第7回 物語の謎、誰がテイラーを殺したの?
樫原辰郎(映画監督/脚本家/評論家)
チャンドラーにとって初の長編小説である『大いなる眠り』は、作者がそれ以前に書いた短編や中編のプロットを寄せ集めて構成されたものである。何しろ寄せ集めなので、プロットは錯綜しており長編小説としては破綻をきたしているとも言われているのだけれども、同時にこの作品はハードボイルド小説の古典として、数多の作家たちに大きな影響を与えた。我が国ではベストセラー作家として知られる村上春樹がチャンドラーのファンで、自分でもチャンドラーの作品を翻訳しており、村上訳の『大いなる眠り』を読むと、村上春樹の特徴のある語り口がチャンドラーから大いなる影響を受けていたことがよくわかる。自作の元ネタを隠そうとしないという点で、村上春樹は良心的な作家なのだ。
レイモンド・チャンドラー (写真:AP/アフロ)
ちょっと整理します。チャンドラーの『大いなる眠り』は、お話のつじつまが合わないという点では、いろいろと欠陥のある小説なのだけれども、何人もの作家に影響を与えたハードボイルド小説の名作でもあるのだ。つまり、欠点があるのに名作と認定されているのです。実際、村上春樹も『大いなる眠り』をチャンドラーの代表作の一つだとしている。
そもそも、フォークナーとブラケットが『大いなる眠り』の整合性に欠陥があることに気がついたのは、この小説を映画化するために丹念に読み込んだからだし、後世の研究者たちも同じように小説を分析する姿勢で丁寧に熟読したからこそ、『大いなる眠り』のプロットが矛盾していることに気がついたのだ。逆にいうとですね、『大いなる眠り』を読むと、面白く書けているものだから、オーウェン・テイラーを殺したのが誰なのか?という問題を気にしないまま読み終える人もいるだろうし、ダースベイダーがルークの父親なのは、ちょっとおかしいんじゃないか?と思わないまま『スター・ウォーズ』にハマる人もいるのである。
基本的に、我々の脳は整合性のある物語を好む。お話のつじつまが合っていなかった場合には、これはおかしいのではないか?と思うのが当然なのだ。だから、小説家や脚本家、映画監督といった物語の作り手たちは、お話のつじつまが合うように気にしながら作業を進める。しかしながら、小説も映画も作中での時間経過を必要とするから、つじつまが合うことよりも、その場のノリを優先した方が面白くなる場合もある。テイラーを殺したのが誰なのかわからないままでも、面白い小説を読んだと思う読者はいるし、ダースベイダーが父親だと知って盛り上がる観客もいる。
ヒトはフィクションを楽しむ際に、自分自身を投影してルーク・スカイウォーカーやフィリップ・マーロウになった気分で小説や映画を楽しむことがあるのだけれども、映画は2時間ほどで見終わるし、小説もそれが面白ければ面白いほど早く読み終えて現実の時間に戻り、自分がルークやマーロウではないことを改めて自覚する。
我々は自分がフィクションの主人公ではないことをよく知りながら、一時的に主人公になったような気分を味わえるわけです。つまり、フィクションを楽しむという行為は、それが嘘であることを承知していながら、本気になって楽しむという、ある種の矛盾をはらんだ知的な遊戯なのだ。我々は、それが安全だと知っているからこそ、ジェットコースターに乗ってきゃあきゃあと騒げるわけで、頻繁に事故が起きるジェットコースターには誰も乗りたがらないだろう。
映画であれ小説であれ、物語というのは、それを体験している時間を楽しむものである。シリアスなドラマであれ、痛快な活劇であれ、そこで繰り広げられる時間を味わっているわけだ。
だから、基本的にお話のつじつまは合っていた方が好ましいのだけれども、時として矛盾しているようなプロットが観客に受けることもある。
たとえば、『スター・ウォーズ』は銀河を舞台としたSF活劇、いわゆるスペースオペラなのだが、敵であるダースベイダーが、実は父親だったというのはメロドラマの要素なんですね。いかにも活劇らしい出来事が繋がっている映画のクライマックスで、いきなりメロドラマが投下されたので、世界中の観客が驚いたわけです。
基本的に物語というのは、出来事の連鎖で構成されている。たとえば『ジョーズ』なら、鮫が人を襲ったので、鮫を退治するためのプロフェッショナルが集められる。たとえば『東京物語』は、年老いた夫婦が自立して家庭を持った子供らに会うために旅行にでかける。『ジョーズ』は、クライマックスで生き残った主人公が遂に鮫を殺す、『東京物語』は奥さんが死んで物語が終わる。この2本は全く似てはいないけれど、どちらも時間が経過する中でいくつもの出来事があって、物語が始まった時点とは違う状態になって終わる。
小説であれ、映画であれ、どちらも時間経過する途中で次々に起きる出来事の連鎖で構成されている。たとえば脚本家が小説を映画化する際には、原作の小説で描かれている出来事を、機械を分解するような手つきでバラバラにして、上手く並べ替える。フォークナーやブラケットが『三つ数えろ』でやったのは、そういう作業だ。だから、物語というのはいくつかの構成要素に分解できるわけで、実際に、そういう研究をした学者もいる。
ロシアの民俗学者ウラジーミル・プロップは、『民話の形態学』などの著作で、ロシアの昔話を分析し分解してみせたし、フランスの人類学者で構造主義の開祖とされるレヴィ=ストロースは神話を分解して構造を調べた。アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、ユングやフロイトの影響を受けながら、神話の中で語られる英雄たちの行動を分析しようとした。彼らは、神話や昔話といった物語に魅了され、そこに秘められた謎を解こうとしたのだった。プロップやレヴィ=ストロース、キャンベルの研究は有意義なものだったし、その功績は大きかった。何しろ、キャンベルの『千の顔を持つ英雄』を読んで感動したのがジョージ・ルーカスで、壮大な『スター・ウォーズ』サーガはキャンベルの影響なくしては成立しなかったと、ルーカス自身がインタビューで告白している。
しかしながら、プロップやレヴィ=ストロース、キャンベルたちの研究は物語の本質にまではたどり着いてはいない。物語の構成要素を細かく分解するという彼らの手法は間違ってはいなかったのだが、実は物語というのは、彼らがやったよりもさらにもっと細かく分解できるのだ。そして、20世紀には実際に民俗学者や神話学者たちよりも細かく「物語」を分解した人たちがいた。
それが映画監督、正確にいうと映画の文法を発見したD・W・グリフィス以降の映画監督たちである。ただし、彼らは別に物語の真実を突き止めようとか思っていたわけではなくて、ただ単に面白い映画を作りたかっただけなので、自分たちの仕事が物語の真実に、その核心に触れていることなど知ったことではなかった。本当に、映画監督だけが知り得る「物語」の真実があるんだけど、誰一人それについて自覚的ではなかったのだ。だから、映画監督や脚本家が「物語」について書いた本はたくさんあるけれども、その大半は面白いストーリーを作るためのノウハウであって、「物語=ストーリーとは、本当はどういうものなのか」を説明した本はまだ存在しない。それを今から書くつもりなので、どうか次回をご期待ください。
参考文献
『ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』トッド・マッカーシー著、高橋千尋訳、フィルムアート社
『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』H・ホークス、J・マクブライド 著、梅本洋一 訳、青土社
『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』シド・フィールド著、安藤紘平、加藤正人、小林美也子、山本俊亮 訳、フィルムアート社
リイ・ブラケットによる『帝国の逆襲』第1稿
The Empire Strikes Back – First Draft by Leigh Brackett (Transcript) – Starkiller
『昔話の形態学』ウラジーミル・プロップ著、北岡誠司、福田美智代訳、白馬書房
『神話と意味』クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳、みすず書房
『千の顔を持つ英雄』「新訳版」上下巻 ジョーゼフ・キャンベル著、倉田真木、斎藤静代、関根光宏訳、ハヤカワ文庫NF
『英雄の旅 ジョーゼフ・キャンベルの世界』ジョーゼフ・キャンベル著、斎藤伸治、斎藤珠代訳、人文書院