ルポ・京都ウトロ放火裁判 「ヘイトクライム」と向き合った人々 後編
朴順梨(ライター)
差別であること、被告人が自分の罪と向き合うために、それなりの期間の実刑を科すこと。その2つを願いながら、私は8月30日、京都地裁の傍聴席に再び座った。周囲を見回すと知っている顔も知らない顔も、一様に表情が硬い印象を受けた。
〈今から判決を言い渡します。主文、被告人を懲役4年に処する。未決勾留日数中250日を、その刑に参入する〉
執行猶予のない、求刑通りの判決だった。増田啓祐裁判長による、理由の要旨が続く。
〈京都・名古屋両事件に関する上記の動機は、主として、在日韓国・朝鮮人という特定の出自を持つ人々に対する偏見や嫌悪感等に基づく、誠に独善的かつ身勝手なものであって、およそ酌むべき点はない〉
〈暴力的な手段で社会の不安を煽り世論を喚起しようとすることは、民主主義社会において到底許容されるものではない〉
増田裁判長は、偏見や嫌悪感に基づく犯行は許されるものではないと言い切った。また立て看板を「地域の象徴」として、焼失は財産的損害だけではなく精神的苦痛も大きいことにも触れた。
しかし、「差別」という言葉は最後まで出てこなかった。果たしてほっとしていいのか、それともこれでは十分とは言えないのか。思わず周囲を見回した。
判決後、山本さんは悔しい思いを口にした。
(山本源晙さん)
「量刑は裁判所が決めることだし、差別を禁止する法律がないから、裁判官も仕方なかったのでしょう。精一杯のことをしたのかもしれないと思いますが、地域差別や人種差別など、ヘイトクライムに関する言葉が入ってたら、今後変わっていくのではないかと期待していたのですが……」
豊福弁護士をはじめとするウトロ被害者側の弁護団も、判決文において「差別」という表現を避けたことを厳しく指摘する、声明文を発表した。
「今回の判決では、日本の刑事司法の歴史上初めて、公判廷において人種差別目的が認定されるか注目されていましたが、残念ながら、判示において、「人種差別」「差別目的」という言葉は一つも現れませんでした。すなわち、今回の判決においては「敵対感情」「嫌悪感」という表現はでてきましたが、一度も「差別」という言葉がありませんでした。(中略)(判決は、)差別という言葉を意図的にあえて避けているとしかいいようがなく、きわめて不十分なものである」
しかし、南山城同胞生活相談センター代表の金秀煥さんは記者会見の場で、こう語った。
(金秀煥さん)
「正直ほっとした。判決が単なる空き家に対する放火で済まされてしまったら、住民の前でどう説明したらという不安ばかり持っていた。期待以上の判決とはいえないが、この社会は一歩一歩進んでいるんだということを住民たちに伝えられる判決でほっとしている。
裁判長が立て看板を『この地区の象徴である』と言ってくれたこと、精神的損害が認識されたのは嬉しい」

南山城同胞生活相談センター代表の金秀煥さん。
一人ひとりが違った温度で、判決内容を受けとめているようだった。
個人的には落第でも及第点でもない、疑問が残る結果だったと思う。それでも「差別」は避けたものの、差別動機による犯行を軽く扱い、単なる放火事件として片づけることもしなかったことは評価したい。焼けた看板を「ウトロの象徴」と認めたことも、法がウトロに暮らす人達を守ったと解釈できる。何より、被害者が「ほっとする」ことができたのだから、意味があったのではないか。これらの点から見ると「一歩進んだ判決」だったと言えるだろう。
「ネットで調べんと、ウトロに来たらよかったんよ」
みたび、焼け跡を目指す。裁判が終わるまで証拠として残されていたが、いずれ取り壊される。今見える景色は、これで見納めかもしれなかったからだ。そしてウトロ平和祈念館館長の田川明子さんから聞いた話の、答え合わせをしたかったのもあった。
(田川明子さん)
「火事の現場の黒く焦げたところにね、見るのがしのびないと野菜を植えちゃったおばちゃんがいて。露地にね、唐辛子と朝鮮カボチャとシソの葉に似たやつ、そうそう、エゴマが植えてあるんです。エゴマの虫喰いの葉をちぎってたら、いい香りがしてきて。この前、祈念館に持って行って、チヂミに入れておばちゃんたちと一緒に食べました。火事を思い出すのが嫌だからって、野菜を植えて皆で食べる。これが、ウトロの人たちなんです」
彼女の言葉通り、緑色に茂る葉の中に赤い唐辛子が鮮やかに色づいていた。その奥に、朝鮮カボチャらしい草の蔓も伸びていた。差別によって奪われたとばかり思っていた「生活の色」が、少しずつ復活していたのがわかった。

焼け跡に植えられた唐辛子
田川さんによると、ウトロ平和祈念館の来場者は半年で5000人を超えたそうだ。開館を阻止したかった被告も4年後、やってくるかもしれない。その時はどうするのかと、我ながら悪趣味な質問を田川さんにぶつけた。
(田川明子さん)
「ウトロのおばちゃんたちが、『(被告は)22歳で人生を棒に振るような大それたことをしてしまって、自分の人生をあんなふうにしたらあかん。インターネットで調べんと、来たらよかったんよ。どんなところやろって、ほな教えたるがな』って言ったんです。
『腹いっぱい飯食わすわなぁ。ビールもつけてあげるで。そうやってウトロに出会ってくれれば、大事な人生を22歳で棒に振らんで済んだのに』って。私もね、彼には『刑期が終わったら、ウトロにいらっしゃいよ』って言いたいです。その時は腕によりをかけて、ウトロについて説明してあげますよ」
田川さんは笑顔を浮かべた。一点の曇りも戸惑いもない、力強い笑顔だった。
京都飛行場時代を知る世代は、年々減少しつつある。所得制限を超えると公営住宅の入居資格を失うことから、引っ越しを余儀なくされる住民もいる。再開発により貧困と差別の象徴だったウトロは、これまでとは違う町に変わっていく。しかし自分たちに悪意を向けた人間すら「腹いっぱい飯食わすわなぁ」と包みこもうとする人たちがいる限り、育まれてきたものは変わることはないだろう。
キラキラと光る唐辛子の赤を見つめているうちに、胸に抱えた怒りが消えていくのがわかった。ウトロに「地縁も血縁もない」と隔たりを感じていた私自身も、ウトロに迎えられた一人になっていた。

ウトロ地区の歴史を紹介するウトロ平和祈念館(2022年4月開館)。ガラス張りで明るい館内の一階には台所があり、地域の人々が集う
著者情報
ライター
朴順梨
ぱく すに
1972年、群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、TV制作・情報誌編集を経てフリーライターとなり、「AERA」等に寄稿。元・在日韓国人三世。著書に『奥さまは愛国』(北原みのりとの共著、河出書房新社、2014年)『韓国のホンネ』(安田浩一氏との共著、竹書房、2013年)『離島の本屋』(ころから、2013年)などがある。