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「新冷戦論」の落とし穴にはまるな

「民主か独裁か」の二分思考

岡田充(共同通信客員論説委員)

「新冷戦論」は、米中対立の内容と性格を規定する単なるワーディング(用語)ではない。この構図で世界を見始めると、経済はもちろん政治、軍事、思想、文化に至るあらゆる領域で「米国か中国か」の二者択一を迫る「落とし穴」に、無意識のうちに誘い込まれてしまう。だが、複雑な相互依存によって成立している国際政治の世界で、「二択」を迫ること自体が、本来は無理筋というべきであろう。
 中国は6月30日、香港国家安全維持法を制定した。翌7月1日付の日本経済新聞(朝刊)は、その背景と展望を分析する「強権中国と世界」と題する連載記事を掲載し、その第1回のタイトルを「民主主義への挑戦状」とした。「一党独裁か民主主義か」の典型的な二分法から、中国の強権政治を批判する内容である。
「一党独裁」の主体は中国共産党である。では「民主主義」の主体は何を指すのか。日本、米国? それとも日本を含む先進工業国? このタイトルには、「民主主義」という曖昧な概念の中に、「中国以外の国際社会」をすべて括ってしまう乱暴な論理が見てとれる。
 筆者は、米国のファーウェイ排除を批判する記事を書いたことがある。この記事についてある読者は「アメリカと中国のどちらが良いと聞かれたら、アメリカが良いと言うしかないね。残念だけど」とツイートした。これこそが「二項対立」によって誘導された意識である。
「独裁か民主か」の二択を迫られれば、代表制民主に慣れた人々は「独裁」を選択するだろうか。筆者も「独裁」を選択しない。しかし、独裁と同質のガバナンスをもたらすポピュリズムを生み出したのは「民主主義」そのものであり、その内実が問われていることを自覚しなければならない。

大統領選での再選が動機

 中国自身も思考の「落とし穴」をよく理解している。中国外務次官を務めた傅瑩(フーイン)氏(清華大学戦略・安全研究センター主任)は4月27日付の中国紙のインタビューで、「(米中)両国が不毛な競争を続け、さらに『デカップリング』と対決に向かい、どちらの側につくか他の国に迫るならば、世界を分裂に向かわせることになる。それは双方の利益を損なうだけでなく、世界の安定をも壊すことになる」と警告し、「世界の他の国は中米のどちらかの側につくことを望んではいない」と述べた(注1)
 米中関係はその後も悪化の一途をたどり、7月末には、米中双方がそれぞれの総領事館を閉鎖するまでに発展した。それでも筆者はこれを「新冷戦」とは呼ばない。米中デカップリングを可能にする指標は、ドルによる「グローバル金融システム」だが、それは依然として米中共通の利益になっているからである。
 さらに、ボルトン前大統領補佐官(国家安全保障担当)が6月23日に出版したトランプ暴露本のさわりを見ると、トランプは習に向かって「中国史で最も偉大な指導者」と持ち上げ、新疆のウイグル族収容施設の建設を奨励、香港のデモを擁護しないとまで述べたとされる。米国では民主党を含め、反中国世論が支配的なのは事実だが、次に誰が大統領になっても、現在の歪んだ対中政策の調整は避けられない。
 米国際政治学者イアン・ブレマーは、コロナ後の世界では当面「主導国なき時代」が続くと説いた。また、英「フィナンシャルタイムズ」のコメンテーター、ジャナン・ガネシュは「米国が西側諸国の感染拡大対策の陣頭指揮を執っているわけではないし、中国が自国に近い国々に感染対策を指示しているわけでもない」と書く(注2)。さらに「今回の危機の結果として、米中対立が “第二の冷戦”につながるという陰謀論的な生煮えの議論が消え去るのを期待したい」と説く。
 米国も中国も世界秩序の主導権が取れない時代が続くと見ているのである。新冷戦という「思考の落とし穴」にはまることだけは避けねばならない。

著者情報

共同通信客員論説委員

岡田充

おかだ たかし

1948年、北海道生まれ。1972年、慶応大学法学部卒業後、共同通信社に入社。香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から現職。著書に『中国と台湾 対立と共存の両岸関係』(講談社現代新書、2003年)、『尖閣諸島問題―領土ナショナリズムの魔力』(蒼蒼社、2012年)などがある。

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