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「原発さえなければ」の遺言から10年~酪農家の夫に先立たれたフィリピン人妻と子どもたちのいま

水谷竹秀(ノンフィクションライター)

 バネッサさんは毎晩、ご飯が終わって1人で部屋に戻ると、スマホでフィリピンのドラマや映画を観る。そんな時、切なくなるのだという。
「たまに『お父さん』って泣いています」
 そう口にした翔太君の言葉をぶつけてみると、バネッサさんの思いが溢れ出た。
「夫に先立たれ、もう誰も愛してくれないんじゃないかと思うと、やっぱり寂しいし、一生をともにしてくれる人が欲しい。子どもがいるのは分かっているけど、いつかは自分1人になるんじゃないかって。もうすぐ翔太の卒業式。クラスのみんなは両親そろっているけど、翔太には父親がいない。長男の卒業式の時は、校門で記念写真を撮れなかった。声を掛けづらくて。もしお父さんが今生きていたら、優秀な子どもたちをみて誇りに思うはずよ」
 続けてこんな複雑な心境も吐露した。
「本当は子どもたちを連れてフィリピンに住もうと思っていたの。それも考えて故郷に家を買った。だって日本にいたら寂しいし、経済的に支えてくれるパートナーもいない。病気がちな母親や家族と離ればなれなのも寂しい。でも子どもたちは、フィリピンは暑いし、食事や水も合わないから嫌だって。だから子どものために日本にいることにしたの。私は子どものことを第一に考えているから、この悲しみはきっと乗り越えられるはずよ」
 遠く離れた母国への思い、そして子どもへの愛情が交錯していた。

 バレンタインデー、バネッサさんから私のスマホに何枚か写真が届いた。写っているのは白い皿に並んだ手作りのチョコレート。写真に添えられたメッセージにはこう書かれていた。
「翔太が作ってくれたの。お母さんのためにだって。嬉しい!」

 あの日から10年――。
 バネッサさんは以前に比べて丸くなったように感じられる。そんな彼女が表に出さない寂しさは、多くを語らずとも子どもたちに伝わっていた。まだまだ前途多難な道のりかもしれないが、原発で人生が一変したバネッサさんは、子どもの成長を支えに、今を生き続けている。

著者情報

ノンフィクションライター

水谷竹秀

みずたにたけひで

1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。新聞記者やカメラマンを経てフリーに。2004~2017年にはフィリピンを拠点に活動する。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。ほか、著書に『脱出老人』(2015年、小学館)、『だから、居場所が欲しかった。  バンコク、コールセンターで働く日本人』(2017年、集英社)、『ルポ 国際ロマンス詐欺』(2023年、小学館新書)がある。

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