「ノー・リーズン」の土地で――パレスチナ医療支援に参加して
香山リカ(医師)
◆ ◆ ◆
別の日は、東エルサレム域内やヨルダン川西岸地区のアル=アザリヤにあるベドウィンのコミュニティを訪れて、医療相談を行った。アル=アザリヤは、聖書を読む人なら「ベタニア」という名前で知られている地域だ。イエスが死者をよみがえらせるなどキリスト教にとっては重要な場所だが、いまではイスラエルが入植地建設計画を進める「E1地区」に位置する町のひとつだ。イスラエル政府は12平方キロメートルの同地区に多数の入植者向け住宅や道路を建設する計画を進めており、これが完成するとヨルダン川西岸地区は完全に南北に分断されることになる。
現在、E1地区とその周辺には約4000人のベドウィン族が暮らしており、長い期間、家畜を放牧させながら育てて生計を立てていた。ところが、入植計画によって突然の住宅や家畜小屋の取り壊し、放牧地へのアクセス制限などが行われ、これまでの暮らしができなくなる人が相次いでいる。
あるベドウィン族一家は、岩肌がむき出しの丘陵の一角に、地面に柱を立て、その上や周囲に布をかけただけのような小屋で暮らしていた。「家具」と呼ばれるようなものは小さくて低いテーブルとソファだけ。小屋の隅には敷物や毛布が積んであったので、夜はそれを取り出して寝るのだろう。
一家の長である男性が、教えてくれた。
あるベドウィン族一家は、岩肌がむき出しの丘陵の一角に、地面に柱を立て、その上や周囲に布をかけただけのような小屋で暮らしていた。「家具」と呼ばれるようなものは小さくて低いテーブルとソファだけ。小屋の隅には敷物や毛布が積んであったので、夜はそれを取り出して寝るのだろう。
一家の長である男性が、教えてくれた。
「このあいだまでもっと別のところに住んでいた。ある日、イスラエル兵がやって来て、すぐに立ち退くようにと言われた。なんの用意もできないまま、羊を連れてここに逃げてきたんだ。でも、ここにいても、いやがらせを受けたり羊が盗まれたりする」
羊たちの放牧もできないとのことで、岩のあいだに張りめぐらせた柵の中に、20頭ほどの黒い羊がひしめいていた。
ところが、そこから顔を上げれば、目に入ってくるのは巨大な近代的な集合住宅なのだ。新しく入植してきたイスラエル人たちの住まいだ。その足元に住むベドウィン一家は、私の目の前で「肩も歯も悪いけど病院に行けない」と、テレビさえない小屋でうなだれている。同じ視界の中にある二つの風景の落差に、私は言葉を失った。
この人たちに対して、いったい何ができるのか。体調や睡眠について尋ねることはできる。聴診器で胸の音を聴くこともできる。「こういう疾患の可能性がある」と診断を伝え、今後の助言をすることもできるだろう。しかし、住む場所そのものや家畜を失うかもしれないという不安に対して、医療ができることは何もないと思った。
ところが、そこから顔を上げれば、目に入ってくるのは巨大な近代的な集合住宅なのだ。新しく入植してきたイスラエル人たちの住まいだ。その足元に住むベドウィン一家は、私の目の前で「肩も歯も悪いけど病院に行けない」と、テレビさえない小屋でうなだれている。同じ視界の中にある二つの風景の落差に、私は言葉を失った。
この人たちに対して、いったい何ができるのか。体調や睡眠について尋ねることはできる。聴診器で胸の音を聴くこともできる。「こういう疾患の可能性がある」と診断を伝え、今後の助言をすることもできるだろう。しかし、住む場所そのものや家畜を失うかもしれないという不安に対して、医療ができることは何もないと思った。

ベドウィンのコミュニティで医療相談を待つ女性たち(左)
診察を受ける女の子(右)
(プライバシー保護のため、写真の一部を加工しています)
アンマンで会った清田明宏UNRWA保健局長の言葉を再び思い出した。
「やってもやっても、現実は悪くなるばかりです」
私たちは現在はガザ地区に足を踏み入れることができないが、そこではいまもUNRWAの医療スタッフが300人も残り、極めて厳しい状況の中で診療を続けている。医療従事者自身が家族を失い、住む場所を失い、命の危険にさらされながら、それでも患者を診ているのだ。
「彼らにどんな言葉をかけてあげればいいのか。どうすれば少しでも希望を持ち続けてもらえるんでしょうかね」
清田医師はそうも言っていた。
◆ ◆ ◆
希望を持って。あきらめないで。それほどむなしい言葉はない、とパレスチナに滞在した短い期間で何度も思った。
私は今回、「医療支援に行く」と言って日本を出たはずだ。心のどこかに、自分にも何か役に立てることがあるはずだ、という気持ちがあったのだと思う。しかし実際に行ってみると、自分にできることの少なさばかりを思い知らされた。
検問所では、ただ待つしかなかった。シュファット難民キャンプでは、閉鎖された診療所や、UNRWAから運営を奪われた学校を目の当たりにした。女性たちから「何も楽しみがない」と言われても、その生活環境を変えることはできない。ベドウィンの人たちの仮住まいの向こうに入植地のマンションがそびえていても、私はそれを見ていることしかできない。そして、従来の奉仕団の活動の中心だったガザ地区には、足を踏み入れることさえできない。
途方もない無力感を抱えたまま、私は帰国の途についた。
私は今回、「医療支援に行く」と言って日本を出たはずだ。心のどこかに、自分にも何か役に立てることがあるはずだ、という気持ちがあったのだと思う。しかし実際に行ってみると、自分にできることの少なさばかりを思い知らされた。
検問所では、ただ待つしかなかった。シュファット難民キャンプでは、閉鎖された診療所や、UNRWAから運営を奪われた学校を目の当たりにした。女性たちから「何も楽しみがない」と言われても、その生活環境を変えることはできない。ベドウィンの人たちの仮住まいの向こうに入植地のマンションがそびえていても、私はそれを見ていることしかできない。そして、従来の奉仕団の活動の中心だったガザ地区には、足を踏み入れることさえできない。
途方もない無力感を抱えたまま、私は帰国の途についた。
ヨルダンからイスタンブールへ向かう飛行機内で、偶然、パレスチナ人の若者たちと隣り合わせになった。5人ほどのグループで、西岸地区のヘブロンから来て私と同じ検問所を通って出国し、自治政府の要請で研修に出かけるのだという。
私が日本から来た医師で、前の日まで東エルサレムや難民キャンプで医療支援活動をしていたと話すと、彼らは「本当に!?」と驚くほど喜んでくれた。
そのうちのひとりが、自分のスマートフォンを取り出して画面を見せてくれた。彼のヘブロンの実家だという。
そこに写っていたのは、ひっくり返されたベッドや床一面に散乱した衣類だった。庭の木々もすべてなぎ倒されていた。
私が日本から来た医師で、前の日まで東エルサレムや難民キャンプで医療支援活動をしていたと話すと、彼らは「本当に!?」と驚くほど喜んでくれた。
そのうちのひとりが、自分のスマートフォンを取り出して画面を見せてくれた。彼のヘブロンの実家だという。
そこに写っていたのは、ひっくり返されたベッドや床一面に散乱した衣類だった。庭の木々もすべてなぎ倒されていた。

部屋じゅうに放り出された衣類
(プライバシー保護のため、写真の一部を加工しています)
「2週間前、イスラエル兵が突然家にやって来て、こうしていったんだよ。ほら、庭の折れた木に旗が立ってるだろう。イスラエルの国旗だよ」
彼の説明が終わらないうちに、私は思わず口にした。
「これって犯罪じゃないの? ホワイ? どうしてこんなことをされたの?」
彼は、ほとんど表情を変えずに答えた。
「ノー・リーズン」
理由はない。
思えば、この旅はその連続だった。なんの説明もないまま何時間も待たされる。車が突然、停まる。学校や診療所がなくなる。たむろしていただけで狙撃される。突然、家や家畜を奪われる。
そんな経験をするたび、話を聞くたびに、当初、私は「なぜ?」と言いたくなっていた。
しかし、次第に「理由なんてないのだ」ということがわかってきた。それどころか、尋ねることさえ許されていない。すべては「ノー・リーズン」のまま進んでいき、それに従う以外のチョイスは与えられていないのだ。
思えば、この旅はその連続だった。なんの説明もないまま何時間も待たされる。車が突然、停まる。学校や診療所がなくなる。たむろしていただけで狙撃される。突然、家や家畜を奪われる。
そんな経験をするたび、話を聞くたびに、当初、私は「なぜ?」と言いたくなっていた。
しかし、次第に「理由なんてないのだ」ということがわかってきた。それどころか、尋ねることさえ許されていない。すべては「ノー・リーズン」のまま進んでいき、それに従う以外のチョイスは与えられていないのだ。
私は、日本のパスポートを持つ一時的なパレスチナ訪問者にすぎない。検問所でどれほど待たされても、時が来ればそこを離れることができる。日本に戻れば、いつものように明日どこへ行くかを自分で決めることもできるし、何かの手続きに時間がかかりすぎれば「いつできるんですか。早めにお願いします」と要求することもできる。
地上には、それができないところがある。しかも、イスラエルの人たちが豊かな生活や自由を謳歌しているすぐそばで、どこにも行けず、医療や教育にもつながれない人たちがいる。都市にいながら、命の危険にいつもさらされている。それがパレスチナなのだ。
地上には、それができないところがある。しかも、イスラエルの人たちが豊かな生活や自由を謳歌しているすぐそばで、どこにも行けず、医療や教育にもつながれない人たちがいる。都市にいながら、命の危険にいつもさらされている。それがパレスチナなのだ。
「来年も来ます」と約束した顔面に銃創を持つ男性のためにも、私はまたその地を訪れるつもりだ。そのとき、医療者として、人として、できることは何だろう。木々があざやかに色づく北海道で、草木のほとんどない白茶けた岩肌が続くE1地区を思いながら、来年の医療支援のプランを考えている。

E1地区、ベドウィンのコミュニティのすぐそばに建つイスラエル人入植者の集合住宅
【著者より】
北海道パレスチナ医療奉仕団は、皆さまからいただくご寄付と団員の自己資金で活動を行っております。これからも現地を訪れ、必要とされる医療支援を続けていくために、皆さまのお力をお貸しいただければ幸いです。ご支援の方法については、下記ウェブサイトをご覧ください。
〈北海道パレスチナ医療奉仕団HP「募金のお願い」〉
北海道パレスチナ医療奉仕団は、皆さまからいただくご寄付と団員の自己資金で活動を行っております。これからも現地を訪れ、必要とされる医療支援を続けていくために、皆さまのお力をお貸しいただければ幸いです。ご支援の方法については、下記ウェブサイトをご覧ください。
〈北海道パレスチナ医療奉仕団HP「募金のお願い」〉
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著者情報
医師
香山リカ
かやま りか
1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。