香港の占拠現場で見た街の表情〜4カ月にわたる抗議行動で「開花」する最先端の人間関係
李真煕( ジャーナリスト)
銅羅湾そごう前で占拠行動の現場を包んでいたのは、休日の歩行者天国のような平和な空気だった。日付が変わり3日の深夜1時すぎになると、数人の若者が車線やトラムの線路をスタートラインに見立てて徒競走や幅跳びをして遊びはじめた。
晴れていたが、雨傘を持つグループもいた。雨傘を持ち歩く理由は主に二つだ。一つは、警察隊がゴム弾などを発砲してくるときに身を守る盾として使うため。もう一つは、バリケードを作ったりする際に使う。街の監視カメラやメディアに撮られて身元が割れるのを避けるためだ。
午前1時半ごろ、乗用車がバリケードに横付けして停車した。窓を開け車内から運転者の女性が抗議者らに向けて何かを叫んでいた。内容は「九龍方面に向かいたい人がいれば送っていく」というものだった。メッセージはすぐに共有され、何人かが車に向かった。
抗議する若者の力になりたいという運転者を、私は別の日にも見た。普段は何をしているのかと聞くと、運転者は「自分は退職者。自主的にこういうことをしている」と言って笑った。実際に車に乗せてもらおうとする若者らに、誘拐などトラブルの心配はないのかと聞いた。彼らは首を横に振った。私が「日本では考えられないことだ」と驚くと、「正直に言うと私も驚いている。こんな連携が生まれるなんて想像していなかった」と返ってきた。
目まぐるしい速度で続々と何かが起きている。当事者さえもがその変化を整理しきれずにいる。人びとは次々に誕生する新しいコミュニケーションを頭で理解できずとも、身を任せ、楽しんでいる。その根底には、とても大きな信念の共有があるのかもしれないと私は思った。

デモ行進する人びと=10月1日、湾仔(李真煕撮影)
午前2時前。私は独特の雰囲気を持つ男性二人組に広東語で話し掛けられた。一人は真っ白なワイシャツを身につけ、もう一人はハンチング帽をかぶっていた。広東語ができないと私が言うと、男性らは流暢な英語に切り替た。世間話をしたあとで「所属メディア」を問われた。彼らは私以外にも記者を探し、話し掛けていた。潜入警察官のような言動だった。
午前2時すぎ。突然、遠くから高いエンジン音が聞こえ、1台のバイクが見えた。衝突しそうなほど猛スピードでバリケードに迫るとあざやかなUターンをして、走り去っていった。運転手のヘルメットには小型カメラが付いていた。
バイクに続き、隊列を組んだ20台ほどの警察車両がサイレンを鳴らして押し寄せ、100〜200人の武装警察官が一斉に飛び出してきた。警官隊は簡素なバリケードを素早く撤去し、警棒で盾を叩きながら爆音を出して抗議者らを威嚇(いかく)した。抗議者らは一目散に逃げ出し無数にある路地へと姿を消した。
一瞬で空っぽになった占拠現場には私の他に数組の記者が取り残されてただけだった。抗議者は誰も残っていなかったが、警官隊は夜の闇に向かい何かを大声で叫びながら500メートルほど先の十字路まで一気に駆け抜けた。メディアのカメラに向けて、自らの威圧感を宣伝するための行動にもみえた。
ゆるやかな始まりからおよそ4時間続いたオキュパイが終わった。
香港で続く抗議行動は、地元ではなく北京を優先する香港政府と暴走する香港警察に対する民衆の蜂起のように見える。6月に「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」を求めていた抗議は「香港警察の解体」を求める声へと変わっている。

デモ行進を排除しに出動した警官隊=10月1日、アドミラルティ(李真煕撮影)

占拠行動を排除しに駆け付けた警官隊=10月3日、銅鑼湾(李真煕撮影)
権力と民衆の攻防が猛スピードで展開するなか、若い世代を中心にコミュニケーションのあり方が進化している。抗議行動は、最先端のテクノロジーを生活に活かす工夫と地元を思う強い気持ちにも支えられている。中国とどう向き合うか、また、同じ時代を生きる隣人をいかに信じ、助け合えるか――。香港がそう問いかけているように私は感じた。