森喜朗氏の女性差別発言から考える「男性中心社会日本」~私たちはどう変えていくべきか~
三浦まり(上智大学法学部教授)
(構成・文/仲藤里美)
今回の森発言もメディアにおいては「不適切な」発言、という取り上げられ方が多かったように思います。「不適切」も「不快」と同じくらい曖昧な表現で、何が問題なのかということをぼやかしてしまう危険性があります。
先に述べたように、森発言は女性を排除する効果を持ったことが問題で、その背景にある「女性が意思決定の場に入れない性差別構造」そのものを直視する必要があります。こうした性差別構造をスピーディに改善していくためには、あらかじめ一定数を女性あるいは男女双方に割り当てる「クオータ制」は有効なツールの一つですが、前提として正しい問題認識がなければ、うまく機能させることはできないでしょう。
なぜ意思決定の場における多様性が重要なのか。まず、政治の場などにおいては、やはり民主主義だからです。特定の属性を構造的に排除する意思決定は民主的であるとは言えません。女性がいないのであれば、それは民主主義とは呼べない、ということです。女性がこれだけ少ないというのは、選出までの過程に問題があることを意味していますから、それを見直し変革する必要があるのです。それさえできていない日本の現状は、いかに民主主義が機能していないかを示すものでもあります。
議会において性差に大きな偏りがある状態が何十年にもわたって放置されてきた結果として、みんなのための政策決定ではなく、一部の人たちがぎゅうじる政治となってしまっています。
では企業のような、必ずしも民主的規範を前提としない組織においては、意思決定の場に多様性は必要ないのか。もちろんそんなことはありません。現代社会においては、イノベーションによってどんどん新しい価値をつくり出していかないと、企業自体の価値が下がっていって生き残れなくなる。そして、そのイノベーションを生み出すためには、多様な視点を入れていくことが絶対に必要です。事実、グローバルに展開している企業であればあるほど、投資家の意向を反映して多様性を重視せざるを得なくなっています。世界では、イノベーションを起こして収益を上げられる企業を投資家が見極めるときに、役員や従業員の女性比率が一つのわかりやすい指標と考えられるようになっているからです。同質的な集団は、もはや経営リスクでしかありません。
民主主義とイノベーション、まったく違う二つの理屈から、多様性が必要とされているわけです。これは女性だけのことではなく、障害者や若者、セクシュアル・マイノリティなど、あらゆるマイノリティに通じることで、意思決定の場から排除されている属性があるのであれば、障壁を一つひとつ壊していく必要性があるのです。
女性が意思決定に参加するための三つの実践
私は、多様性を実現して女性が意思決定の場、そして政治の場に参加していくためには、三つのことを実践していく必要があると考えています。
まず一つ目は「女性がいないことを問題視する」こと。社会のどんな場に女性がいて、どんな場にいないのかをつぶさに問うていくことです。女性議員も女性閣僚もまだまだ非常に少ないし、どの政党も要職はほとんどが男性。企業の役員における女性割合も、以前より増えたとはいえ上場企業で6%強にすぎません。また、もっと身近なところでは、町内会長、PTA会長、生徒会長、校長なども、驚くほど女性が少ない。一方でケア労働は圧倒的に女性が多く従事し、災害時などの炊き出しも女性が中心になってやっていたりしますよね。
そうやって見ていくと、男女の職域分業は根強く残っていて、「これは男性の仕事」「これは女性の仕事」と分かれていることがわかります。そして、男性が多い仕事は社会的価値が高いとされる一方、女性が多い仕事は価値が低く、賃金も非常に低いことが多い。そういう問題に気づいて、声をあげていくことがまず第一歩です。
なぜ女性が多い仕事の社会的価値が低いかというと、たいていの場合は「女性だったら誰でもできる仕事」と思われているからです。保育や介護などのケア労働、また家事や育児などが典型的ですね。女性なら誰でも生まれながらに赤ちゃんや子どもをかわいいと思い、ケアのスキルが備わっているとみなされがち。そうして「女性って素晴らしい」と持ち上げながら、実は安く、もしくはただでこき使うという阿漕(あこぎ)なことが行われてきたわけです。このロジックに気がついて、女性が主に担ってきた仕事の価値を見直していく。そうして「女性を正当に評価する」ことが、二番目のステップだと思います。
「評価する」と同時に、女性どうしが互いを「褒める」ことも大事です。森さんの発言は、「わきまえない女」と「わきまえている女」で分断をして、伝統的なサポートの役割に徹し、そして男性を立てる「わきまえている女」を称える一方、そこからはみ出して刃向かってくる「わきまえない女」を排除しようとするものでもあったと思います。そして、女性たち自身もどこかでそういう男性目線の評価軸を内面化してしまっているところがある。小さいころから、いろんなところで「モテなきゃいけない」「男性に好かれる女性にならなきゃいけない」という価値観を刷り込まれていきます。そうして他人目線で自分を評価してしまうと、どうしても自分に自信が持てないことが多い。まずは自分を大事にし、自分で自分のよさを発見する。そして自分を、さらには周りの女性たちを褒める。それが大切なことだと思っています。
そして三つ目の実践は、「個人的なことは、政治的なこと」だと認識すること。これは、フェミニズムにおいて古くから使われてきた言葉で、私たちが日常の暮らしの中で直面する個人的な悩みは、実は政治的なことにつながっている、という意味です。
たとえば、会社でセクハラに悩んでいる、子どもが保育園に入れない……一見、極めて個人的な問題にも思えるけれど、きちんとした法律や規制があれば、そんなことにはならないかもしれない。あるいは、選択的夫婦別姓が認められないという「政治的なこと」が、事実婚を選ばざるを得なくなるなどの「個人的なこと」につながってくることもある。「個人的なことは、政治的なこと」であると同時に「政治的なことは、個人的なこと」でもあるわけです。
今、私たちは転換点にいる
先に、企業に多様性が必要な理由として「イノベーション」を挙げましたが、実は政治の分野においても、イノベーションは必要です。意思決定の場での多様性がないために「政策のイノベーション」が起こらない。結果として、性差別を是正するための法律が日本には圧倒的に不足しています。選択的夫婦別姓が実現していない世界で唯一の国になっていることも、その一例です。多様な人がいる場で、オープンに意見を交わし合って意思決定をしていくという当たり前のことを、民主主義という意味でもイノベーションという意味でも、もっとやっていかなければならないのだと思います。
今回、森さんが辞任したことを、「辞任だけでは意味がない」と言う人もいるけれど、発言からたった9日間で社会が辞任に追い込んだという事実は、やはり大きな成功体験として記憶すべきです。辞任しなければ、改革にはつながりません。そして、「辞任だけではすまない」というのが、重要な点です。辞任をきっかけに、JOC理事の4割が女性になったり、東京オリ・パラ競技組織委員会にジェンダー平等推進チームができたりと、組織に変化が起きました。これにとどまらず、スポーツ界はこれから厳しい目で見られることになるでしょう。森さんの辞任によって、社会の規範が一つグレードアップしたのです。

著者情報
上智大学法学部教授
三浦まり
みうら まり
1967年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程修了。政治学博士。東京大学社会科学研究所研究機関研究員を経て、現職。専門は現代日本政治論、比較福祉国家論、ジェンダーと政治。主な著書に『さらば、男性政治』(2023年、岩波新書)、『政治って、面白い! 女性政治家24人が語る仕事のリアル』(23年、花伝社)、『私たちの声を議会へ――代表制民主主義の再生――』(15年、岩波現代全書)、『ジェンダー・クオータ――世界の女性議員はなぜ増えたのか』共著(14年、明石書店)、『日本の女性議員 どうすれば増えるのか』編著(16年、朝日選書)ほか。21年にフランス政府より国家功労勲章シュバリエ受賞。