民族紛争――何が悲劇を引き起こすのか
吉田徹(同志社大学教授)

映画「ホテル・ルワンダ」より。写真:Jerry Watson/Camera Press/AFLO
『ホテル・ルワンダ』――ジェノサイドの責任は誰にあるのか
『ノー・マンズ・ランド』で、新聞を読んで「ルワンダは地獄だ」とつぶやくボスニア人が出てきますが、世界はこの時期、もうひとつの歴史的な民族紛争であるルワンダ内戦を目撃していました。「民族浄化」という忌まわしい言葉を現代に知らしめたのが旧ユーゴ紛争だとすれば、人類が忘れていた「ジェノサイド」という言葉を蘇らせたのは1994年に勃発したルワンダ内戦でした。筆者は、大学生時代にルワンダでの人道支援ボランティアに赴く予定が、この内戦の余波でキャンセルされ、悔しい想いをしたことがありました。機会を見つけて15年後にようやく訪れることができましたが、それだけの時間を経ても、紛争の傷跡をまざまざと見せつけられた経験があります。
「アフリカのスイス」と呼ばれたルワンダは、19世紀末にドイツの保護領となった後、第一次世界大戦を経てベルギー領となり、1962年に独立を果たした国です。アイデンティティを操作することは、支配者の常套手段です。もともとこの地に住んでいた少数派ツチ族と多数派フツ族をベルギーが公式的な民族として認定し、ツチ族を優遇したことも、後の内戦の引き金になったとされます。
このルワンダ内戦を、実在した人物を通じて正面から取り上げるのが『ホテル・ルワンダ』(テリー・ジョージ監督、2004年)です。ルワンダ内戦を引き起こす大きな役割を果たしたのはツチ族虐殺を呼び掛けたラジオでしたが、作品もこの「フツ・パワー」と呼ばれる民族主義が台頭してくる場面から始まります。主人公のポール(同映画は彼の自伝をベースにしています)は、「オテル・デ・ミル・コリン(ルワンダの別称である「千の丘ホテル)の意)」の支配人を務めるツチ族出身の人物です。カズオ・イシグロ原作の『日の名残り』(ジェームズ・アイヴォリー監督、1993年)の執事スティーブンスと同様、彼は世間の騒ぎから距離を置こうとし、名門ホテルの現場を預かる人間としての、被用者根性のようなプロ意識と若干の自意識を持った人間として描かれます。
こうした政治と距離を置こうとする立場はしかし、フツ族出身のハビャリマナ大統領の飛行機が撃墜されたことで生じるフツ族によるツチ族の虐殺によって変転していきます。当時のルワンダは、隣国ウガンダから越境して攻撃を繰り返すツチ族のRPF(ルワンダ愛国戦線)と政府の間での停戦協定(アルーシャ協定)が締結されていたものの、この事件でもって停戦は有名無実化することになりました。現在のルワンダ政府は、大統領機撃墜は、停戦に反発したフツ族過激派によるものだと結論付けています。紛争理論に「スポイラー仮説」というものがありますが、妥協的な平和協定は、むしろ内部の急進派の不満を高めてしまうという事例のひとつです。
妻がツチ族であることから、隣人のツチ族たちをかくまうことを余儀なくされたポールは、軍人たちを買収して、自身が勤めるホテルに彼らをかくまうことになります。内戦が激化する中、国連のPKO要員も駐在するホテルには2000人近くもの避難民が押し寄せ、難民キャンプの様相を呈しますが、ポールは支配人としての務めを最後まで果たそうとします。自身の家族や友人を狙うフツ族、RPFや「フツ・パワー」を統御できない軍部、そして事態を指をくわえて見ているだけの国際社会の間を取り持ちつつ、彼は仲間とともにホテルを守り抜こうとします。
ルワンダ内戦がもたらした衝撃のひとつは、目の前でジェノサイドが進行しているにもかかわらず、国際社会が介入を回避したことにありました。PKOは平和維持ではなく「偵察」が任務とされ、ジェノサイドが始まっても、各国部隊は自国民救出のために派遣されただけでした。作品でも、無力だった国際社会が揶揄されています。「君は頭がいい。スタッフの信望も厚い。だがオーナーにはなれない。黒人だからだ。“ニガー”ですらない。アフリカ人だからだ」――現地PKO部隊を率いたカナダ軍人のポールに対する言葉です。「世界の人々はあの映像を見て“怖いね”と言うだけでディナーを続ける」――フツ族による虐殺をフィルムに収めたジャーナリストの言葉です。
『ノー・マンズ・ランド』も同様ですが、ポスト冷戦、そして現在の民族紛争の特徴のひとつは、メディア時代にあって瞬間的に情報が世界に発信されるものの、あるいはそれゆえに、消費される対象になってしまい、各国ともに自国兵の犠牲を恐れて、介入することができないことにあるのです。ルワンダ内戦では、ソマリア介入で痛手をすでに負っていたアメリカも、自国軍兵士を失った旧宗主国のベルギーも介入に消極的で、手を焼いたフランスが軍を投入するまで虐殺が続きました。
機転を利かすことに長けたポールやその家族は国を離れることができましたが、虐殺は勃発3カ月で国民の1割に当たる約80万人もの死者を出し、その多くがマチェーテと呼ばれたナタや槍などの原始的な武器で殺されました。これはルワンダのツチ族とフツ族の対立だけに起因した問題などではなく、作為的な民族意識の醸成、ラジオというメディアの独占、利害当事国の様子見、隣国との関係、軍の機能不全、限定的なPKO活動、介入の遅れなど、多くの要因が絡み合って生まれた人類史上の悲劇でした。
作中で大きな役割が与えられている国連PKO(UNAMIR)の司令官だったロメオ・ダレールは、ルワンダ内戦は「裏切り、失敗、愚直、無関心、(略)そして悪に関する物語だ」と自著で喝破しています(『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』風行社、2012年)。
『ホテル・ルワンダ』は、当初、日本では興行的に成功しないと思われて公開が見送られた作品でした。これも無関心のなせる業と言っていいでしょう。民族紛争は、民族が異なるゆえに引き起こされるものではなく、その民族が置かれた環境によって引き起こされるものでもあります。このことは、遠い国に暮らす私たちにとっても、民族紛争が無関係たり得ないことを指し示しています。