imidas - 情報・知識&オピニオン

連載

第11回 吉方べき「隣国とつながる」

韓国人は本当に「反日」か?

吉方べき(言語心理学研究者)

 先日、日本人交換留学生2人と韓国人の日本観について話す機会がありました。2人とも交換留学に先駆けて、(別々の機会に)韓国の提携大学との共同セミナーで韓国の学生と議論したことがあったと言います。彼女たちは、韓国側の日本語専攻の学生について、日本語や日本が好きな子たちのはずだから、日本について否定的な話はしないだろうと思っていたのに、歴史問題で厳しい意見が出たのが予想外だったと語ってくれました。
「それでも私たちの話にきちんと耳を傾けてくれる姿勢を感じた」という彼女たち。その後、1年という貴重な時間を費やし、交換留学生として韓国に来ました。留学に来て8カ月ほどが経過した2人に、「日本人だからという理由で、否定的な態度で接せられた経験はあったか」と質問してみると、声をそろえて「一度もなかった」と答えました。
 しかし1人は、つい最近まで「公衆の場で日本人だと知られたくない」という強迫観念にとらわれていたと言います。自分が日本語を入力しているところを見られたくなくて、地下鉄の車内でスマホを使うのすら控えていたというのです。またそうした警戒感が薄れた現在も、ニュースで「日本」という言葉が出てきたり、大学の正門前で慰安婦問題に関する署名運動を見かけたりすると、「胸がドキンとする」と言います。
 その彼女は最近、日本から来た高校生の団体を世話したことがありました。その際、夜の自由時間にフライドチキンを買いに行った高校生たちが、「揚がるのを待っているときに私たちが日本語でしゃべっていたせいで、お店の人がチキンを渡すときにとても無愛想だった。あれは絶対日本語を聞いて気分が悪くなったからだよね」と話すのを耳にしたそうです。彼女は「日本語を聞いて気分を害したなんて、そんな訳がない。単にいつも無愛想なバイトかもしれないのだし。なんて変なことを考えるんだろう、と思ったけれど、自分も以前だったら、そう受け止めたのかもしれない」と語ってくれました。
 一方、もう1人の学生は「同世代が日本人に否定的ではないことは分かったけれど、高齢者はたぶん日本人が嫌いだろうと思う」と付け加えました。自分が普段接する同世代については「ない」と分かったが、接する機会のない高齢者については、以前から持っていたイメージのまま変わっていない、ということになります(ちなみに日本の“嫌韓本”の多くは、「反日教育」の影響により若い世代ほど「反日」傾向が強いと解説しています)。
 これらの体験談から分かることは、いかに日本での情報が、日本の若者の思考を縛っているか、ということです。先の高校生のケースでは、限られた経験が、思いこみの解消よりもむしろ確証バイアスに働いてしまっています。
 さらに学生から聞かれた「日本語専攻だから、歴史問題についても日本に否定的なことは言わないはず」「慰安婦問題で署名運動をしている学生たちは日本人を憎んでいるのでは」「政治的な文脈で日本に否定的な話が出てくると、自分が悪く言われている気がしてしまう」といった認識は、国や国民、さらには個人までを同一視している、メディア報道の影響を強く感じさせます。
 一方、交換留学での経験は確実に、そうした呪縛を解く効果を発揮していました。特に、先の高校生の発言に対して語られた違和感は、大変印象的です。「反日」のレッテル貼りを卒業して、「等身大の韓国」を見ること。言うほど簡単なことではありませんが、私は若い日本人学生たちの実体験による変化を、とても頼もしく思いました。

隣国への偏狭な感情は自分たちの首を絞めるだけ

 日本で社会問題となっている在日コリアンなどに対するヘイトスピーチは、韓国でも大きく報道されました。国会図書館で日本の嫌韓本の展示が行われたこともありました。しかしこうした日本側の異常な現象を目にしても、今の韓国では日本人を一絡げにして非難するような感情的な議論は起きません。むしろ「日本人の皆があんなではない」「危惧し、何とかしようと努力している人たちもいる」というある種の信頼のようなものが感じられます。韓国では日本への警戒心が強すぎると感じることは確かにありますが、それ以上に「等身大の日本」を見誤らないようにしようとの努力も存在しているのです。
 一方で先日起きた熊本地震では、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの悪質なデマが報じられた影響もあったことでしょう、日本への支援は必要ないといった意見がネットに多く書き込まれたようです。韓国メディアには、こうした反応をいさめる論調の記事も載りました。相手国に対する猜疑心は、ひとたび悪循環に陥れば、エスカレートする一方となります。日本でも韓国でも、メディアの責任は重大です。
 他国民について「奴らは非理性的だ、劣等だ」とし、同じ人間として認めない言説がはびこることで、どれだけひどいことが可能になるか、戦前の歴史は克明に記録しています。
 1895年に、朝鮮の王宮に乗り込んだ日本人によって、第26代国王・高宗の王妃であった閔妃(ミンビ)が殺害されるというとんでもない事件(乙未〈ウルミ〉事変)が起きていますが、以前から新聞で「親露的」で「反日的」という人物評が定着していた日本では、「よくやった」という声が大勢だったのです。この例は、「反日」の喧伝(けんでん)が、いかに平和を破壊し、戦争をあおることにつながるかを、まざまざと見せつけています。
 昨年8月末、産経新聞電子版が朴槿恵大統領を閔妃に例え、その「親中」ぶりを揶揄(やゆ)するコラムを載せたことは、現在の日本の危うい言説状況を象徴していると言わざるを得ません。これを放置すれば、結局日本自身の首を絞めることになります。
 筆者は日本人が「親韓」になるべきと主張しているのではありません。「反日」「親日」といった軽薄な二分法を脱し、隣国との相互理解を深化させることが重要なのは、それが平和の礎となり、ひいては安全保障にもつながるからです。アメリカに付き従うことのおまけについてきたような表層的なものでなく、正面から向き合った隣国関係を作り上げられれば、他地域からの日本への眼差しも変わってくるでしょう。また日韓は社会レベルで共通点が多いため、互いに参考にし、共に解決策を追求していける問題が多いのです。
 健全な両国関係を築くために、まずは同じ人間同士として私たちにできることがあります。偏狭な感情を脱し、「等身大の韓国」を見つめる風潮が社会に広がっていくことを期待しています。

著者情報

言語心理学研究者

吉方べき

よしかた べき

岡山県出身。群馬大学医学部医学科中退後、韓国ソウル大学心理学科編入。同大学院で実験心理学専攻。2005年から3年あまり朝鮮日報日本語版サイト翻訳監修を務めたほか、語学学校運営、通訳ガイド育成、企業内研修、メディア取材や学術交流の現地コーディネートなどを通じ日韓交流の現場に関わった。現在はソウル大「言語と思考」研究室に所属し、韓国仁徳大学非常勤講師、韓国教育放送公社FMラジオ「初級日本語」のパーソナリティなどを務めるほか、日韓間の時事・歴史問題に関する論考を雑誌に寄稿。

関連記事

新着記事

imidasの更新情報をお届けします。