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特集

「昭和20年」文学者たちの日記  

奥 憲介(文芸批評家)

【4月】清沢洌(当時55歳・東京にて)

四月十六日(月)
(中略)
これらの空爆を通して、一つの顕著な事実は、日本人が都市爆撃につき、決して米国の無差別爆撃を恨んでも、憤ってもおらぬことである。僕が「実に怪(け)しからん」というと、「戦争ですから」というのだ。戦争だから老幼男女を爆撃しても仕方がないと考えている。「戦争だから」という言葉を、僕は電車の中でも聞き、街頭でも聞いた。『暗黒日記』 清沢洌 山本義彦編著 岩波文庫

【紹介】
 清沢洌(1890~1945)は国際問題を専門とするジャーナリスト・評論家である。16歳の時に渡米し、デパートで雑役をしながら、カレッジで政治経済を学び、現地の新聞記者として身を立てる。帰国後は、中外商業新報社、東京朝日新聞などに勤めるが、時流に抗した自由主義的な姿勢は右翼の攻撃の的となり、フリーの評論家に転じる。その後、石橋湛山に請われて東洋経済新報社顧問となる。
『暗黒日記』は単なる日記というよりも、戦争が終わった後に執筆するつもりだった日本の政治・外交史に関する本のための材料集めが目的だった。それゆえに当時の新聞記事の切り抜きも多い。戦時下の言論統制の渦中において、戦争に反対し、軍部・政府への厳しい批判が展開されている。ここまで踏み込んで書かれている日記は珍しい。しかも清沢のように戦争反対だけでなく戦争終結後のことまで考えていたこと自体、極めて稀だったに違いない。
 弾圧や迫害にも負けず未来を見据え活動した清沢だったが、希望を託した戦後の日本を知ることなく、終戦直前に肺炎で死去した。

【解説】
 清沢は周囲から日記をつけるのは危ないと警告されている。実際に何者かに身辺を監視されていることを記している。もしも反戦、反政府についての文章が見つかろうものならたちまち憲兵に引っ張られてしまう。清沢に限らず戦時下で日記をつけるのは簡単なことではなかった。見つからないように保管にも気を付けなければならなかった。
 ドナルド・キーンは、谷崎潤一郎の戦中日記はあまりに興味に乏しく引用したいとは思わないが、清沢の日記は軍部に率直に反対を表明していることだけとっても引用に値すると書いている。(『日本人の戦争』)
 しかし、日記に書かれているのは学者好みの時局や政治、国際問題の分析ばかりではない。空襲の状況や、家族や友人のこと、街の人々の様子などさまざまなことが仔細に書き込まれ、他では見られないほど当時のことが立体的に立ち上がる。それがこの日記の特質であり、老練のジャーナリストとしての清沢の力であり、彼の思想そのものだろう。
 特に目をひくのは、時折、市井の人々との交流や観察を通じて当時の大衆のメンタリティを記しているところだ。「毎日、デマが盛んに飛ぶ。(略)これは恐慌時代、不秩序時代の一歩手前だ。元来が、批判なしに信ずる習癖をつけてこられた日本人だ。これが悪質のデマと化すると、どんな事でも仕出かす可能性がある」(四月十七日)

著者情報

文芸批評家

奥 憲介

おく けんすけ

1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東日本大震災、福島第一原発事故をきっかけに本格的に文学評論に取り組み始める。会社員として勤務する傍ら執筆をつづける。「開高健論~非当事者性というフロンティアを生きる」で2018年すばるクリティーク賞佳作。戦後文学、現代社会をテーマに文芸誌等で活動をしている。著書に『「新しい時代」の文学論 夏目漱石、大江健三郎、そして3.11後へ』(NHKブックス)がある。

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