家庭教育支援法・青少年健全育成基本法がもたらす「家族」と「教育」(後編)
木村涼子(社会学者)
冒頭の繰り返しになるが、「家庭教育支援法案」は、母親・父親と子どもだけの問題ではない。日本社会で生活するすべての人々の問題だ。「家庭教育支援法案」と同時期の成立が目指されている「青少年健全育成基本法」もまた、「不健全」とレッテルを貼られる危険性があるメディアや表現者だけの問題ではない。基本的人権を有する、すべての人々の問題である。
「家庭教育支援法案」の場合は、いじめやひきこもりがある、「ダメな親」がいる、子育て期には支援が必要だということを突破口に、すべての人に「あるべき姿」「あるべき考え方・感じ方」を強制する、内面に関する管理統制システムがつくられていく。「青少年健全育成基本法案」の場合は、青少年に「有害」なメディアコンテンツを規制するということを入り口にして、すべての人の言論・思想・表現の自由を脅かす、つまり国家権力による検閲を拡大強化していく道が拓かれる。
どちらも子どもを人質にする流れだ。わたしたちは「子どものために」と言われると弱い。家庭にしても、メディア情報にしても、子どもにとって危険だと思われる例を強調して、立証されていない因果関係を持ち出し、「してはいけない/考えてはいけないこと」と「すべきこと/信じるべきこと」のリストを増やす。そうして、わたしたちの自由は確実に奪われていくだろう。自分には関係のない、部分的な規制だからよいだろうなどと、ぼんやりと考えていたら、これらの法律は、成立した途端に普遍化され、すべての人をしばるものになるはずだ。
自民党の憲法「改正」案の第五条が、国が定める「緊急事態」には、種々の自由や財産権などの「私権」が制限される内容になっていることが公表され、多くの人を驚かせた(2018年3月6日付毎日新聞朝刊)。「家庭教育支援法案」と「青少年健全育成基本法案」、さらには憲法「改正」の流れを見ていると、戦前の家族制度や言論統制、国家総動員法の亡霊がひきずりだされているような恐ろしさを感じる。
日々忙しい人が多いだろうが、ぜひ各種の法案を読んでいただきたいと願う。「疲れた」心身は、身に迫る危険を察知しにくくなる。危険を察知してもなかなかそれと闘えない。しかし、仮に「疲れて」いたとしても、権利を持った主体であるがゆえに、筆者は身に迫る危険を、できるだけ多くの人とともに、しっかりと見極めたい。
著者情報
社会学者
木村涼子
きむら りょうこ
1961年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は、教育社会学、ジェンダーと教育研究、近代日本のジェンダーに関する歴史社会学。著書に『ジェンダー・フリー・トラブル――バッシング現象を検証する』(白澤社)、『〈主婦〉の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』(吉川弘文館)、『家庭教育は誰のもの? 家庭教育支援法はなぜ問題か』(岩波ブックレット)等がある。