中島岳志+想田和弘 特別対談1――二人の最新作品において、偶然に導き出された共通意識とは?
(構成・文/仲藤里美)
中島 では、僕たちの社会はなぜさまざまなものを切り捨てながら「近代」へと変貌してきたのか。その理由も『港町』に描かれているような気がします。
というのは、近代以前の土着世界というのは、ある意味非常にウェットで面倒なものなんですよね。『港町』には、浜の辺りを毎日散歩しているおばあさんが登場しますが、彼女の姿を見て複雑な気持ちになる人は多いと思うのです。ワイちゃんとは友達のはずなのに、ワイちゃんがいない所では散々悪口を言ったりする。あれってまさに、僕たちが知っている「ムラ社会」の嫌な部分じゃないですか。
しかも、ああいう土着世界というのは、なんというか非常に「不気味」なものを含んでもいます。画家の岸田劉生が「デロリ」と表現したものですね。想田さんがおばあさんに「あっちの方を撮るといいよ」といって案内してもらうシーンも、なんだかどこに連れていかれるのか不安になるような、奇妙な雰囲気が漂っています。ああいうものを嫌悪し、恐れ、そこから解放されようとしてきたのが「近代」だったと思うのです。
そうした狂気のようなものを含む「伝統」や「日常」の二重性が描かれているという意味で、『港町』は単なる「かつてあったもの」への郷愁映画ではない。僕たちは今、その二重性をどう引き受けるのかということを突き付けられていると感じました。

『保守と立憲』(2018年、スタンド・ブックス)
中島岳志さんの新刊。主に第二次安倍政権下に書かれた論考をまとめ、新たに立憲民主党代表の枝野幸男氏との対談も収録。保守とは、立憲とは何か? といった解説に加え、多くの論考中で「死者のデモクラシー」という視点について語られている。現在の中島さんの考え方がよく分かる示唆に富んだ一冊。

想田 中島さんも『保守と立憲』の中で「保守」という考え方は、単に昔のものを守れば良いということではない、昔のものを墨守するだけなら「保守」ではなく「反動」と呼ぶべきだ、ということを書かれています。おっしゃるとおりで、人々が「近代」に魅了されたのは、かつての社会が持っていたウェットさ、湿度のようなものが面倒臭かったからでしょう。もちろんそこにはさまざまな不平等性や理不尽さ、貧困などもあったはずで、もっと生きやすい社会をつくろうというポジティブな面も「近代」化にはあったと思うのです。
だから、単に「昔は良かった」と言いたいのではなく、少しずつの改革、改善は絶対に必要なんだと思うのですが、牛窓で感じたのはその変化が「少しずつ」ではなかったということなのです。海岸線はほぼ全て護岸工事によってコンクリートで覆われ、あちこちに埋め立て地があるけれど、過疎化が進んだ今ではそこに住む人さえいない、という光景が連なっている。それは、高度経済成長の時代に「近代の論理」がものすごいスピードで席巻したことの結果なのでしょう。それも、おそらく牛窓だけではなく日本全国で同じ事が起きていた。だからこそ全国で公害などの問題も発生したわけです。
最近、高度経済成長ってなんだか憧れの対象のように語られることがありますが、実際にはそんないいことばかりではなくて、本来ならそうした「負の部分」への反省が絶対に必要だったはずです。それなのに、今の政治にはそのまなざしが完全に抜け落ちていて。アベノミクスも、まさに高度経済成長への憧憬の下で進められてきたものだと思いますが、とにかく公的資金を注入して株価をつり上げようという、いわば筋肉増強剤のような政策ですよね。見せ掛けの筋肉は付くけれど、やり過ぎればどうしたって体はぼろぼろになっていく。この方向性を変えないでいけば、更にいろんな破壊が進んでしまうのではないかという危機感を抱きます。
中島 今、僕たちが一番疑わないといけないのは「スピード感」という言葉だと思っています。僕はメールの返信もなかなかしないほうなんですが(笑)、「即レス文化」ともいうべきものが幅を利かせていますよね。でも、それって昔なら「拙速」とも言われていたはずのことではないでしょうか。
僕はずっとガンディーについての研究をしているのですが、彼の言葉ですごく好きなのが「よいものはカタツムリのように進む」というものです。大切なこと、重要なことというのは、そんなにスピーディーに動くものではなく、ゆっくりゆっくりと進行していくのだというんですね。そこには根本的に、「近代」のスピードに対する拒絶という感覚があったと思うのです。
『港町』では、町に流れている時間はとてもゆっくりですが、そこに全然違う「近代」のスピードが入ってきていることも垣間見える。例えば、想田さんを案内してくれたおばあさんは、ある建物の前で「ここはもともと小学校だったけど、それが民宿になって、今は病院で……」と説明してくれます。すごいスピードで変わっているわけですね。
今、想田さんがアベノミクスの話に触れられましたが、実はこの、牛窓のような小さな港町にも「近代」のスピードが入り込んできているという事実が、安倍政権のようなむちゃくちゃな政権が生まれ、継続しているという事実ともつながっているのではないか。僕はそう考えています。
想田 全く同感です。先ほどの「死者のまなざし」のお話もそうですが、この社会には、ずっと昔から綿々と続いてきた大切なものがあったはずなのに、それがいつからか断絶してしまった。もしかしたらその断絶が始まったのは、せいぜい100年、200年前という最近なのかもしれませんが、そこからさまざまなことがおかしくなり始めたと感じています。安倍政権やトランプ政権の誕生も、その流れと無関係とは思えません。
著者情報
政治学者
中島岳志
なかじま たけし
1975年大阪府生まれ。専門は南アジア地域研究、近代日本政治思想。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授に。『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、2005年に大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『インドの時代―豊かさと苦悩の幕開け』(新潮社)、『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、『「リベラル保守」宣言』(新潮社)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)など多数。幅広い評論活動を行っている。
映画作家
想田和弘
そうだ かずひろ
1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。93年からニューヨーク在住。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』(2007)、『精神』(08)、『Peace』(10)、『演劇1』『演劇2』(12)、『選挙2』(13)、『牡蠣工場』(15)、『港町』(18)、『ザ・ビッグハウス』(18)があり、海外映画祭などで受賞多数。最新作『精神0』(20)は、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門エキュメニカル審査員賞受賞、〔仮設の映画館〕にて公開中、ほか全国の映画館で順次公開。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『カメラを持て、町へ出よう』(集英社インターナショナル)、『観察する男』(ミシマ社)、『THE BIG HOUSE アメリカを撮る』(岩波書店)などが多数。