入管施設で100人がハンスト?! 収容されている外国人たちが苦しむ長期拘束と「仮放免」問題
樫田秀樹(ジャーナリスト)
これは脅しではない。ウチャルさんは今、複数回目の難民認定申請中だ。入管は18年1月12日に「難民認定制度の適正化のための更なる運用の見直し」との方針を出し、繰り返される難民認定申請に対しては再申請を認めないということにした。つまり、複数申請者には収容か強制送還かの措置を取るということだ。
さらに、入管は新たな「指示」文書を出して、仮放免を許された者への監視を強めることを表明している。ウチャルさんにもこんなことがあった。
ウチャルさんが東京入管での更新手続きを済ませ、電車で自宅のある川口市まで戻るとき、電車の中で自分をチラチラ見る黒いジャンパーの男がいたという。
「その人、同じ駅で降りると、私が喫茶店で友だちと話していても近くにいる。そのうち、ジャンパーの開いている胸元から制服の『IMMIGRATION』(入管)のロゴが見えたんです。友だちが飛んでいって『お前、入管だろ!』と怒鳴って追い返しました」
こういった尾行のほかにも、入管の監視活動には抜き打ち訪問や抜き打ち電話などがあり、私は複数の仮放免者からその証言を得ている。
まゆみさんはこう訴える。
「私たちが安心して暮らすためには何かしらの在留資格が必要です。私たちは今後法的措置も視野に入れて闘っていきます」
施設内では死を賭したハンストが始まった!
なかなか仮放免の許可を出さなくなった牛久入管では、最近憂慮すべき事態が起こっている。これに抗議するため、最大時で約100人の被収容者が「死を賭した」ハンガーストライキを行っているのだ。
この本気のハンストが功を奏したのか、牛久入管は少しずつハンストを行った被収容者に仮放免の許可を出している。被収容者の支援団体も当初は「よかった」と胸をなでおろした。ところが、その仮放免期間はわずか1~2週間と異常に短く(通常は1カ月以上)、その後の再更新はほぼ例外なく不許可となり、期間終了しだい即日で牛久入管に送り返されるという異常事態が続いている。
水以外を口にしないハンストは、2019年5月、イラン人男性のシャーラムさんが一人で始めた。すでに2年以上も収容され先の展望が見えないシャーラムさんの「生きて出るか、死ぬか」を覚悟しての行動だった。
1週間後、シャーラムさんは体調を崩し倒れた。それでもハンストを続ける姿に徐々に同調者が現れ、集団無期限ハンストに発展。その数は最大時で約100人に膨れ上がり、牛久入管では誰かが吐血したり、昏倒する毎日が当たり前になった。
私が牛久入管でもっとも多く面会取材をしたデニズさん(40歳。トルコ出身のクルド人)もその一人。妻は11年に結婚した日本人女性だ。
デニズさんがハンストに参加したのは6月から。デニズさんはトルコで反政府デモに参加したことがある。すると警察に連行され殴る蹴るの暴行を受けた。クルド人というだけでトルコ人から差別される日常に嫌気がさし、07年5月に来日した。これまで幾度も難民認定申請をしているが、いずれも不許可となっている。
同年、デニズさんは生きるために不法就労をした。それが発覚し10カ月牛久に収容された。翌年に仮放免と2度目の収容を経験。そして(2度目の仮放免のあと)3回目の収容で、ハンスト開始。その時点で収容期間は3年にも及んでいた。
前述したように、長期収容は被収容者の体と心を壊す。デニズさんもあまりの絶望感からこれまで4回の自殺未遂を収容中に起こしている。
絶望の淵にいる夫を助けたい。その想いから、妻のA子さんは、牛久入管にデニズさんの仮放免を求めて手紙を書いた。A子さんの許可を得て、内容を紹介する。
「収容されてからの彼の精神面は心配なことばかりで、月に一度は必ず面会に行き、電話でも話をします。私の母は心臓も悪く、一人で外出もできず、車椅子で生活をしております。
私は仕事をしながらの介護と彼の収容で、そして毎日が一人っきりの状態で、精神的にも、肉体的にもギリギリのところに来ております。もう一度、夫婦二人で力を合わせ、法律厳守を誓い、生きていく所存でございます。どうぞデニズの仮放免の許可をいただけますようお願い申し上げます」
デニズさんが一日も早く妻に会うためには、とにかく仮放免を待つしかない。だが3年間で10回以上申請しても仮放免は一度も許可されなかった。その絶望感が時に限界を超えることがある。17年1月29日、デニズさんは天井を破壊し、むき出しになった軽量鉄骨に破いたシーツを使って首をかけた。幸いにもシーツが伸び、長身の体のつま先が床についたことで一命はとりとめた。3度目の自殺未遂だった。
たった2週間の仮放免。再収容後の闘い
デニズさんも、今年5月から始まった「生きるか死ぬか」のハンストに「生きて出る」ことを賭け参加した。
6月になると、最初のハンスト者、シャーラムさんの仮放免の方針が決定された。シャーラムさんの今回の仮放免は、7月9日からわずか2週間。デニズさんは職員から「彼はまた戻ってくる」と聞かされていた。そして7月22日、シャーラムさんは東京入管に仮放免の更新手続きに訪れたが「不許可」となり、職員の言っていた通り、即日で牛久入管に戻された。
「最初からそのつもりだったのか!」と被収容者たちはこれを知って怒りに燃え、新たにハンストに加わる人が増えた。長期化するハンストの中で、デニズさんはA子さんとの電話でこんな言葉を漏らした。
「もう死んでもいい」「面会にはもう来なくていいよ」「あなたのそばにいきたかったよ」
A子さんは泣いた。死を賭ける選択肢なんてあんまりではないかと。A子さんはすぐに牛久入管に電話をして「どうか夫を死なせないでください!」と訴えた。
7月24日、私の携帯電話にデニズさんから弾んだ声での連絡があった。「仮放免が決まった!」。ただし、2つの条件をのまねばならない。ハンスト中止と血液検査を受けることだ。デニズさんはこれに従い、8月2日についに仮放免される。だが、期間はシャーラムさんと同じ2週間……。この時点でデニズさんは再収容を覚悟したようだ。
仮放免されてすぐに、デニズさんは精神科で診察を受けると、「拘禁反応の疑いあり」との診断が下された。その病巣ともいえる場所に、治療もせずに、たった2週間後に戻るのか。3年2カ月ぶりに会った妻とわずか2週間で別れるのか。難民認定申請をするだけなのになぜ犯罪者のように扱われるのか。8月13日の更新手続きを前にした記者会見の席で、デニズさんは絶望感から泣いた。

8月13日。同時期に仮放免を受けたイラン人男性(左)とともに記者会見を行ったデニズさん(右)。「私たちは再収容されてしまう!」

8月16日の朝9時20分、東京入管にバスで降り立ったデニズさんは取り乱した様子もなく、覚悟を決めたのだろう、淡々と報道陣の取材に答えていた。
「この2週間、毎日、奥さんと一緒にご飯を食べて、一緒に笑って、楽しかった」
彼の言葉に支援者の中には涙をこらえる人もいた。
10時20分。デニズさんは仮放免更新手続きのためのインタビュー室に入った。支援者たちは彼と握手を交わし「ここで待っているから!」と声をかけた。デニズさんは悲しそうに「いえ、牛久に行きますから。面会に来てくださいね」と笑った。
12時50分頃、入管職員がデニズさんの主任弁護士に仮放免の不許可を伝えた。デニズさんは姿を現すことなく、牛久入管に移送された。
「再収容されたら、またハンストやるよ。もし、また仮放免2週間という提示を受けたとしてもハンストは続ける。1カ月以上の仮放免が出るまで食べないよ」
デニズさんは、私にこう話していた。大丈夫だろうか。体も心も壊れないだろうか。
8月21日。私はデニズさんに会いに牛久入管を訪れた。面会室に入ると、アクリル板の向こうにいたのは、車椅子に乗って、目に力がなく、無精ひげを生やしたデニズさんだった。
「早速ハンストをしていますが、もう体力がなくて歩けない。体重は5日間で5キロ減りました。でも今度は1カ月間とか2カ月間の普通の仮放免が出るまでハンストをやるから」
牛久入管では8月21日時点で約80人がハンストを続けているという。この日、デニズさんに面会を申し込んだ支援者によれば、デニズさんは起き上がることができない状態にまで衰弱し、面会は実現しなかった。そして9月2日には、デニズさんから私に弱々しい声だが「まだハンスト頑張っています。ここから出るか、死ぬかのどちらしかありません」との電話が入った。私にはデニズさんが生きぬくことを祈るしかなかった。
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収容中も収容後も苦しむ在留資格なき外国人たち。特に、この7月からの「短期仮放免+再収容」といった入管の運用はいったい何のためなのか。
私の周囲を見れば、この問題に関心を持つ人は少ない。普段は「人権を守れ」と声高に訴える組織もこの問題にはほぼノータッチ。遠い外国で難民支援に携わるNPOなども足元にいる難民(申請者)には目を向けない。メディアも同様で、私がこの件で企画を出すと編集者から言われるのが「彼らは不法滞在してるんだろ。自業自得だよ」との一言。一般市民も同様で、その奥にある問題に意識が向けられないのが現状だ。
この問題は、国会で入国管理法などを審議しない限り解決しない。だが、その国会議員が牛久入管などを視察するのは年にほんの数人だ。
現実は実に厳しいが、それでもインターネット上で情報を発信したり、街宣行動をしたり、入管施設前で抗議行動をする市民団体や個人は存在している。私も、せめて国会でこの問題が審議されるまでは、今後もこの問題に関わろうと思っている。
著者情報
ジャーナリスト
樫田秀樹
かしだ ひでき
1959年、北海道生まれ。岩手大学卒業。コンピュータ関連企業勤務を経て、NGOスタッフとしてアフリカでの難民キャンプで活動後、フリーのジャーナリストに。取材で国内やアジア各地に赴く。各誌に環境問題、社会問題、市民運動、人物ルポなどを寄稿。
著書に『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波ブックレット、2017年)、『〈増補〉“悪夢の超特急”リニア中央新幹線――建設中止を求めて訴訟へ』(旬報社、2016年)、『自爆営業――その恐るべき実態と対策』(ポプラ新書、2014年)、『世界から貧しさをなくす30の方法』(共同編集、合同出版、2006年)など。