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経済万華鏡

経済合理性論の不合理を正そう

浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

 皆さんは、「経済合理性」という言葉をご存じですよね。最近、この言葉について、改めて考える機会がありました。

 ある知人が「政策が経済合理性ばかりを追求して、原発再稼働に固執したり、やたらに大企業を優遇するのはけしからん」と怒りをあらわにしたのです。この指摘に込められた思いは、実に正しいと思います。全く同感です。
 ただ、経済合理性という言葉をこのような形で使ってしまうことには、少々、問題があると思うのです。正しくは、「政策が経済合理性を無視して原発再稼働に固執したり、やたらに大企業を優遇するのはけしからん。」という言い方になるはずです。なぜなら、経済活動は人間の営みです。人間が、人間のために執り行うのが経済活動です。

 そうなのであれば、経済合理的であるということは、すなわち、人間のためになり、人間を幸せに出来るということを意味している。そういうことになりますよね。人間が人間のために行う営みが、人間を不幸にしたり、人間を危険にさらすというのは、おかしな話です。つまり、そこに経済合理性があるとは言えません。むしろ、それはとても不合理で、理屈に合わないことだ。そう考えるのが自然でしょう。
 経済合理性にかなうということは、とりもなおさず、多少とも人間を傷つけることは絶対にないということに通じる。そのように考えるのが、思考の正しい筋道だと思います。

 このように考えてくれば、原発再稼働に経済合理性があるとは、どう考えても言えないでしょう。なぜなら、そこには、人間の命を大いに危険にさらす恐れが潜んでいるからです。ひたすら、大企業ばかりを優遇することにも、経済合理性はありません。そのことには、中小零細企業を存続の危機に陥れる危険性が伴うからです。
 下請けイジメを黙認することにも、非正規雇用者を冷遇することにも、経済合理性はありません。もとより、そうした行為は、そもそも、人権擁護の見地から容認出来ないものです。そして、だからこそ、そこに経済合理性がないのです。

 経済合理性にかなうということと、人権尊重は全く矛盾しません。むしろ、その逆です。人権を尊重しない行動に、経済合理性はありません。経済合理性の名の下に、人間に対する理不尽な行為を正当づけることは、全く論理的ではありません。経済合理性の第一要件は、多少とも人間を不幸にする余地がないということです。ここを、我々は再認識する必要があるのだと思います。
 皆さんの周りで経済合理性という言葉が飛び交う時、それがどのような観点から使われているか、どうぞ、注意してチェックしてみて下さい。そして、この言葉が合理性のない形で使われていたら、どうぞ、その不合理を正して下さいますよう。

著者情報

同志社大学大学院ビジネス研究科教授

浜矩子

はま のりこ

1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。

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