中絶の権利をめぐるアメリカの闘い~なぜ今、「超保守」のバックラッシュが始まったのか
渡辺由佳里(エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家)

アメリカ連邦最高裁が「中絶の権利」を認めない判決を下したことに抗議し、連邦議会議事堂前でデモを行う人々(2022年6月30日、ワシントンDC)
「中絶の権利」、歴史的敗退
2022年6月24日、アメリカ連邦最高裁は人工妊娠中絶の権利を認めた1973年の歴史的な「ロー対ウェイド判決」(註1)を覆した。これを受けて、保守が強いアーカンソー、アイダホ、ケンタッキー、ルイジアナ、ミシシッピ、ミズーリ、ノースダコタ、オクラホマ、サウスダコタ、テネシー、テキサス、ユタ、ワイオミングの13州で人工妊娠中絶が禁止になる「トリガー法」が施行された。「トリガー」とは「引き金」の意味で、「トリガー法」は「主要な条件・環境が変わった時に自動的に成立する法」のことである。この他にも、アラバマ、アリゾナ、ミシガン、ウエストバージニア、ウィスコンシンの5州には、「ロー対ウェイド判決」以前から中絶を禁止する法律が今も存在しており、憲法で保障されていた中絶の権利が否定された現在、それらが再び効力を発揮する可能性がある。
州によっては「妊婦の生命を守るための中絶なら認める」という例外を設けているものがあるが、ルイジアナ州のトリガー法のように強姦や近親相姦による妊娠での中絶も認めないという厳しい州法もある。ルイジアナ州では中絶を行った医師に対しては1年から10年の懲役刑、妊娠15週以降の場合には最長15年の懲役刑が科されるという。同州では中絶を「殺人」に分類して中絶した女性を「殺人罪」で起訴できる「法案 813」もこの5月に提出されて注目を集めた(一度は可決されたが、修正案により事実上無効となった)。また、テキサス州などでは、中絶手術だけでなく経口中絶薬の郵送も処罰対象に含まれている。これらのトリガー法は州レベルで法廷闘争になっており、現時点でルイジアナ州とユタ州では州の裁判所がトリガー法の施行を阻止しているが、これは一時的なものでしかない。
今後も州法で人工妊娠中絶(制約がある場合もある)が保障される可能性が高いのは、アラスカ、カリフォルニア、コロラド、コネチカット、デラウェア、ワシントンDC(コロンビア特別区)、ハワイ、イリノイ、メイン、メリーランド、マサチューセッツ、ミネソタ、ネバダ、ニューハンプシャー、ニュージャージー、ニューメキシコ、ニューヨーク、オレゴン、ロードアイランド、バーモント、ワシントンの20州+1特別区であり、それらを除く大半の州で中絶が違法になる見込みだ。
この件での論争でよく見落とされがちなのが、現在「妊婦の生命を守るための中絶なら認める」という特例を設けている州であっても、医療の現場でそれを証明するのは容易ではないという点だ。特に中絶処置を行った医療者に懲役刑が科される可能性がある場合にはなおさらだろう。このような状況下では、望む妊娠が医学的な理由で継続できなくなった場合や、稽留(けいりゅう)流産、子宮外妊娠などで危険な状態となった母体を救うために必要不可欠な処置さえできなくなっていく恐れがある。
中絶はどのように厳罰化したのか?
この事態を説明するためにも、アメリカにおける人工妊娠中絶反対運動の歴史をざっと振り返ってみよう。
ジョージタウン大学ウェブサイトに掲載されている論文(註2)によると、アメリカでは初期には胎動が感じられるまでの妊娠中絶は慣習法で合法とされており、胎動後でも軽罪でしかなかった。だが、ニューヨークで人工妊娠中絶手術を施したり、避妊薬や中絶術を新聞などで大々的に宣伝したりする民間療法師のマダム・レステルが有名になり、彼女を模倣する助産分野の民間療法師が現れるようになったのをきっかけに、1830年代から人工妊娠中絶反対運動が強まった。中絶薬を販売した罪でマダム・レステルが最初に逮捕されたのは1839年のことだった。しかし、当時の法律では有罪にすることが困難だったこともあり、ニューヨーク州は1845年に胎動後の妊娠中絶術を、懲役刑を与えられる「故殺罪(manslaughter)」とし、中絶を求める女性も軽罪に処することができる新しい法を成立させた。
この新しい法でも十分ではないと考えて強い中絶反対運動を繰り広げたのは医師たちだ。ホレイショ・ロビンソン・ストラー医師が中心になり、アメリカ医師会(AMA)の協力を得て盛大な中絶反対のキャンペーンを行うようになった。運動の目標は、世論を説得してさらに厳しい法律を成立させることだった。
アメリカの医師による中絶反対運動について「女性の健康を守るためだった」という解釈がある。けれども、話はそう単純ではない。「アメリカ歴史家協会(OAH)」(註3)によると、その頃までは医師も民間療法師も、法的な規制をほとんど受けずに自由に診療をしていたし、専門家としての医師の地位はさほど高くなかった。また、当時のアメリカで医師になれたのは男性だけだったことも忘れてはならない。1847 年にジェネヴァ・メディカル・カレッジ(現在のホバート・アンド・ウィリアム・スミス大学)の男子医学生が投票でエリザベス・ブラックウェルの入学を認めるまで、アメリカでは女性が医師になる道は閉ざされていた。
OAHによれば、医師らの中絶反対運動には、自分たちの地位を向上させ、女性が主流であるライバルの民間療法師を排除したいという動機もあったようだ。そういった人々が「(中絶は)家族の大きさ(つまり子どもの数)を制限するための不健全で不道徳で不適切な方法」と反対を唱え、「女性が教育、自主性、権利を拡大しつつあることを懸念する」世論を利用したのである。女性の中にも中絶は女性の不道徳な性的行動を促すと考える者がおり、避妊の方法として「純潔(禁欲)」が唱えられるようになった。
この運動をさらに加熱させたのが1870年代に活躍した献身的なキリスト教徒で純潔を重んじる社会改革家のアンソニー・コムストックだ。コムストックはキリスト教青年会(YMCA)の援助でわいせつ物取り締まりの運動を行い、わいせつ物輸送を禁じる通称「コムストック法」を成立させた。そのわいせつ物の中には、避妊や中絶の情報も含まれていた。純潔を説く彼の運動は効果的であり、1910年には40の州で中絶が違法(重罪)になった。現在はリベラルが多いことで知られる東海岸のニューイングランド地方(コネチカット、ロードアイランド、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント、メインの6州)だが、この法の成立を受けて避妊や中絶に関して最も厳しい地域になり、コネチカット州では結婚している夫婦が自宅で避妊することさえも、最長1年の懲役刑の可能性がある犯罪になった。
中絶が違法になったことで、警察や裁判所が中絶施術者や中絶を行った女性を厳しく取り締まり、告訴するようになった。そのために中絶反対派は運動をする必要がなくなり、しばらく鳴りを潜めた。
中絶の権利が政治的争点に
しかし、1960年頃、法律の専門家の中から「レイプされた場合などは例外として中絶を認めるべき」という法改革の運動が起こった。そこにフェミニズムの運動が加わり、1967年のコロラド州とカリフォルニア州を皮切りに、複数の州で中絶禁止を緩和する法の改定が起こり始めた。それに対し、カトリックを中心にした宗教グループが「生存の権利(right-to-life)」という主張で反人工妊娠中絶の運動を開始した。
胎児の生存の権利を主張する、すなわち「プロライフ(Pro-Life)」(註4)の戦いが加熱したきっかけは、1973年の「ロー対ウェイド判決」だった。それまでの中絶反対派は、カトリックを中心とした小さなグループでしかなかったが、キリスト教福音派(原理主義のプロテスタント)が加わって組織化し、子宮内の胎児や堕胎した胎児の写真を掲げたデモなど、運動を広める効果的な戦略が使われるようになった。同時に「Army of God」といったキリスト教テロ組織も生まれ、人工妊娠中絶や避妊教育を行うクリニックと産婦人科医に対する放火、爆弾襲撃、銃襲撃、脅迫、誘拐、殺人(未遂を含む)事件が多発するようになった。

中絶の権利を保障する「ロー対ウェイド判決」が下された1973年1月22日、ミネソタ州で行われた中絶反対派のデモ
著者情報
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家
渡辺由佳里
わたなべ ゆかり
助産師、日本語学校のコーディネーター、外資系企業のプロダクトマネージャーなどを経て、1995年よりアメリカ在住。ニューズウィーク日本版に「ベストセラーからアメリカを読む」、ほかにcakes、FINDERSなどでアメリカの文化や政治経済に関するエッセイを長期にわたり連載している。主幹する「洋書ファンクラブ」では年間200冊以上読破する洋書の中からこれはというものを読者に向けて発信し、多くの出版関係者が選書の参考にするほど高い評価を得ている。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。著書に『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(2017年、晶文社)、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(2020年、亜紀書房)、『アメリカはいつも夢見ている』(2022年、ベストセラーズ)など。翻訳書に、『毒見師イレーナ』(マリア・V・スナイダー著、2015年、ハーパーコリンズ・ジャパン)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(デイヴィッド・ミーアマン・スコット他著、糸井重里監修、2020年、日経ビジネス人文庫)、『それを、真の名で呼ぶならば』(レベッカ・ソルニット著、2020年、岩波書店)などがある。