妻たちと国家~入管法に翻弄される人々③後編
木村友祐(小説家)
浦城弁護士はこう締めくくった。
「ナヴィーンさんの在留資格を求めるこの裁判は、ナヴィーンさん、なおみさんの人生を左右する大きな裁判ですが、同時に、日本社会がどうあるべきか、という私たちの裁判でもあります」
「ナヴィーンさんのような立場の人を、受け入れる社会かどうか、ナヴィーンさんとなおみさんという、ごくふつうの夫婦の生活が守られる社会かが、問われています」
「日本社会がどうあるべきか、という私たちの裁判」……。
その言葉がズシリと胸に響いた。まさにそうだと思った。なおみさんとナヴィーンさんが起こしたこの裁判は、在留資格の有無で人間を線引きする冷たい社会を容認するのか、線引きしない温かな社会をめざすのかを問いかけると同時に、国と入管が押しつけてくる家族の形に対して異議を突きつける「私たちの裁判」でもあったのだ。
ナヴィーンさんとともに、妻であるなおみさんも、これまでずっと、国と入管の方針に抵抗もできず、踏まれるままに踏みつけられてきた。だが、そのなおみさんは今、「国家」という、姿は見えないのにぼくらの暮らしを確実に規定する巨大なものに向き合い、毅然とした面持ちで原告席に座っているのだった。──正しいのはどっちなのかと。

【後記】
これまで、仮放免者の夫がいる日本人の妻たち3人のお話を聴いてきた。
女性でも妻でもないぼくでいいのかと思いながら、彼女たちの置かれた境遇に少しでも迫りたいと書いてきたのだが、どこまでその思いを汲み取れただろう。当事者とそうでない者との間に深々と横たわる溝。でもぼくは、その溝自体に関心がある。
この連載の第1回でお話をうかがったカタクリ子さんが、取材の中で話していたことが耳に残っている。牛久の収容所まで夫に面会に行っても支援者が面会予約をすべて取ってしまい夫に会えないことが何度かあった、そのため支援者が好きになれなかった時期があったという話の後で、彼女はこう言ったのだった。
「その人たちは家に帰れば終わりじゃないですか。その入管施設を出れば日常が待ってるじゃないですか。でも、何でもそうですけど、事件の当事者って、24時間365日、事件の渦中にいるんですよ」
ぼくもこの原稿を書いたら、家に帰って台所で酒を飲むだろう。遊びたくてぼくを待っていた猫たちとほろ酔いで遊ぶだろう。「うふふ」とか笑い声を上げながら。
それはそれで大切なぼく自身の日課ではある。でも、そんなふうに入管法に翻弄されている当事者のことを忘れ果てている時間の向こうには、やはり、この連載でお話をうかがったカタクリ子さん、まゆみさん、なおみさんの時間は依然として続いているのだった。
⁂
──この原稿をそう書き終えたちょうどそのころ、国会で審議されていた入管法改定案が衆院法務委員会で可決された。
真摯でまともな審議をした結果とは到底思えない、可決ありきの審議の進行。この法案で影響を受ける当事者の声も、事情をよく知る関係者の声も聴くことなく採決した。
国家は家族の形を規定するだけでなく、その土地に暮らす人々の形をも規定したいらしい。SNS上では政府提出の改定案に同調して、非正規滞在の外国人を「国に帰せ」と毒づく者も見かける。
排斥を叫ぶ人は、それが自分の考えだと思っているかもしれない。しかし、もしもそれが、国家によって同じものを「違うもの」と他者化され、同類同士で争うように仕向けられた結果だとしたら……?
入管法改定案が参院でも可決され、運用が始まれば、ぼくらのふだんの日常が続く陰で、聞こえなくとも確実にどこかで新たな悲鳴が上がる。耳を澄ましてほしい。この不条理を変える闘いをあきらめないでほしい。
自分とほかの誰かを、勝手に「分け隔て」させられたくはない。
著者情報
小説家
木村友祐
きむら ゆうすけ
1970年、青森県八戸市生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。2009年『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。著書に『海猫ツリーハウス』(2010年、集英社)『聖地Cs』(2014年、新潮社)『イサの氾濫』(2016年、未来社)『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(2016年、新潮社)『幸福な水夫』(2017年、未来社)『幼な子の聖戦』(2020年、集英社/第162回芥川賞候補)温又柔氏との往復書簡『私とあなたのあいだ―いま、この国で生きるということ』(2020年、明石書店)がある。