ルポ・京都ウトロ放火裁判 「ヘイトクライム」と向き合った人々 前編
朴順梨(ライター)
山本さんは、終戦から15年経った1960年に生まれている。家が浸水したのは、上下水道が整備されていなかったことが大きな原因だ。どの家も生活用水は地下水をくみ上げていたし、豚はペットではなく、育てて売るための貴重な財源だった。
ウトロのインフラは、1980年代に入っても改善されることはなかった。土地所有者が水道整備を同意しなかったことや、在日は選挙権を持たないからと、政治から無視され続けてきたからだ。しかしこの状況を人権問題として受けとめる日本人が、少しずつ現れるようになった。その1人が、前出の田川明子さんだった。
(田川明子さん)
「初めて来たのは1985年頃ですが、最初は本当にびっくりしました。『水道がない』って聞いて来たんですけど、今どき水道がないなんてって思って。そういう場所が京都と大阪・奈良を貫く近鉄線沿線にあることに驚いたし、『宇治市は何をやってるんだ』と、とにかく怒りがわきましたね」
鹿児島県で生まれ育った田川さんは、1964年に京都の大学に入学した。翌年に日韓条約が締結されるが、キャンパスには日韓条約に反対する学生たちの姿があった。それまで在日の存在を意識することのなかった田川さんは、強い衝撃を受ける。しかし、その当時は彼らと交流していたわけではなかった。その後、指紋押捺問題を通してウトロ出身の女性と知り合い、彼女から「水道がない」と聞いた田川さんは、ウトロに足を踏み入れる決意をする。周囲の大人たちは、「あんなやっかいなところに行ったらあかん」と止めたそうだ。
田川さんら日本人協力者の尽力もあって、「やっかいな」ウトロにも1988年に下水道が敷設される。しかし同じタイミングで、もっとやっかいな問題が起きる。土地所有者の日産車体(旧日本国際航空工業)が、西日本殖産という会社に土地を転売していたことがわかったのだ。この転売には、元住民の自称自治会長が関わっていた。西日本殖産の役員でもあった彼は、転売により億単位の金を得ている。民族学級で教鞭を執っていた過去があり、地区内には教え子もいる。ウトロ中が怒りとパニックに陥るなか、会社側は89年に「建物住居土地明け渡し」訴訟を提起し、住民たちを強制的に追い出しにかかる。
(山本源晙さん)
「僕ね、結婚して何年かウトロの外に出ていたので、裁判が起きた時は何も知らなくて。急に立ち退きやと言われて、『えっどうするの?』って思いました。自分たちの土地ではないことも、この時初めて知りましたね。だから僕ら若い世代は土地を買い取ろうと言ったんですけど、意見が分かれて」
山本さんのように土地を買い取りたいと主張する人もいれば、植民地支配の犠牲の象徴なのだから、土地は譲渡されるべきだと主張する人もいる。西日本殖産は住民たちが一枚岩ではないところをつき、切り崩しにかかったのだ。
その後も解体業者を追い払うなど、住民側は会社側とにらみあいを続けてきたが、最高裁は2000年に住民側に敗訴を言い渡す。
(田川明子さん)
「勝ち目がない裁判だとは思ってました。でも『はいそうですか』と、立ち去るわけにはいかないですよね。私も言ってみれば『ウトロ丸』に乗ったのだから、どこかの岸に辿り着くまでは降りられない。そう思っていました」
ウトロ平和祈念館の展示風景
ウトロの住民は不法占拠ではない
1989年3月、京都地裁で「建物住居土地明け渡し」訴訟の初公判が始まると同時に、支援者たちは「ウトロを守る会」を結成した。敗訴後、守る会は国連社会権規約委員会に訴えたり、デモやヒューマンチェーンなど直接行動を続けた。
運動は韓国でも知られるところとなり、韓国内のバラエティ番組で取り上げられるなど、大きなうねりとなっていく。この頃からウトロ地区入り口にあった家の前に「強制退去反対」「ここで生きたい」などの立て看板が置かれるようになった(これらの立て看板の多くは2021年の放火で焼失)。
2007年になると廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権がウトロの土地を購入するために、30億ウォン(約3億円)もの支援を決定した。「不法占拠」と言われ強制退去に怯える日々は、ここで終焉を迎えた。(参考:中村一成『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』三一書房)
だが被告人は住民が敗訴したことを根拠に、「不法占拠」と主張し続けた。弁護士に「(不法占拠というのは)それはおそらくあなたの独自の法律解釈だと思う」と言われてもなお、意見を翻すことはなかった。被告人はこうも言っていた。
〈ウトロ地区の小規模住宅改良事業計画のために、億単位の税金が法的に反する形で日本に入ってきて滞在している人のために使われる。そうしたことについて望ましくないという感情があった〉
現在、ウトロ地区の1152坪の土地を韓国政府系財団が、830坪の土地を日本の民間基金財団が所有しているが、そこに公営住宅2棟(1棟は建設中)と、ウトロ平和祈念館が建っている。公営住宅は出入国管理法及び難民認定法の規定により、永住許可者や特別永住者、それ以外の外国人でも住民登録があれば入居できる。つまり外国籍者の入居は、法で認められているのだ。それを「望ましくない」からと火を放つことは、差別に端を発したヘイトクライムではないか。
ウトロ地区の公営住宅
しかし2022年6月7日に行われた第2回公判の被告人質問の場で、被告側も弁護士は差別と言わず、「在日韓国・朝鮮人への敵対感情が芽生えたのはいつ頃になりますか」と、一貫して「敵対感情」という言葉を使っていた。検事も同様に「悪感情、嫌悪感」について問いただしていた。「差別によるヘイトクライム」であることは置き去りにされ、個人の感情に基づく犯行であるかのように、裁判は進行していった。
同月21日の第3回公判で意見陳述したセンターの金秀煥さんは、裁判長を見つめながら、言葉に思いを込めた。
〈前回公判で「韓国に対する悪感情」という言葉を聞き、強い不安にかきたてられました。これは被告の行為が、彼個人の好き嫌いによって引き起こされたものとして矮小化させる、マジョリティ側の捉え方、社会の現状を知らなくても暮らしていける人の考え方だと、言わざるを得ません。ニンジンやトマトが嫌いだからといって、デモや放火をするでしょうか。それはこじつけに過ぎません。
この犯罪が差別による凶悪犯罪でなく、単なる放火事件として寛容に処罰されるなら、このようなヘイトクライムをさらに助長させ、在日朝鮮人をはじめとする多くのマイノリティの人々は常に何かに怯えながら、安心した生活を送れないようになるでしょう〉
しかし検事はこの時も、「本件は在日韓国人およびその関連団体に対して、一方的に抱いていた嫌悪感などから火をつけた、放火及び建造物損壊事案です」などと言い、ついぞ差別と言うことはなかった。
公判終了後、私は再び焼け跡を目指した。南山城同胞生活相談センターの向かいに、2階の窓部分が焼けて空洞になった家が建っていた。裏手に回ると、黒焦げになった梁がかろうじて残る、山本さんの生家の成れの果てがあった。奥には熱で曲がったらしい、階段のようなものが見えた。現場保全の黄色い規制テープだけが鮮やかな色を残し、一帯はしんと静まり返っている。
火はものを燃やしただけではない。在日朝鮮人たちから、生活の色や音を奪ったのだ。これが差別でないなら、一体何だと言うのか。(→後編に続く)
著者情報
ライター
朴順梨
ぱく すに
1972年、群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、TV制作・情報誌編集を経てフリーライターとなり、「AERA」等に寄稿。元・在日韓国人三世。著書に『奥さまは愛国』(北原みのりとの共著、河出書房新社、2014年)『韓国のホンネ』(安田浩一氏との共著、竹書房、2013年)『離島の本屋』(ころから、2013年)などがある。