第25回 鴻上尚史「日本を考える」
鴻上尚史(作家・演出家)
(構成・文/朴順梨)
佐々木さんは、終戦後に農家を継ぎ、空に戻ることはなかった。「好き」を若くしてリタイアした人生だったが、上官への怨嗟(えんさ)を口にすることはなく、2016年2月に92歳で亡くなった。
「佐々木さんは元気な時は頑固な人だったと息子さんと娘さんは言っていたけれど、子どもには『お前たちはしたいことをすればいい』と、農家を継ぐことを強制しなかったそうです。俺にも『話すことはないから来ても無駄だよ』と最初は言っていたのに、結局はちゃんと話してくれた。特攻隊の思い出は『つらかった』の一言だけだったし、終戦後に近所の人に冷たくあしらわれたことへの、恨みつらみも語らなかった。そういう人だから大岡さんも直接会っていたら(大岡氏は佐々木さんと面識がないまま文章にしている)、描写は変わっていたんじゃないかな」
どんな状況に置かれていたとしても自分の「好き」を裏切らなければ、希望を失わずにいられるのかもしれない。どんな生き方だったとしても、納得出来るのかもしれない。では一体、自分は何が好きなのだろう? 何を好きと言えるのだろう? それは決して「戦って死ぬこと」ではないはずだ。
一人ひとりが「好き」を突き詰めていけば、きっと幸せな人は増える。ひいてはそれが、望まない死を回避する何よりの武器になるだろう。92歳まで生きた元軍神は、鴻上さんの文章を通してそのことを言い遺したかったのだ、きっと。