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2019年参院選を読み解く(その2) 野党連合の反攻

安倍政権の危機に野党は好機をつかむのか。地域ネットワークの力が試される!

木下ちがや(政治学者)

〈その1〉で述べたように2018年3月から4月にかけての危機を乗り切った安倍政権は、野党連合の陣地の各個撃破に乗り出す。6月の新潟県知事選で与党系候補が勝利したことで、残された野党連合の拠点は沖縄のみとなった。
 米軍普天間飛行場の辺野古への県内移設に反対し、保守・革新を超えて結集した「オール沖縄」勢力は、14年に翁長雄志県知事を誕生させ、14年の総選挙では沖縄の4つの小選挙区で勝利し、16年の参院選でも勝利しと、着実に地盤を固めているかに見えた。ところが18年に入ると、オール沖縄は名護市長選で敗北、8月8日には翁長知事が逝去し、9月30日に前倒しされた沖縄県知事選の行方に暗雲が垂れ込めた。安倍政権はこの知事選で勝利し、野党連合の息の根を止め、辺野古への基地移設と総裁選での安倍三選を確実とすることを狙っていた。さらにこの選挙は、辺野古基地移設と同じように、世論で反対あるいは消極的意見が強い憲法改正国民投票を勝ち抜くための前哨戦にも位置付けられていた。
 オール沖縄は、翁長知事が最期にやり遂げた「辺野古埋め立て承認撤回」の判断を守り抜き、県知事選で圧倒的な基地反対の民意を示し、基地移設阻止の活路を切り開かなければならなかった。安倍政権は、ひとつの地方選では異例の物的、人的動員をかけた。SNSを最大限に活用した「フェイクニュース」の拡散を行い、かつてない情報戦を展開した。
 これに対しオール沖縄陣営は、野党統一候補・玉城デニーを擁立し、「新時代沖縄」のスローガンを掲げ、形勢を逆転させていった。そして玉城は県知事選史上最高得票で圧勝したのである。以後、オール沖縄は、市町村選挙、沖縄県民投票、衆議院補選で連戦連勝している(#1)。
 この沖縄の一連の選挙戦は、挫けかけていた野党連合に再起の手がかりを与えた。選挙戦に多数の野党政治家、支援者が投入されていくなかで、沖縄では国政レベルに先がけて野党間の協力関係が強化されていった。野党間の分裂の傷は癒され、旧民進党系勢力は基地移設へのこれまでの曖昧な立場を捨て、全野党が反対の立場を明確にしていく。沖縄は、野党連合に来るべき反攻のための試練を与えた。以後野党連合は、選挙があるたびに沖縄に結集し、原点を確認していく。参院選告示直前の7月1日には、立憲民主、国民民主、共産党の党首が沖縄県庁前に結集し、結束と参院選の勝利を誓い合ったのである。

復活はなされたのか

 沖縄の選挙戦で分裂の傷を徐々に癒しつつあった野党連合ではあるが、2019年5月までその姿は、国民の目には揉め事を繰り返す弱小勢力としか映っていなかった。野党連合の支持者には閉塞感が広がった。この閉塞感と、安倍政権がもたらす憂鬱さこそが、「第三極」ポピュリズム台頭の土壌となったのだ。4月の大阪ダブル選挙で圧勝した日本維新の会の躍進と、同月に立ち上がった山本太郎率いる「れいわ新選組」の登場である(#2)。参院選ではこの2つのポピュリズム政党が議席を伸ばし、野党連合はまたも沈没するのではないか。このような見方に、マスコミは「6月末まで」は傾いていた。
 19年1月28日に開会された第198回通常国会では、与党により衆参予算委員会が3か月以上開催拒否され、野党連合は活躍の舞台を失っていた。この間、安倍政権、与党、そして2つのポピュリズム勢力により存在感を消された野党連合は、ふたたび地上に姿を現す機会を探る状態にあった。
 もちろんそれまで、野党連合はただ手をこまねいていたわけではない。水面下では反攻の時に向けた結束の努力が着々となされていた。
 野党間の連携の強化は、沖縄での動きと同様に、党首間の鳩首会談というよりも、地域レベルのネットワークのなかで進んでいった。その好個の事例は香川県だろう。16年参院選において、香川県は唯一共産党候補で野党一本化を果たした地域である。選挙では敗北したものの、ここで培われた信頼関係は、17年総選挙で民進系の小川淳也衆議院議員が希望の党から出馬したのに対して、共産党が対立候補擁立を見送ったことにつながる。のちに小川淳也は立憲民主党に合流し、19年の統一地方選では四国の共産党県議候補の支援にまわる。6月27日には参院選野党統一候補の支援を名目に立憲民主枝野幸男代表、国民民主玉木雄一郎代表を香川に招き、両党の結束を演出している。
 この香川県だけではなく、同じような試みが全国で大小無数に行われてきた。東京都中野区では、市民らによる地道な仲介で18年区長選では野党統一候補を勝利させ、19年区議選では自公を少数派に転落させた。島根県では社民・民主系、共産党系別々で開催されていた憲法記念日の集会を、地元の牧師の尽力もあり共同開催している。東北地方では立場を超えて震災復興に一緒に取り組んだことが信頼関係を培い、野党間の協力を促した。そしてこういった協力関係をつくりあげる上で、全国各地での反原発運動、反安保法案のデモで培われた交流が礎(いしずえ)となった。草の根の連帯が野党間の壁を壊し、分裂を修復してきたのだ。
 このように、野党連合は単なる政党間の野合にとどまらず、お互いの支援組織、支援者がより有機的に結びつき、選挙で全力を引き出せる体制が整えられてきた。
 5月29日、野党間のハブである「市民連合」の協定書に、全野党が署名した。辺野古新基地移設の即時中止、消費増税凍結、原発ゼロ、最低賃金1500円を目指す、憲法九条改定反対という一致点(全13項目あり)は、全野党がよりリベラルな方向に転回されたことを明確にした。沖縄の攻防で培われ、全国の地域で育まれた経験が、ここで実を結んだのである。
 野党連合がリベラルに転回しながら結束を固めていくなかで、立憲民主党もまた変化した。拙著『「社会を変えよう」といわれたら』(大月書店)でも論じたように、枝野率いる立憲民主党は、結党当初、希望の党から排除されたことで「アウトサイダー」の地位を得、民進党の負のイメージを払拭することで躍進を果たした。この過程で枝野はポピュリストの衣を纏い、扇動家としての地位を固めたかに思われた(#3)。
 しかし、立憲民主党は野党第一党になったため、「アウトサイダー」ではなくすべての野党をまとめ上げる「公器」としての役割を担うことになった。扇動家としての突出は、立憲民主党そのものの求心力は引き上げるものの、野党間では遠心力が働くというジレンマが生まれる。「アウトサイダー」から「公器」へ。立憲民主党がこのジレンマを解消していくプロセスで、ポピュリストのカードは枝野から山本太郎に引き渡された。「山本太郎現象」とはまさに、この立憲民主党の変形プロセスの産物に他ならなかった(#4)。
 ポピュリストから「低姿勢」に転じた枝野は、野田佳彦率いる旧民進系無所属議員のグループを「緩衝地帯」に据え、国民民主党との距離を測りつつ、地域レベルのネットワークの広がりに乗じて野党間をとりまとめていった。「立憲民主党と国民民主党との確執」「共産党と連合との確執」が盛んに喧伝されていたにもかかわらず、参院選1人区の野党一本化が予想以上にスムーズに進んだのは、水面下でこのような戦略転換がなされていたからである。
 こうした持久戦のなかでつくりあげてきた野党連合がやっと姿を現したのが、6月19日の国会党首討論だ。この討論では、立憲民主党枝野代表、日本共産党志位和夫委員長が年金不足、年金不安を解消するための具体的な提案を行い、国民民主党玉木代表が安倍総理を挑発するという役割分担がなされていた。虚を突かれた安倍総理は不規則答弁を繰り返した。硬軟織り交ぜながら批判とともに具体的な提案を国民に投げかけるというこの連携プレーは、野党がこれまで以上の結束で参院選に挑むことを予感させた。
ただそれは予感にすぎない。野党連合が、この安倍政権の危機を利用して好機に転じることができるかどうかは、これまで積みあげられてきた地域ネットワークの力が、十分に引き出せるかどうかにかかっているからだ。いま問われているのは野党連合のリーダーシップと、民主主義の再生を願う人々がどれだけこの選挙戦に――ネット上だけでなく――直接足を運び、参加するかである。

「もう少し楽観的な希望」は取り戻せるか

著者情報

政治学者

木下ちがや

きのした ちがや

1971年、徳島県生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。さまざまな社会運動に参加し、行動する政治学者として現場に足を運び、発信している。著書に『国家と治安――アメリカ治安法制と自由の歴史』(青土社)、『原発を止める人々』(小熊英二との共編著、文芸春秋)、『ポピュリズムと「民意」の政治学 ――3・11以後の民主主義』(大月書店)など。最新刊『「社会を変えよう」といわれたら』(大月書店)では、3.11以後の出来事について解説と分析し、これからわたしたちがどこへ向かおうとしているのかを考察している。

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