ジャーナリストが問うアートと社会の接点「あいちトリエンナーレ2019」ができるまで
津田 そうですね。今回、作家を選定するキュレーターの一人にメキシコ人男性のペドロ・レイエスという人がいて、ジェンダー平等については、実は彼の存在がとても大きかったんです。「情の時代」というテーマを設定してから初回の会議で、彼は女性作家ばかりをあげていました。彼はこのテーマから、フェミニズムっぽい文脈を最初から感じ取っていた。だから、実は本当の流れをつくったのは、ペドロ・レイエスなんです。ただあまりフェミニズムが前面に出すぎると一般の人が引いてしまうかもしれないっていう意見があって、僕も当初はそういう意見に納得してた部分がありました。
暮沢 最終的に、男女同数というところまで徹底しようと思われた直接のきっかけというのは何だったんでしょうか?
津田 2018年の秋までは、考えていませんでした。でも、気がついたら女性アーティストが4割ぐらいにまで増えていたんです。4割が女性というのは多いほうだという話をチーフ・キュレーターの飯田志保子さんから聞いて、6対4で女性が少ないのにどういうことだろう、と。それで、調べてみると、ほぼすべての芸術祭で、男性のアーティストが女性の3倍から4倍になっている。これは何だろうと思ったわけです。そこで、美術業界のなかでの男女比について調べ始めました。そうすると、例えば美術館の学芸員は6割以上が女性なのに、トップの館⻑の男⼥⽐を⾒ると⼥性は 2 割に満たない。女性アーティストに聞いてみたら、「それは、美術大学の構造が原因ですよ」という話になったんです。美大も女子学生が圧倒的に多いのに女性の教員は2割に満たない。つまり、美術界の中では⼥性の数は多いのに、館長や教員は男性が占めていて、男性優位の構造ができているんです。もちろん、美⼤の男性教員がみんなセクシズムに基づいているというわけではなく、むしろ美術をやっているからリベラルで⼥性差別なんてしないと思っている⼈のほうが多数派でしょう。しかし結局、男性って男性であるだけで、無意識のバイアスが働いてしまうことがあって、それがこうした構造を作っているんだと思います。
このあいだ京都造形芸術大学でゲスト講師として授業をしたときに、自分にとっても反省する出来事がありました。授業でトリエンナーレの話をしたあとに、「お薦めの作家は誰ですか」という質問が来たんですね。芸術監督としては「すべての作家がお薦めです」と言うのが正解なんですけど、そのときは二人の作家を紹介したんです。けれども、その次の女性の質問で、「ジェンダー平等の話をしていましたけど、今お薦めだと言われた作家が二人とも男性でした」と。これ、すごいガツンときたんですね。僕は、二人の男性アーティストを挙げたことで、女性を差別する意図もなかったし、むしろ参加する⼥性アーティストは素晴らしいと思っていました。けれども、とっさに聞かれたときに紹介した作家が、二人とも男性だったんです。
暮沢 美術学校の構造についての指摘は、一男性教員として耳が痛いですね。それはそれで、結局、津田さん自身も実はジェンダーバイアスから逃れられていないと。
津田 そのとおりです。どんなに気を付けていても、男性は男性であることから逃れられない。だから、選ぶ側の女性を増やして男⼥同数にするというのが、構造的なバイアスを減らしていくことになるんだと思います。そこから一歩先を進めた話としてあるのが、美術業界には女性キュレーターこそ男性を選びがちという傾向もあって、これもおそらく一種のジェンダーバイアスですよね。
暮沢 それはどういうことなんでしょう?
津田 男性社会のなかで⽣き残ってきたのが女性キュレーターたちなので、やっぱり男性の価値観が内⾯化されている部分もあるでしょう。また、女性が女性を選ぶと「女性だから質を犠牲にして女性を選んだんでしょ?」という批判を受けやすいので、そういうことを避けたいというバイアスもおそらく働くでしょう。さまざまな構造的な問題があると思います。やっぱり構造を握ってるのは圧倒的に男性なので、その構造についてはまず男性が変える必要があったと思います。5対5の男女同数にしようと思ったのは、アファーマティブ・アクション(マイノリティーへの差別を積極的に是正する優遇措置)をするという、社会へ投げかけるということですね。今回は、ジェンダー論者ではない男性で、しかも美術業界の外から来た僕がやってるから、ある意味これぐらいの批判で済んでいるんだと思いますね。
暮沢 作品の質で選んだ結果そういう⽐率になるならともかく、男⼥同数にするのはけしからんという批判が起こるのは当然予想されますよね。従来そういうことに対する反論は、いわゆるフェミニズムとかの立場からなされるものが大半でした。要するにフェミニストの人が女性の創造性を強調する。ところが、津田さんはそれとは違ったかたちで反論していますね。例えば、「ゲンロンβ」の寄稿のなかで、イリス・ボネットの著書『WORK DESIGN』などを参照しながら、経済合理性から男女共同参画の利点を強調する立場から反論されています。そうした反論というのは、美術の世界では見たことがなかったので、新鮮でした。
アートと社会をつなぐ広報戦略
津田 それから男女同数を決めるうえでもう一つ重要だったのは、広報です。あいちトリエンナーレは、基本的に東海圏の人しか来ないんです。東京では報道されないんですよね。なぜかというと、名古屋のイベントで、しかも中日新聞が実行委員会に入っている。そうすると、ほかの新聞が取り上げる意味が薄い。昨年の8月から何度も記者会見とか発表をしてるのに、全国紙とか東京のメディアで取り上げてくれたのは皆無なんです。僕は頑張ってツイッターとかやってますけど、でもやっぱりマスメディアに取り上げられないと意味がない。美術を普段見ないような人にも来てもらいたいし、東京や関西からも来てもらいたいと思ったときに、「⽇本初、参加アーティストが男⼥同数です」ということは、広報的な効果も高いだろうし、メディアも取材に来てくれるだろうと。「日本初」って言葉に弱いですから。
暮沢 それは、かなり強力なフックになりますよね。
津田 そうなんですよね。だから、アファーマティブ・アクションの⼀⽅で、同時に美術を一般の人に開くという意味で広報戦略としても、男⼥同数はすごくいいフックになると思ったわけです。実際、3月末に発表したら、想定をはるかに超えて大きな話題になりました。ただ、そのこと自体はとてもよかったんですが、一方で、たかだか半々にしただけでこんなに話題になってしまうことが、まさにジェンダーバイアスの深刻さを示しているようで、ちょっと複雑な気持ちにもなりましたね……。
暮沢 津田さんのツイッターは、フォロワーが155万人ぐらいいますから、広報としてもすごい武器になると思います。ツイッターによる情報発信も芸術監督の、あるいはキュレーションの一環であると考えていますか?
津田 うーん……。キュレーションの一環とは、思ってはいませんね。ただ、僕がずっと考えてることは、なぜ門外漢のジャーナリストが芸術監督をやるかということなんです。あいちトリエンナーレでは、質の高い世界水準の作品を展示するのはもちろんですが、現代美術に興味がない一般市民にもわかりやすい芸術祭をつくるということも、大事だと思うんですよね。美術に興味がない人たちにも美術に触れてもらうことで、ライフスタイルを豊かにしてもらう。そのためのツールとして、ツイッターというのはとても有効です。僕のフォロワーのなかにも、普段は美術に興味をもっていないけれども、ジェンダー平等に興味をもって、「あいちトリエンナーレ、絶対行く」って言ってくれてる人がいると思います。

地元の愛知県出身若手アーティスト藤原葵(1994年生まれ)の作品《Catastrophe》 2018 / Photo: James Risdon
若手をいかに世界に羽ばたかせるか~パブリックセクターの役割
津田 あと、男女同数というのは、美術の世界の話だけではなくて、パブリックセクターの役割だと思っています。愛知県をはじめ、ほとんどの自治体などで男女共同参画というのを行政の理念として掲げているにもかかわらず、文化事業では男性ばかりが選ばれるという問題があります。それに対して、「もうこれから行政がお金を出す芸術祭はジェンダー平等を意識せざるをえないですよね」という投げかけを、僕はジャーナリストとして美術業界、もっと言えば日本社会全体にしたということですね。
暮沢 パブリックセクターの芸術祭は、税金を使うイベントですから、公平性が問われるわけですね。その公平性というのは当然、ジェンダーに関しても発揮されなければいけないと。
津田 そうです。あと、自分が芸術監督になって気づいたんですが、いろんなパブリックセクターの芸術祭を見に行くと、どうしても既視感があるんですよね。どうしてそういうことが起きるかというと、やっぱり行政のプロジェクトなので失敗できないからなんです。だから、美術業界ですでに成功している中堅からベテランの作家が選ばれることが多くなる。さらに、その作家の作品のなかでもすでに評価されている旧作が選ばれる。
暮沢 実績のない新人は、起用しにくいですよね。
著者情報
ジャーナリスト
津田大介
つだ だいすけ
1973年生まれ。東京都出身。ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。ポリタス編集長。早稲田大学文学学術院教授。テレ朝チャンネル2「津田大介日本にプラス+」キャスターほか、ラジオのナビゲーターも務める。『情報戦争を生き抜く』(朝日新書、2018年)、『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書、2012年)ほか著書多数。
東京工科大学デザイン学部教授
暮沢剛巳
くれさわ たけみ
1966年、青森県生まれ。美術・デザイン評論。著書に『拡張するキュレーション 価値を生み出す技術』(集英社新書、2021年)『オリンピックと万博』(ちくま新書、2018年)『エクソダス―アートとデザインをめぐる批評』(水声社、2016年)など多数。