民族紛争――何が悲劇を引き起こすのか
吉田徹(同志社大学教授)

映画「アルジェの戦い」より。写真:Album/アフロ
『アルジェの戦い』――復讐のサイクル
1960年は、ナイジェリアやコンゴ民主共和国など、宗主国から独立を果たしたアフリカの国が多いことから「アフリカの年」として知られています。1962年、独立の道に続いたのはフランス最大の植民地、アルジェリアでした。オスマン帝国の衰退に伴い、1830年にフランスが支配し、その後1848年に海外県として処遇された地域です。第二次世界大戦後、イギリスやベルギーなどの旧宗主国は、民族独立の嵐に見舞われて帝国としての地位を失っていきましたが、フランスのアルジェリアは、100万人もの入植者がいたこともあって、簡単に手放せる土地ではありませんでした。しかし、民族自決の波に乗って1954年11月に「アルジェリア民族解放戦線(FLN)」が「赤い万聖節」と呼ばれる、独立のためのテロ行為を起こし、同地は血で血を洗う戦争へと突入することになりました。
この1954年のFLN蜂起から62年の独立までの期間を、孤独な民族主義者かつテロリストである実在の人物、アリ・ラ・ポワントの目を通じて描くのが『アルジェの戦い』(ジッロ・ポンテコルヴォ監督、1966年)です。イタリアのネオ・レアリズモの系譜を引き、名作曲家エンニオ・モリコーネの、緊迫感かつ郷愁漂うスコアが高く評価され、同年のベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した作品です。
映画は、フランスの抑圧がもっとも酷く、アリがフランス軍に爆殺される1957年から始まり、そこから「テロリスト」たるアリが誕生する1954年へと遡り、再度57年へと進む構成を採っています。「我々は警察が用いるのと同じ合法的な尋問を行っている」とするのは、57年に現地に派遣されたエリート集団の空挺師団を率いるマチュー中佐の言葉ですが、このシークエンスで強調されるのは、フランス軍による、水責め、火あぶり、電流、つるし上げといった極悪非道な拷問です。近年の「テロとの戦争」や、映画『マーシャル・ロー』(エドワード・ズウィック監督、1998年)が秀逸に描いたように、本来の任務ではない治安維持を軍が担うようになると、事態はエスカレートしていくのが常です。フランス軍による非人道的かつ報復的な「テロ行為」は、国際社会からも強く非難された史実です。
ただし、作中で詳しく説明されるように、これはFLNが編み出した複雑な組織を壊滅させるためで、組織の情報を入手するために採られた手段でした。アルジェリア戦争では、FLNによる無差別テロによって約3000人の入植者が犠牲になったと推計されています。民族紛争の理論では、自陣営の被害が過大視されることで「復讐のサイクル」が生まれ、互いによる報復がエスカレートしていくことが知られていますが、アルジェリア戦争もそうした過程を辿っていったことが手に取るように描かれているのも、本作品の特徴です。
作品の魅力は、カスバと呼ばれる、首都アルジェの迷路のような美しい街並み、8万人の現地市民が参加した彼らのリアルな表情だけに留まりません。アリが必ずしもアルジェリア独立を願ってテロリストになったわけではないこと、FLN内部の過激派の犯行、あるいはゼネストといった平和的な手段がフランス軍によって破られたことなど、民族紛争が複雑な経路を辿ることを明示していることも、『アルジェの戦い』を名作たらしめています。
アルジェリア戦争は、フランス本国に多大な経済的負担をもたらし、独立阻止を目指す現地軍によるクーデター騒ぎなどもあって、1958年にフランス政府が崩壊するきっかけをつくりました。独立紛争は1960年に再燃、フランス本土でのFLNテロなどもあって、62年3月にアルジェリア独立を認めるエヴィアン協定が結ばれることになります。「君らの望みは何なのだ?」と問う治安部隊に対してアルジェリアの民は「独立!」「民族の誇り!」「我らの自由!」と返します。
独立後のアルジェリアは、1980年代から民主化を試みたものの、その後にイスラム原理主義の台頭を経験し、現在も内情不安を抱えたままです。旧宗主国であるフランスとの外交関係も摩擦が絶えません。しかし、フランスとの戦いに勝利した誇り高い民族は、これからもその歴史を刻んでいくことでしょう。アフリカ屈指のサッカーチーム「MCアルジェ」の本拠地スタジアムは2023年に「アリ・ラ・ポワント・スタジアム」と命名されました。