篠田有史
テレビを見終えたヘンニは、ベネズエラでのミッションの思い出を、語ってくれた。
「僕たちは、1年間、スラムの外れにある診療所で働いていました。毎日30人を超える患者が来ていました。それまでその地域には医師がおらず、遠くの病院まで行くお金のない人たちは、医者にかかったことすらなかったんです。いつでも無料で診察を受けられることを、とても喜んでいました」
診療所には、医師、看護師、理学療法士、作業療法士がおり、診察とリハビリに加えて、ベネズエラ人の医師と看護師の育成に取り組んでいたという。ヘンニは、研修医と地元住民の3人で地域をまわり、往診もしていた。
「ある日、往診に出たところ、数人の子どもを持つシングルマザーがこれからまた出産だと、聞きつけました。女性はいつも自宅で一人、子どもを産んでいたんです。僕たちは、彼女のところへ行き、出産を手伝いました。そして、無事に元気な男の子が生まれました。初めて医師立ち合いで出産をした彼女は、その安心感に感激して、赤ん坊に僕の名前をつけてくれたんです」
ヘンニの顔に、深い喜びが滲む。
「正直、ベネズエラに着く前は、マクドナルドに行ってみたい、自宅のパソコンでもインターネットが使えるようにしようなどと、向こうの自由な生活に憧れていたんです。でも、活動を終えて帰国した時、こう思いました。こちらの生活の方が自由かもしれない、と」
それは、ベネズエラの治安の悪いスラムで、お金がないと医療や教育を受けるのも困難な環境に生きなければならない人々の不自由を知った若者の、率直な感想だった。
「またミッション参加の要請があれば、どこであれ、ぜひ行きたい」
行けば何カ月、あるいは何年も国を離れることになる。やっと一緒に暮らし始めたラウラは、賛成しないのではないか。
「いえ、彼女はちゃんと理解していますよ。彼女も医師ですから」
本人に確かめると、「私もいずれはミッションに行くと思いますしね」と、笑った。
ヘンニのような若者が目指す、現代の「チェ」は、武器を手に戦う革命家ではなく、戦争や災害で傷ついたり、疫病や貧困に苦しんだりしている人々の心に寄り添い、傷や病いを癒すために闘う人だ。国家の意思や周囲の目に関係なく、世界の人々と苦しみを分かち合い、連帯できる人間であろうと努力することが、今の世界で「チェのようになる」ということではないだろうか。