「ストリートチルドレン」と呼ばれて20 無知と偏見と無関心を超えて
工藤律子(ジャーナリスト)
新たな人生
希望を育て、よりよい新たな人生をつかみ取ることが叶えば、過去の辛い記憶と向き合い、自分なりのけじめをつけることも可能になる。
2025年夏、ダビとモイセス、ボランティアをしていたコウキと私の4人で、街の南東にある地下鉄駅に続く歩道橋を渡っていると、正面から嬉しそうな顔でこちらに手を振る青年が目に入った。
「メモじゃないか!」
モイセスとダビが歩み寄り、抱擁を交わす。青年は、私に、
「あなたにも、昔、何度か会ったことがあると思う」
と、声をかけた。
彼の名は、メモ。20年ほど前、この近くの空き地に集まって暮らしていた少年少女の1人だ。聞けば、今はすぐそばのハンバーグレストランで働いていると言う。
「路上生活を続けたら、いつ殺されてもおかしくないと感じて、何とかしなきゃと思ったんだ」
一緒にいた仲間の1人が薬物絡みで殺されたのを見て、薬物漬けの路上生活を抜け出す決意をした、と語る。そして、以前から興味があった調理の仕事を探して歩いたところ、運良く、気のいい店主と出会い、その店主から家賃を前借りして住まいを確保し、レストランで働き始めた。
「今は、希望していたハンバーグの炭火焼き担当になれた。ひどい状況の時、いつも訪ねてくれたダビたちには、感謝しているんだ。おごるから、今度ウチに食べにきてよ」

かつて路上でダビ(左端)に世話になり、今はレストランで働くメモ(右端)とバッタリ会い、テキオの路上チーム(ダビの横がモイセス、その右がコウキ)で記念撮影 撮影:筆者
メモは、過去を乗り越え、今の仕事に誇りを持って、新しい人生を生きていた。この夏、ダビと歩いていて偶然出会った若者たちの中には、そんなふうに路上人生にけじめをつけられた若者が何人かいる。
そして、私たちが会い続けているオルガ。彼女もまた、新たな人生をつかみ取った1人だ。オルガは、過去に起因する精神的な問題とも向き合いながら、3人の子どもと孫のために奮闘する。その闘い自体が、新たな道だ。その道を、諦めずに前へ進む努力を続けるオルガを、私は誇りに思う。

母子支援施設で、長女(左)アナ・ベレンを育てていた頃のオルガ。手探りの子育ての中で様々な困難を抱えながらも、前向きに生きようとしていた 撮影:篠田有史
共に生きる道
社会は、今も、「ストリートチルドレン」と呼ばれる子ども、かつてそう呼ばれていた若者たちの本当の姿や現実を、よく知らないし、知ろうともしない。薬漬けの怠け者や犯罪者の集団くらいに考えている人も、多い。中・上流層に至っては、車の中から彼らの姿を目にすることはあったとしても、一緒に話したり何かしたりすることは、ない。その無知と偏見と無関心に満ちた世界で、彼らの人生に光をあてるために、私たちは何ができるのか? 寄り添う者たちは、考え続けている。
その答えにつながることが、ないわけではない。例えば——。
(2026年)7月はじめ、ダビとモイセスの路上活動に参加していた私は、午後3時すぎ、よく行く街なかの教会前の広場にたどり着いた。そこには、昨年の夏、サッカー対抗戦に一緒に出かけたホセ・マヌエルをはじめ、顔見知りの路上青年たちがいる。
私たちの顔を見るなり、彼らは「サッカーしようぜ」と、提案する。ホセ・マヌエルを含む3人の若者が名乗りをあげ、3対3で、広場をコートに試合をすることに。こちらは、私とダビとモイセスがチームだ。さっきまでアクティーボをやっていたせいでフラフラしている青年たち相手に、わが路上活動チームは、ゲームを優位に進める。
そうして30分ほど経った頃。広場脇のバス停に停車したバスから降りてきた中学生らしき少年が4人、こちらの試合に気づき、歩み寄ってきた。
「あの、まぜてもらってもいいですか?」
少年たちは、OKをもらうとさっそく、ゴールポスト代わりに置かれたダビとモイセスのリュックの脇に通学カバンを放り投げて、2人ずつ、それぞれのチームに入った。生きのいいメンバーが加わり、ボールの動きが速くなった試合は、さらなる熱気に包まれる。
午後4時すぎ。少年たちは、時計を見ながら頷き合うと、「すみません。もう家に帰らなきゃ」と言いながら、皆とハイタッチを交わし、カバンを拾い上げて、去っていった。
そう。私はその姿の中に、未来へのヒントを見た。それは、「ストリートチルドレン」と呼ばれる・呼ばれていた者もそうでない者も、皆が同じ市民として、人間として、「共に生きる」道だ。
新自由主義的資本主義に覆われ、格差ばかりが目立つ世界では、「それは無理」と思いがちだろう。しかし、現在、あらゆる人間を取り巻く不幸の根源を辿り、解決策を探るならば、それはむしろ「選ばざるを得ない道」だと、私は思う。

私たちが実施しているスタディツアーでも、ダビと訪ねた路上の若者たちとよく街なかの広場でサッカーをする。この日は、通りがかりの男性(カバンを襷掛けにした人)も飛び入り参加。(2023年) 撮影:篠田有史
日本で「ストリートチルドレン」の話をすると、子ども・若者支援に取り組む人たちに、よく言われる。
「日本の子どもたちも、実は同じ問題を抱えています」
と。
いじめや自殺、引きこもり……。すべては「共に生きる」のではなく、「分断することで効率・生産性・利潤を上げる」社会が生み出した違和感や痛み、苦しみがもたらしたものだ。多様なつながりが奪われ、他者への無知と偏見ばかりが広がり、異なる者への理解や関心が薄れて分断が進んだ先には、諦めや不安、孤独や絶望しか見えない。その結果が、それぞれの社会において、異なる形の「問題」となって現れている。もしそこに、いろいろな人が互いに知り合い、共に生きるきっかけをつくることができれば、この世界はもっと生きやすい場所になるのではないか。
さっきまでいた場所を離れ、バスに飛び乗り、別の人たちと出会い、一緒に何かを始める。それが可能な社会、世界の仕組みを築きたい。