日本に逃れてきた難民の人権を守れ!
樫田秀樹(ジャーナリスト)
「ここは刑務所以下です。刑務所なら何年収監されるか予めわかりますが、ここではそれが一切わかりません。私は何か悪いことをしたのでしょうか。ただ難民認定申請をしただけなんですよ」――もう2年11カ月も収容されているイラン人のMさんのアクリル板の向こうから訴える声は悲痛だ。
今年(2018年)10月3日、私は茨城県牛久市にある法務省の「東日本入国管理センター」を訪れ、長期にわたって収容されている数人の外国人にアクリル板越しの取材をした。
日本へ難民認定を申請した人の置かれた状況とは
日本にはこのような難民申請中の人や在留資格のない人などを収容する施設が、牛久のほかに長崎県大村市に大村入国管理センターがあるほか、短期に収容する施設は15カ所(入国管理局8カ所とその支局7カ所)ある。
ここ東日本入国管理センターには、不法滞在とされる342人の外国人男性が収容され、うち難民認定申請者は242人(2018年2月26日時点)。そのほとんどが年単位で収容され、いつ放免されるかはまったくわからない状態に置かれている。
Mさんはイラン人。母国で反政府運動をしていたが、自分の身に危険が迫っている情報を得ると、すぐにヨーロッパへ逃げた。そこで落ち着き先を考えたときに思い浮かんだのが「日本」だった。
「中東ではいつも戦争や内紛、弾圧があります。私にとって日本は、安全で、戦争をしていない国というとてもいいイメージを持っていました」
渡航資金を工面し、日本の観光ビザを得ると成田空港まで飛んだ。Mさんは成田空港での入国手続き時に正直に「難民申請をしたい」と訴えた。すると、入国管理局は、観光目的ではなかったとして観光ビザを取り消し、Mさんは「在留資格」を失った。ただし、本人が「難民です」と言っている以上は強制退去させるわけにもいかず、本当に難民かを判断するまでの間ということで、Mさんを即、牛久の東日本入国管理センターに送った。
難民申請者を強制退去させられないわけを、難民支援協会(東京都千代田区)広報部チームリーダーの野津美由紀さんに取材した。日本も加入している、難民の保護を目的とした国際条約である「難民条約」(難民の地位に関する条約)で、締約国は、ひとたび受け入れた難民認定申請者を迫害の恐れのある国へ移すことができないとしているからだ。
Mさんはここで1年2カ月を過ごす。
その後、入国管理局は、Mさんを難民とは認めなかったが、日本国内で保証人と住所とが決まったことで、Mさんを「仮放免」した。
日本では、不法滞在をしている外国人には、母国に帰国するまでの収容が原則となっている。だが、体調悪化や収容長期化などの情状を酌量し、保証人と保証金が用意できれば、暫定的に収容を解かれることがある。これが仮放免だ。
だが、これはこれできつい。仮放免者は「就労が許可されない」し、「健康保険に入ることもできない」し、「居住する都道府県外への移動は事前申請が必要」だ。さらに、仮放免された人に子どもがいた場合、その子どもも「仮放免」での滞在と見なされ、通学はできても、将来、就職ができないという問題にぶつかる。
人間、働かずには食べていけない。
だからMさんはプラスチック生成工場でこっそりと働いた。しかしばれた。Mさんは再収容され、今、2回目の収容は2年11カ月にもなっている(2018年10月3日時点)。
再びの仮放免はいつか? 入管の職員からもその類の情報はまったく入らないという。人生の先がまったく見えないことにMさんは希望を失いかけている。
Mさんの話によれば、Mさんの恋人は、2014年にイランから逃げて渡米して難民申請をした。すると、その数カ月後には難民認定され自由な人間として生きている。Mさんは恋人に所内の公衆電話を利用して週に1、2度電話をするが、恋人は、犯罪を犯したわけでもないのにMさんが囚われの身となっていることをただ悲しんでいるという。逃げた国が違うだけで、恋人とはあまりに違う境遇。
「日本は本当に難民にやさしい国だと思っていた。こんな扱いを受けるなら第三国に行きたいです。でも、その前にこの外に出たい。それがいつになるかまったくわからないんです」
世界と比べ極めて壁が高い日本の難民認定
難民支援協会の野津美由紀さん
「正直者が馬鹿を見ます」
こう語るのは前出の難民支援協会の野津さんだ。
難民支援協会は1999年に設立以来、一貫して、来日直後に困窮状態に置かれている難民申請者の生活相談やシェルター(宿泊施設)の提供、医療支援、難民認定のための法的支援、そして日本の地域社会の一員として過ごせるよう自立を目指した就労支援やコミュニティー支援を展開している。2017年度は72カ国の人々に対して1349件の法的カウンセリングを実施し、19名への難民認定、1名への「人道配慮による在留特別許可」を得ることができた。
「人道配慮による在留特別許可」とは、難民認定がされない場合でも、法務大臣の判断で、特別に滞在が許可される場合がある。最近の事例では、シリア出身の人々の多くが、本国の情勢が危ないことから、難民として認定されなかったものの人道配慮による在留特別許可をもらった事例がある。2017年で45人が認められた。
難民支援協会では就労支援も行っているため、就活用のスーツなども貸し出している。
難民支援協会も牛久での面会を実施しているが、野津さんは日本の難民認定は極めて壁が高いと訴える。
「観光ビザでそのまま入国し、在留資格の期限が切れる前に難民申請した人なら、「特定活動」という在留資格に切り替わり、認定されるかどうかの結果が出るまでは日本に滞在が許可されます。その間に私たちも含め支援する人とつながる可能性はある。でも空港で難民申請をしたいと申告し、そのまま入国管理センターに移送される人たちは、日本に知人がいないまま、日本語も話せず収容されてしまいます。そのため、仮放免のために必要な保証人や保証金を工面する上で極めて厳しい状況に置かれています」
世界ではここ数年で多数のシリア難民やロヒンギャ難民などが発生。ヨーロッパでは、各国が数万人規模のシリア難民を受け入れた。だが日本では、2017年の難民認定申請者1万9628人に対して認定したのはわずかに20人(法務省入国管理局)。ほとんどの申請者は難民と認められず、人道配慮による在留特別許可を得た45人をのぞいて在留資格を失い、強制送還の対象となります。さらに難民申請の結果が出るまでに平均2年半、長い場合で10年近くかかるという。

私はこの数に違和感を抱く。というのは、1970年代末、日本は、ベトナム、ラオス、カンボジアからのインドシナ難民を約1万1000人も受け入れた過去があるからだ。なぜ今難民を受け入れないのか。野津さんはこう説明する。
「インドシナ難民は日本政府も外圧で受け入れを決め、批判されない程度の人数を受け入れたんです。同時に、1981年、日本は『国連難民条約』を批准しましたが、問題は、インドシナ難民以降に難民をどう受け入れるかの方針を決めてこなかったことです。ただ、『偽難民を排除する』ことに力を割いているのが現状です。つまり、難民保護よりも管理を優先しています」
その管理の象徴が入国管理センターだ。
国際的な条約として日本も批准した「国連難民条約」は、難民の保護や待遇などに関して取り決めたもので、1951年に採択され54年に発効した「難民の地位に関する条約」と、1967年に採択された「難民の地位に関する議定書」のことだ。日本は批准後の1982年に「出入国管理及び難民認定法」が成立しているが、難民を管理するという姿勢が強いものだ。
前出のMさんも含め、難民はとにかく命を守るために生活基盤のあった地域や国から「逃げる」ことを優先する。その際、安全で、子どもがまっとうな教育を受けられる先進国へと願うのは当然であり、過去70年以上戦争をしていない日本に憧れる人は多い。だが、その日本でまさか長期間収容されるとは誰も想像していない。
入国管理センターではどのような収容生活をしているのか?
茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」
スリランカ人のPさんには、働いている日本人妻がいる。つまり、住所も保証人も有するのに、仮放免されないことが理解できない。
Pさんはスリランカで反政府運動をしていたが、友人が何者かに殺されたことに危機感を覚え、2008年1月17日に来日した。生きるためにアルバイトをしていたが、2010年3月24日、オーバーステイがばれて入管に身柄を拘束された。仮放免されたのは2年半後の12年9月13日。その翌年に日本人女性と結婚する。
その後、数カ月おきに仮放免を更新してきたが、17年10月の更新手続きの際、更新が認められずに即、東京都港区の東京入国管理局に収容される。Pさんはここで2回の仮放免申請をするが認められず、今年3月28日に牛久に移送された。ここでも2回の仮放免申請をするが、やはり理由を開示されずに仮放免は認められない。
「もうストレスです」
Pさんはくたびれている。「見てください」と頭を下げた。頭頂部に頭髪がない。
「ここでは毎日同じ生活です。おなかが減るから食べるだけで、食事らしい食事とは言えません。ビールだって飲めません。いつ出られるのかもわからない不安で夜も寝られない。髪も抜けるし、ここでは私、動物よりも下の扱いです。なぜ仮放免が認められないのか、その理由すらもわかりません」
Pさんはこれまでに3年半を被収容者として過ごしている。この失われた3年半を取り戻すことは誰にもできない。
著者情報
ジャーナリスト
樫田秀樹
かしだ ひでき
1959年、北海道生まれ。岩手大学卒業。コンピュータ関連企業勤務を経て、NGOスタッフとしてアフリカでの難民キャンプで活動後、フリーのジャーナリストに。取材で国内やアジア各地に赴く。各誌に環境問題、社会問題、市民運動、人物ルポなどを寄稿。
著書に『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波ブックレット、2017年)、『〈増補〉“悪夢の超特急”リニア中央新幹線――建設中止を求めて訴訟へ』(旬報社、2016年)、『自爆営業――その恐るべき実態と対策』(ポプラ新書、2014年)、『世界から貧しさをなくす30の方法』(共同編集、合同出版、2006年)など。