imidas - 情報・知識&オピニオン

連載

移民・難民――彼らはなぜやってくるのか?

第14回

吉田徹(同志社大学教授)

 2015年にシリアなどから100万人もの難民・移民が流入する危機を経験したヨーロッパは、いま再び難民をめぐる問題に悩まされています。2021年11月には「ヨーロッパ最後の独裁国家」と呼ばれるベラルーシからポーランドへ数千人の難民が押しかけるという出来事がありました。ポーランド当局は、難民を暴力を用いて押し返そうとして、両国間で緊張が高まっています。もっとも、難民はベラルーシ人ではなく、同国が特別ビザを発給してイラクやシリアから招き寄せた人々だと報道されています。これは、対立するEUに対するベラルーシによる、いわば「人間を使った」攻撃です。

 1960年代にはキューバがアメリカに、さらに1970年代にはパキスタンがインドに対して、自国民をわざと難民に仕立てて圧力をかけるという事例もありましたが、これらも難民を用いた新たな隣国への攻撃手段だと国際社会から非難を浴びました。また、最近ではフランスからイギリスを目指して数千人もの移民・難民がドーバー海峡を渡り、溺死事故が相次いだため、両国間の大きな問題になっています。

 これからも、このような移民・難民の問題は後を絶たないでしょう。グローバル化とともに、人の移動は大きな影響を国家に与えるようになっています。国連の推計によると、世界の移民は約2億7200万人(2019年版『国際移民ストック』)、つまり世界のほぼ100人に3人が、自主的か強制的かを問わず、自国から移動している計算になります。そのうち、強制的に移住させられた人々、いわゆる難民は約8000万人を数えます(UNHCR『グローバル・トレンズ2019』)。ちなみに、移民・難民と一括りにされがちですが、一般的に移民は、一定期間を本来の居住地から離れて生活する人のことと定義されますから、「難民」も「移民」として数えられます。そして、ここでいう「難民」とは、難民条約で定められているように、人種、宗教、国籍、政治的意見によって自国で迫害され、外国に庇護を求めるという動機を持つか否かが基準になります。

 もっとも、理由はいずれであっても、人がそれまで慣れ親しみ、生活していた土地を離れて国外へと移動することは簡単なことではありません。違う国、異なる言語や風習、新しい仕事などを前にして、移住先の社会に馴染まないとなりません。そこで生じる摩擦は、並大抵のことではありません。それゆえ、近年のヨーロッパでは、彼らに対するヘイト・クライムが多発するようにもなっています。それでも、なぜ移民や難民は、祖国を後にして、ここへとやってくるのか、ならば彼らや彼女らの存在をどう受け止めたら良いのか――そのことを考える手掛かりとして、3つの作品を紹介します。

今回紹介する3作品のDVD。右から、『戦場のブラックボード』(発売元:オンリー・ハーツ)、『ディーパンの闘い』(発売元:KADOKAWA)、『ジュピターズ・ムーン』(発売元:クロックワークス)。

誰しもが難民だった頃――『戦場のブラックボード』

 中東からの多数の移民・難民がヨーロッパ、とりわけ豊かなドイツを目指していた2015年8月、当時のメルケル首相は次のように言いました。「私たちの基本法(憲法)に刻まれている人道的価値を誇りに思わなければならない」――移民を積極的に受け入れるべきだとするメルケルの姿勢は、移民に対する「歓迎文化」や「私たちは成し遂げる」という言葉とともに知られるようになりました。その根底には「亡命する権利」を基本的権利のひとつとして掲げるドイツ基本法(憲法)の文言があります。憲法にこうした条項が盛り込まれたのは、ナチス時代にユダヤ人を庇護する権利が放棄されたことへの反省だけでなく、敗戦したドイツが領土の4分の1を失い、それとともに1000万人以上の帰還民を迎えたという歴史的経緯があります。

 ドイツのみならず、第二次世界大戦後のヨーロッパでは国境が引き直されたため、混乱の中でチェコや旧ユーゴ、トルコ、ブルガリアなど多くの国で強制送還が行われました。ウクライナからポーランドへは100万人以上、ウクライナからソ連へは50万人以上、方やブルガリアからトルコへは15万人以上、ハンガリーからスロヴェニアへは10万人以上が移住し、アメリカやカナダでも多くの避難民が移民として迎え入れられました。この時代、ナチス・ドイツが占領した地域で保護・送還された人々は700万人近くにのぼったとされています。

 日本でも満州からの引き揚げ者を迎え入れたように、こうした人間の移動は、戦争直後のヨーロッパでは当たり前の風景でもありました。冒頭で言及した難民条約が成立したのは1951年ですが、それもこの戦争直後の時代に難民が大きな問題となっていたからです。言い換えれば、歴史上、最初に移民・難民となったのは、今日一般的に想像されるような途上国の人々ではなく、ヨーロッパの人びとだったのです。そのことを思い出させてくれるのは、クリスチャン・カリオン監督の『戦場のブラックボード』(2015年)です。

 ナチスによる政治的迫害は、ユダヤ人のみならず共産主義者にもおよんでいました。映画は、迫害されてフランス北部の村に亡命した共産主義者ハンスと、その一人息子マックスを主軸に展開します。ハンスは国籍を偽ったかどで逮捕され、2人は離れ離れになります。翌年の1940年5月には、ベルギーを侵攻したドイツ軍がフランス北部への侵略を開始したため、マックスと村の住民たちは、ナチスから逃れるために疎開の旅へ出ることになります。映画のストーリーは、集団疎開して南下するマックスと、刑務所から脱出したハンスが息子を懸命に探し出そうとするシーンが交互に並行して進んでいきます。

映画『戦場のブラックボード』より

 疎開する村人たちは、食糧を確保するためにやむを得ず店を襲撃したり、ドイツ軍戦闘機に掃射されるなど危険な目に遭ったりしながら、逃避し続けます。村民の安全を守ることに疲れ果てた村長は、難を逃れて妻にカナダに移住することを提案します――「もう国に十分貢献した。好きなところで静かに暮らしてもいいだろう」。

 カリオン監督の母親が実際に経験したというこの大規模な疎開は、「1940年の大脱出」として歴史に記録されています。ナチスの侵略を受けて、ベルギー人、オランダ人、フランス人など、あわせて800万から1000万の人々が移動を余儀なくされました。

 大脱出では数万人の子どもが孤児になったと記録されていますが、マックスは疎開の途中で村人たちとはぐれて教会に隠れていた時、偶然にも父親との再会を果たします。それまでフランス語で話すようにマックスに強制していたハンスですが、生き別れになることを避けることのできた2人は母語のドイツ語で会話を始めます。それは2人にとっての戦争、すなわち絶え間のない移動の時代が終わったことを意味するものでもありました。

『戦場のブラックボード』はふたつのことを問う作品です。ひとつは、移動しなければならない人にとって「故郷」が持つ意味です。ベルギーの名匠ダルデンヌ兄弟作品の常連役者であるオリヴィエ・グルメ扮する村長は、ドイツ軍のフランス支配が避けられないことを知って、疎開の途中で、自分たちの村に再び戻ることを決断します――「しっかり生きるためには故郷を離れないことだ」。他方で村民の中には、それでも南下を続けようとする者たちがいます。そこで、故郷すらないハンスとマックスは、互いを発見することで、故郷を一からつくり出そうとする人々として位置づけられます。

 もうひとつは、人が強制的に移動させられることの苦難や惨めさは、国境に関係ないということです。今では「国内避難民」と呼ばれるようになりましたが、紛争や飢饉などによって住んでいた土地や愛着を持つ家族から離れる困難は、国境を越えるか否かではかることはできません。メルケルが遠い中東から難を逃れてきた人々を迎え入れなければならないと訴えた背景には、自分たちもまた故郷を失った難民・移民としての歴史と経験を持っていたことも関係しているはずです。

 

より道徳的な存在――『ディーパンの闘い』

 ホスト社会から移民たちへ向けられる視線ではなく、移民がホスト社会をどのようにみるのかを描くのは、ジャック・オディアール監督『ディーパンの闘い』(2015年)です。高い評価を得たこの作品は、同年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

関連記事

新着記事

imidasの更新情報をお届けします。