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福島を語る

「復興五輪」の現場から⑥ ある町長の死(1)

三浦英之(新聞記者、ルポライター)

 もう一つ、馬場町長自身の健康問題があった。町長はその半年前から入退院を繰り返し、長く町長室を留守にしていた。町役場側による病名の説明は「腸閉塞」。私は「新聞舗の春」の取材当時から再三インタビューを申し込んでいたが、馬場町長は―というよりは町の総務課は―その取材要請に応じなかっただけでなく、福島県沿岸部の各首長たちが恒例として毎年3月に実施している各市町村内の復興状況を全国に発信するための報道各社のインタビューについてもすべてキャンセルし、代理で副町長がインタビューを受けるという異例の対応でしのいでいた。私と担当デスクは途中で馬場町長の体調が悪化して取材が中断されることも想定し、通常の口述筆記で採用している自らの生い立ちを幼少期から振り返ってもらう手法ではなく、馬場町長の人生が最も激しく揺れ動いた震災直後の場面から記憶を辿ってもらうことにしていた。

 当日の午前中、馬場町長は7年ぶりに町内で授業を再開させる「なみえ創成小中学校」の開校式に出席した。久しぶりの公務にあたり、いつ病状が急変しても対処できるよう、町の保健職員が見守る中での出席だった。

 壇上では次のような祝辞を述べた。

「我が故郷・浪江町についに子どもたちの笑い声が戻ってきました。嬉しくて仕方がありません。今日は記念すべき浪江町の復興の、大きな、大きな第一歩です」

 入学した児童生徒の数は小中学校を合わせてわずか10人。それでも馬場町長は余程嬉しかったのだろう、式典後、報道陣に囲まれると「我々にとっては(学校に通ってくれる)児童や生徒の数にそれほど意味はありません。子どもたちがこの町に戻ってきてくれた。その事実こそが大きいのです」と目を細めて宣言していた。

 午後2時、私は鈴木新聞舗に立ち寄って店主の鈴木裕次郎さんと近くの定食屋で一緒に焼き肉定食を食べてから、馬場町長の自宅に徒歩で向かった。インターホンを押すと「どうぞ」という夫人の柔らかな声が内側から聞こえ、そのまま居間へと通された。避難指示解除後に建てられた新築らしく、庭には植えられたばかりの芝生が春の日差しを浴びて湖面のようにきらめき、外には真新しい電気自動車が停められていた。

 穏やかな日差しが差し込むリビングで、馬場町長は青と白のチェック柄の普段着を着込み、ゆったりと栗色のダイニングチェアに腰掛けていた。

 痩せている―。

 それが私の第一印象だった。午前中の式典ではスーツを着ていたので目立たなかったが、柔らかな素材の普段着に身を包んで腰を下ろしている馬場町長は―まるで朽ち果ててる直前のイチョウの木のように―一回りも二回りも小さく、水分を失っているように私の目に映った。

 私は町長と向き合う形でダイニングチェアに座った。「何か温かいものでもお飲みになりますか?」と馬場町長に聞かれたので、私は「それではお茶をお願いいたします」と近くにいた夫人に求めた。

 馬場町長は自宅で過ごしているせいか、非常にリラックスしているように見えた。原発事故の最前線で陣頭指揮を執った「闘う町長」の険しさは影を潜め、どこか定年後に自宅の庭で園芸を楽しんでいる好々爺のような麗(うら)らかさを身にまとっている。

 雑談が一段落すると、馬場町長は「先日言い忘れてしまったのですが、実はもう一つだけお願いがあるのです」と思い出したように私に言った。「それはつまり、確認についてです。これから私がお話しすることについてはどうか、しっかりと裏付けを取ってから記事にして頂きたいのです。私は震災直後の出来事についてはわりと鮮明に記憶が残っている方だと思うのですが、それでもこの歳ですから、若干記憶が薄れてしまっていたり、あるいは私の勘違いだったりすることがあるかもしれません。私や浪江町の経験を後世に残して頂く以上、私の記憶違いで他の方に迷惑が掛かったり、誤った事実が史実として伝わったりしないよう、できるだけ複数の方に事実関係をお確かめになった上で、記事をお書きになって頂きたいのです」

 その申し出については議論の必要はなさそうだった。私も職業記者である以上、町長本人の発言とは言え、事実関係の裏付けなしでは記事にできない。「もちろんです。お伺いした内容についてはしっかりと裏付け取材をした後で記事化することをお約束いたします」と私は告げた。

 馬場町長は表情を変えずに頷いた。そして、別室にいた夫人を呼び寄せ、自分と私のお茶を替えさせると、再度、掲載についての条件(自分が許可するか、万一のことがあった後に掲載するという約束)を私に向かって確認した。

「そちらも上司と確認済みです。お約束は絶対にお守りいたします」

 私がそう言うと、馬場町長は一瞬、わずかに微笑んだように見えた。隣に立っていた夫人を見上げるようにして「それでは口述筆記を始めましょうか」と何かを確かめるように言った。

「まず最初にですが……」と馬場町長は話し始めた。「私はあなたに伝えておかなければならないことがあります」

 私は黙って頷いた。

「すでにお察しかもしれませんが、私はがんです。4年前に手術した胃がんが転移しており、手術は難しい状況です。間もなく放射線治療に入ります」

 突然の告白に私は思わず目を見開いた。馬場町長は意図的に視線を宙へと漂わせ、私と目を合わせようとはしない。

 がん―?

 私は激しく混乱しながらも、それまで聞いていた馬場町長の病名を記憶の中に探った。連載取材時、町役場から受けていた馬場町長の病状は確か「腸閉塞」だった。

 噓だった―?

 予期せぬ展開に思わずつばを飲み込むと、その音が思いの外大きく響いた。

「どうしても後世に伝えて欲しいことがあります」と馬場町長は事前に準備していたのだろう、今度は私の両目をしっかりと見つめ、胸の中に詰め込まれていたものを吐き出すように話し始めた。「今でも『原発事故による死者はいない』と言う人がいますが、あれは完全に間違いです。浪江町にはあの日、本来の情報が届いていれば、命を助けることができたかもしれない人がいた。それをどうしてもあなたに伝えて欲しく……」

 そう言うと、何度も苦しそうにせき込んで、天井を見上げた。

 

本連載「『復興五輪』の現場」は、大幅に加筆・修正を加えて、この秋に単行本化されます! 詳細が決まり次第、お知らせします!

著者情報

新聞記者、ルポライター

三浦英之

みうら ひでゆき

1974年、神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021年LINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で第10回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第22回新潮ドキュメント賞を受賞。

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