もう一つの「逃走」~桐島聡の盟友、7年間の逃亡生活回顧録(後編)ストリップ劇場、日雇い労働、農家の手伝い――流転の日々
黒川祥子(ノンフィクションライター)
逮捕後の人生
逮捕は逃亡から7年後、1982年7月、板橋区の路上でのことだった。西へ西へと動いていた宇賀神さんだったが、仕事がなくなったこともあり、東京に戻って来ていた。
「1カ所に長くいると、『似ている』と言われることもあったから、常に流れていた。東京に戻ってきたのは、過信もあったのかな。住み込みの新聞配達を、1年ぐらいはやったと思う。草加で同級生にばったり会ったことで、通報が入ったのかもしれない。逮捕の予兆はあった。渋谷で独り、酒を飲んで花見をしていたら、『結構、楽しそうだね』とスーツ姿の男性が言ってきて、なんか、おかしいって思ったり。歌舞伎町でも、5~6人がカメラで俺を撮っているんだよ。急いで逃げなきゃと荷物を取りに戻った時に、やられたという感じだった。志村坂上の歩道で、『宇賀神寿一だな』って、十数人に手足を捕まえられて」

1982年7月13日(火)、「朝日新聞」(朝刊)1面より
面会室で、警察に連れられてきた母親と7年ぶりの対面を果たした。目の前で泣きじゃくる母親を前に、宇賀神さんは一緒に泣いた。母親は息子が指名手配犯になったことで、近所から「非国民」と罵られ、バケツの水をかぶせられ、塩を投げつけられたという。その事実を知ったのも、初めてのことだった。これほどまでに、大変な思いをさせてしまっていたのかと。そうであっても母親は、息子が生きていたという喜びの涙に打ち震えていた。
22歳からの逃亡劇に、こうして幕が下りた。その後、懲役18年の刑が確定し、岐阜刑務所に13年間服役し、2003年に出所。未決勾留期間を含めて21年間の獄中生活を経て、宇賀神さんは自由の身となった。
奇しくも、「さそり」の仲間たちは3つの異なる人生を歩むこととなった。逃亡生活と獄中生活を味わった宇賀神さん、20代後半から獄中生活のみを送ったリーダーの黒川芳正さん、そして逃亡生活を貫いて息絶えた桐島さん。
宇賀神さんは逮捕されたことで、かつては会うことが叶わなかった「狼」のメンバーにも、法廷で顔を合わせ、手紙などで直接のやりとりができるようになった。
「一斉逮捕された『狼』の大道寺や片岡は、獄中で死刑囚の問題を一生懸命やっていた(*4)。罪を、ずっと背負って。彼らは死刑囚の人たちと話すことで、自分の人生を生き直していたんだと思う」
「さそり」のリーダー、黒川芳正さんも50年、獄に繋がれたまま、社会から隔絶された人生を過ごしている。
“友達”桐島聡への思い
逃亡中、宇賀神さんと桐島さんはお互いの存在をどんなに強く求めていたことだろう。
「逮捕されるまでは毎年、〈9・9・3〉には必ず、銭洗弁天には行っていた。境内に長めに滞在したこともあったけど、彼には会えなかったんだよ」
それが2024年1月、「桐島聡だ」と世に名乗り出てからの、あっという間の逝去。
「桐島は後輩というより、友達だよ。誠実で、いいやつだった。桐島が生きていたってことが、ものすごくうれしかった。すごく会いたかったし、警察がいないところで、2人きりで話したかった。どうしていたんだ、と。桐島が湘南にいたのも驚きで、彼も〈9・9・3〉のために、そこにいたのかなって思うんだ」
桐島さんが長年住んでいたアパートを見に行った時、強烈に思ったことがある。
「一緒なんだよ、俺のいたところと。ああ、同じようなところにいたんだなって思ったね」

桐島さんが住んでいた神奈川県藤沢市のアパート(撮影:黒川祥子)
20代の初めから、自分を偽って生きなければいけない人生とはどのようなものなのか。桐島さんはそれを、70歳まで貫いたのだ。
「逃亡中も自費で医者にかかったし、女性と付き合ったこともあった」
桐島さんにも親密な女性の存在が報じられたが、自分を偽らざるを得ない以上、特別な関係には踏み込めなかったのかもしれないし、医療機関にかかることへの危険を思えば、がんの治療を諦めざるを得なかったのかもしれない。
ただ、そんな逃亡生活であっても、苦行のみの時間ではなかったことが、宇賀神さんの語りからは窺える。
「母親とか、周りの人には非常に大変な思いをさせてしまったんだけど、今までを振り返れば、自分は恵まれた人間だったんじゃないかなと思う。逃亡中、いろんな人に出会えて、この社会にはいろんな生き方があって、人間も捨てたもんじゃないと思えたから」

難病を押してのインタビューだった。体調が良くないのに、飄々と笑う宇賀神さんを見れば、指名手配の翌日に会った料亭の女将さんの気持ちにも察しがつく。宇賀神さん曰く、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」(*5)の時代だったからこその逃走劇を思えば、桐島さんが昨年まで、エアポケットのような空間で、普通に生活し続けてきたことが驚きでならない。だからこそ、その人生がどのようなものだったのか、多くの人が惹きつけられ、少しでも内実に迫りたいと、2本もの映画が作られたのかもしれない。
改めて、宇賀神さん同様、せめて肉声を聞きたかったと思わずにはいられない。
著者情報
ノンフィクションライター
黒川祥子
くろかわ しょうこ
1959年福島県生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。業界紙記者などを経てフリーライターとなり、家族の問題を中心に執筆活動を行う。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』で第11回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『熟年婚』(河出書房新社)。 また、橘由歩の筆名で『「ひきこもり」たちの夜が明けるとき』(PHP研究所)、『身内の犯行』(新潮新書)、『セレブ・モンスター』(河出書房新社)、『全国ごちそう調味料』(幻冬舎)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『PTA不要論』(新潮新書)、『8050問題』(集英社)、『心の除染』(集英社文庫)、などがある。息子が二人いるシングルマザー。