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連載

変革への闘い

「ジュリアン 墓地で育った少女」6 さらなる闘い

墓地脱出への道

工藤律子(ジャーナリスト)

 翌朝、一緒にシスターたちの住まいを訪ねたフロリサさんは、心理士でもあるシスター・アルマと二人だけで、20分ほど話をした。私たちがほかのシスターと雑談をしていたリビングにもどってきた時、その顔は緊張が緩み、晴れやかになっていた。とにかく心の内を言葉にできたことが、気持ちを楽にしたようだ。
 それから数日して、彼女はシスターの勧めに応じて、教会で実施されているハウスキーピングのトレーニング(職業訓練)に参加し始める。個人宅やホテル、レストランなどで、掃除、洗濯、アイロンがけ、整理整頓などの仕事をするプロの資格をとるためのコースだ。全期間を修了すれば、教会から証明書が発行され、職探しを支援してもらえる。
 トレーニングに参加するフロリサさんに会いに教室を訪ねると、そこには熱心にメモをとりながら、授業に集中する一人の勤勉な女性がいた。子どもの頃、本当は働くのではなく学校に通い続けたかった、と話していたことを、思い出す。シスターたちは、その意欲を持続させる術(すべ)をよく心得ており、彼女がトレーニングに出席するたびに、100ペソの生活支援金を手渡してくれた。家計の苦しさを理由に、途中でトレーニングを投げ出してほしくないからだ。
 シスターたちの気遣いに感謝しながら、フロリサさんは毎日、学校に通い始めたばかりの小学1年生のように顔を輝かせ、墓地から20分歩いて、教会でのトレーニングに通った。その事実が、ジュリアンの気持ちをも明るくした。
「お母さんが働くようになれば、二人で力を合わせて部屋を借りて、引っ越せます」
 私たちのマニラ滞在最終日、そう希望を語り始めたジュリアンは、いよいよ卒業までの実地訓練(OJT)が始まる、と話した。5月末までは、卒業とその後の就職に備えた試験と訓練が続く。
「兄や弟妹が何を考えているのか、よくわかりませんが、私はとにかく目標に向かって突き進みます。無事に大学を卒業し、きちんとした職を得て、できるだけ早く、この墓地を脱出するんです」
 墓地の中にあるマイホームの前で、彼女は穏やかな口調だが、堅い意志の込められた言葉を発した。

 5月23日。私のフェイスブックに、2枚の写真が送られてきた。1枚は、バッチリ化粧をして、黒い卒業式用のローブを羽織ったジュリアン。もう1枚は、フィリピンの正装である白い刺繍入りのドレスに身を包んだ姿だ。
 そこには、こんなメッセージが添えられていた。
「私を助け、支えてくれたすべての皆さん、本当にありがとうございます。ただただ、感謝するばかりです。ほかに言葉がみつかりません。Just happy. 私はとにかく幸せです」
 翌日になると、大勢の同級生とともに卒業式に出ている姿が、何枚もの写真を通して伝えられた。その中に2枚、母親のフロリサさんと二人でポーズをとる写真があった。
 白いブラウスで精一杯着飾った母親は、娘の肩に手を回して、いつになく艶やかな顔で柔らかい笑みをたたえていた。そばで娘は、自信に満ちた表情で、夢溢れる未来だけを見つめているように見えた。
 墓地からの脱出。それはジュリアンにとって今、手の届く夢になろうとしているようだった。うまく就職先が見つかり、1年も働けば、最低賃金から始まる給金も上がり、墓地脱出のメドが付くだろう。母親のフロリサさんがハウスキーピングの定職を得られれば、その夢はさらに早く実現できるかもしれない。
 Just happy. その言葉が、「大学卒業」という墓地育ちの少女が勝ち取った金メダルの重みを表していた。そのメダルの価値は、これから試される。

孤独な闘い

 6月末、ジュリアンは、就職活動に苦戦していた。就職希望の書類を出したり面接に行ったりする交通費にも限りのある彼女にとって、それはたやすい闘いではないようだった。おまけに4月に入ってジュネルが墓地に戻り、また少しずつおかしな行動をとるようになってきたことをきっかけに、フロリサさんは教会でのトレーニングを途中で投げ出してしまった。墓地脱出を目指して闘う同志のはずだった母と娘の間に、わだかまりが生まれていた。
「家族は皆、私が稼ぎ始めることを待っています。でも、その様子を見ていると、家族が本当にこの暮らしを変えたいと思っているのかどうか、疑いたくなります。誰も何もしない。母まで変わってしまった気がする。まるで私だけが(墓地脱出のために)もがいているかのような……」
 ジュリアンからフェイスブックに届いた言葉からは、孤独と苛立ちに襲われる少女の叫びが聞こえてきた。それは、家族思いのフィリピン人らしい苦悩であり、また夢のために努力を続けてきた少女の憤りでもあった。彼女は、たとえ自分がどんな状況に置かれたとしても、家族を支えたいという思いを持つ。が、そのために、墓地を脱出するという自分の夢をいったん脇において日銭を稼ぐことにだけに集中するのも、また、堪え難い。そう感じているのだろう。

 フィリピンでは今でも、自分を犠牲にしてでも家族のために尽くすのが当たり前だという考えが、貧しい人々の間で特に強い。すばらしいことだが、それは時に理不尽な結果をもたらす。失業者や薬物・アルコール依存者がいる家庭では、しばしば、尽くす側にいるのは常に同じ人間で、尽くされることに慣れた家族を前に、彼・彼女はひたすら苦労と我慢を強いられるからだ。それでも見捨てないのは、経済的に豊かになって核家族化が進み、個人主義と拝金主義が浸透した社会に生きる私たちに比べ、フィリピン人はまだまだ身内同士の助け合いや、家族の絆をより大切にしているからだろう。そんな人々がつくる社会の中で、ジュリアンは自分らしく生きる道を模索している。
「母をがっかりさせたくない」
 愚痴をこぼしながらも、少女は私にそう書いた。苦しくてイライラし、家族の態度に疑問を感じても、それを表に出さずに困難を乗り越えようとしているのだ。私には、そんな彼女にかけられる言葉がこれしか思いつかなかった。
「まずは、あなたが夢を叶えることだけを考えたら。それが結果として、家族にも幸福をもたらすはず。どんな決断をしようと、私たちはいつもあなたの味方だから」
 
 7月の半ばすぎ、ジュリアンはついに現地でポピュラーなバーガー・レストランへの就職を果した。いよいよ新たな闘いが始まるーー。
 私たちは、生まれる場所や親、家族を選べない。最初に与えられた環境に、人生を大きく左右される。それは事実だ。しかし、その環境を自らの力で変えていくことだって、できる。簡単ではないが、自分を信じ、どうしても助けが必要な時はそれを周囲に求め、諦めずに前へ進んでいけば、道は必ず開ける。私はこれまでに出会った、自分とはまったく異なる、過酷な環境で育った子どもたちに、そう教えられてきた。ジュリアンもその一人だ。だからこそ彼女には、諦めることなく自分の信じる道を進んでほしい。闘い続けてほしい。そんな若者の姿こそが、世界を変える力になる。そう信じているから。

著者情報

ジャーナリスト

工藤律子

くどう りつこ

1963年大阪府生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究するかたわら、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、開高健ノンフィクション賞受賞)、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)、『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)、『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』(集英社新書)などがある。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。

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